フランク・キャプラが大陸横断鉄道で両親と共にロサンゼルス駅に到着したのは6歳の時だった。両親は、足下の地にキスをした。フランク少年はひどい旅に疲れ果て、迎えに来た兄に「アメリカなんか大嫌いだ!」と毒づいた。時は1903年、ロスアンゼルスは人口10万人、T型フォード車が登場する5年前であり、ライト兄弟が飛行実験に成功した年であり、エジソンが活動写真を発明した10年後のことであった。翌年、日露戦争が始まる。
数々の名作を作ったフランク・キャプラ監督の日本初の評伝だ。
アメリカに到着したフランク少年は、シチリア人ゲットーの路上で新聞を売りながら一角の人物を目指した。「私は貧乏が嫌いだった」。読み書きでは金を稼げない、という家族に反抗し、働きながらスループ工科大学(現在のカリフォルニア工科大学)において、科学、歴史、詩を学んだ。イギリスの詩人アルフレッド・ノイエスが授業で語った言葉が胸に刻まれた。後の映画においてもセリフとして語られる。
どんな人間でも永遠を垣間見る瞬間がある
「どんな人間でも」という発想は、フランク・キャプラの映画に共通している。「私は群衆を個人の集まりと見る。一人ひとりが王であり女王だ。それぞれに物語があり、威厳に満ちている」。それは、シチリアから来たキャプラがアメリカについて持っていた理想なのだろう。
監督がキャラクターのモデルにしたイタリア移民の英雄がいる。A・P・ジャンニーニという人で、1904年に果物商を辞めてバンク・オブ・イタリーという銀行をカリフォルニアに開いた。後にバンク・オブ・アメリカと名称変更されるこの銀行のポリシーは「庶民のための銀行」で、他行では相手にされない、向こう見ずで一風変わった人々に融資を行った。ウォルト・ディズニーが『白雪姫』を作りたいと言ってきた時には、「長編アニメなんて誰も見ない」と断りそうになっているのを電話で叱り、「融資してやれ。」と言った。ほとんどお金を持っていないし、長編アニメなんて、という反対意見に対して言ったセリフは「理由は、おまえが断ったからだ」だった。ゴールデンゲートブリッジの建設やHP(ヒューレット・パッカード)に融資した。そして、路面電車の車掌から身を起こした稀代の山師プロデューサー、ハリー・コーンが立ち上げたコロンビア映画に融資した。フランク・キャプラは彼と手を組むことになる。大恐慌下において、「信用第一、貸し渋りなし」のポリシーが、カリフォルニアの映画産業を一大産業にした。
著者の井上さんは、『スミス都へ行く』において、田舎から首都に出てきた若者に「移民の視点から見たアメリカ」を語らせたのではないかと言う。ファシズムの時代、英国・米国の映画が禁止される直前のフランスにおいて、最後に上映される作品として選ばれた。
自由を歴史の本の中に埋もれさせておくわけにはいかない! 人々は毎日自由を叫ぶべきだ! “ 私は自由だ! 考えるのも! 話すのも自由だ! 先祖にはそれができなかったが、私にはできる! そして私たちの子どもらにもできる! ” と - 『スミス都へ行く』
本書はキャプラ監督の代表作を振り返りながら、波乱万丈の人生を振り返っていく。何がなんでも監督になると転職を繰り返した下積み時代、『或る夜の出来事』での大成功、その後の大スランプ、第2次大戦における従軍。戦後の赤狩りの時代には嫌疑をかけられ、心を傷つけられる。
あのブラックリストはアメリカではない。アメリカはもっと大きく、もっと偉大だ
1946年、除隊したキャプラはリバティ・フィルムズを設立し、『素晴らしき哉、人生』の制作にとりかかった。
誰しも一度は死を考えたことがあるはずだ
過去の映画でやってきたことを全て込めたという集大成であった。
自分の最高傑作だと思った。映画史上最高の名作だとさえ思った。サンフランシスコで初めて映画に携わって以来、ずっと作りたいと思っていた作品だった。ホームレスにも、愛を知らない人たちにも、『あなたは地の塩だ。この作品はあなた方への贈り物だ』と叫びたかった。
残念ながら、この作品は全く振るわず、これが実質的に彼の最後の作品となった。同年に最も当たった映画は戦争を現実的に描いたもので、キャプラのセンチメンタリズムは「キャプラコーン(古臭い)」と呼ばれた。
しかし、真の価値は時間が決めた。著作権が切れ、頻繁にテレビ放送されるようになってからのことだった。2006年、クリスマス映画の定番となっていた『素晴らしき哉、人生』は、アメリカ映画協会(AFI)の「感動の映画ベスト100」において圧倒的1位に選ばれる。他にもスピルバーグの5作品に次ぐ4作品がランクインした。
フランク・キャプラは、スクリーンから「あなた達は自由で平等だ」「あなたの隣人を愛せよ」と言い続け、観衆は、それを支持した。
私は映画に魅入られた。それがなんだったのかわからないが、おそらく観衆だったのではなかろうかと思う。私は何かを創り、人々に見せた。人々はそれを気に入ってくれ、拍手で応えてくれた。それが私をとらえてはなさなかった。
素晴らしき哉、フランク・キャプラ。そして皆さまには、ひとあし早いですがメリー・クリスマスを。皆様にも、鈴の音がきこえますように。
ほのぼのします。
師匠も語っておられます。