久々にジャケ買いした一冊。勝新太郎と言われても、子供のころに記者会見で見たキテレツなイメージしか残っていなかったのだが、表紙の写真に「おいっ」と呼び止められた気がして思わず購入した。読み進めて素顔を知るにつれ、そのイメージは驚きへと変わっていく。
著者は、勝新太郎の最後の「弟子」と称される人物。かつて、勝新太郎が週刊誌で人生相談をしていた時の編集者だ。勝新太郎とは親子以上もの年齢差がある著者の筆を動かしているのは、その生き様を何とか後世に語り継がねばという使命感だろう。
いわゆる癖のあるカリスマが、現実と虚構の境目が分からなくなるくらいの熱意で周囲を圧倒し、常識を覆すものを作っていく。そんな評伝を最近読んだなと思い返したら、『スティーブ・ジョブズ』だ。己の動物的な勘を頼りに生き抜いていくという点で、二人は酷似している。スティーブ・ジョブズはどこまでも役者だし、勝新太郎はどこまでもアントレプレナーなのである。
スティーブ・ジョブズの生み出す世界観が「現実歪曲フィールド」と称されるなら、勝新太郎の世界観は「偶然完全」というものだ。
例えば、人と人がたまたま出会って、素晴らしい関係を築くことがある。あらかじめこのような人と会うと心構えをしていれば違った関係になるかもしれない。偶然だから、完全な関係が生まれる。
そんな「偶然完全」という造語を、勝新太郎は好んで使っていたという。そして偶然による奇跡の矛先は、芝居にも向けられた。
「役者は科白の奴隷じゃない」 ― 脚本を徹底的に破壊して、その髄だけを抜き取るのが勝新太郎の流儀だ。役を演じるということは、仮面を被るということ。その仮面が溶け出し、素顔と交じり合っていくことをどこまでも追求する。普段の生活で話しているように、自然に会話をしながら物語を組み立てていかなければならないのだ。
ただし、その手法には常に破綻の危険が伴う。脚本がないままに撮影を始め、脚本が気に入らないとすぐに撮影を中断するため、制作費も常にパンク状態。後から構成を組み立てようとすると、ストーリーに齟齬があることも多々あったようだ。有名な黒沢映画『影武者』での降板も、両者の脚本に対するスタンスの違いに原因がある。
一方で勝は、芝居に現実を持ち込んだだけでなく、現実にも芝居を持ち込んでいる。そんな私生活でのエピソードも、本書には盛りだくさんだ。勝の家では、帰宅時に中村玉緒のほか、家政婦、住み込みの弟子たちが玄関で正座で出迎えることになっていたそうだ。ある日、虫の居所が悪かった勝は、出迎え方が気に入らず、「もう一回やり直し」と怒鳴り散らした。勝は車に乗り、途中まで引き返して、もう一度帰宅したそうだ。等々・・・
普段から勝は、俳優の芝居よりも人が自然にする表情の方が勉強になると口にしていたようだ。ホステスなどその典型である。水商売で働く人たちは、それぞれが人生の事情を抱えて働いている、そうした本物の芝居を見ることが芸に繋がるというのだから恐れ入る。勝新太郎にとってフィクションとノンフィクションの境界線は、どこまでも曖昧だ。
また、本書に登場する勝を取り巻く人物たちも、石原裕次郎からモハメド・アリまで、映画ばりの豪華キャストである。なかでも特徴的なのが、昭和のフィクサー 笹川良一。笹川は長崎県の対馬沖に沈んでいた帝政ロシア時代の装甲巡洋艦「ナヒモフ」の引き揚げに関与しており、ドキュメンタリー映画の話を勝に持ちかけていたのだ。そのきっかけが、なんと笹川が中村玉緒を狙っていたことにあったというから笑える。とんだ「人類みな兄弟」なのだ。
数多く紹介される語録の中では、「東海道を歩くな」というメッセージが印象的だ。東海道とは、広くてみんなが通る道のこと。そのようなところではなく、いつ落ちるか分からないところに自分を置き、絶体絶命のところで遊ぶことにこそ醍醐味があるという。そんな中で失敗を重ねてきた男の生き様には、スティーブ・ジョブズのような晩年の華々しい成功譚こそなかったものの、時間をおいたことによって生まれる熟成された味わいがあるのだ。
晩年の勝新太郎は、喉頭癌を患った。映画『座頭市』のロケで喉近くの頸動脈を切って亡くなった役者さんのことを思い出しながら、死の間際に「なんで、ここなんだい?」と自分の喉を指す描写など言葉もない。
子供の頃にはキテレツとしか思えなかった勝新太郎の言動を、大人になった今、まざまざと凄みとして感じ入ることができる。これは、僕にとっての成長なのだろうか。おそらく違うだろう。僕が知らずのうちに、東海道を目指していただけなのだ。
幸か不幸か、世は激動の時代。東海道と思って歩いてきた道が、いつのまにか獣道になる ― そんな現実に直面した時にも、本書は格好のガイドブックになってくれるだろう。なんとも覚悟の決まる一冊だ。
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もはや説明の必要もないスティーブ・ジョブズの評伝。勝新太郎と似ているのは、完璧を求める情熱や実行力だけではない。奥さんの超越ぶりやクスリをやっていたところまで似ているのだ。ちなみにⅡよりⅠの方が断然おもしろい。HONZ新井文月のレビューはこちら
HONZの夜会で成毛眞が持っているのを見て、追随購入。ちなみに、三國連太郎の勝新太郎評は「天才と言われる通りの人」というもの。その要因を、勝の父親が三味線の名人であったという出自に見出している。また、先妻である佐藤浩市の母親と勝新太郎は、三味線の相弟子関係にあったそうだ。勝新太郎のDNAは、佐藤浩市にも引き継がれているのである。