世界記録はどこまで伸びるのか |
トップアスリートの動きは何が違うのか |
格闘技の科学 |
ロンドン五輪の開幕まで300日を切った。ヨーロッパでの夏季オリンピック開催は1992年のバルセロナ以来、実に20年ぶり。経済でのどたばた劇が続くヨーロッパへのカンフル剤となるだろうか。ちなみに、ロンドンでの開催は1908年、1948年に続く3回目であり、これは同一都市開催の最多記録である。
室伏宏治復活の金メダルと織田裕二の絶叫ぶりに沸いた世界陸上、「なでしこ旋風」を巻き起こした女子サッカーワールド杯など、今年も様々なスポーツイベントがあったが、最大のスポーツイベントはやはりオリンピックだ。「出られるんじゃね?」とは言ったものの、カンボジアに国籍変更するという離れ業でもやらない限り、今からロンドン五輪参加を目指すことは難しいと思うので、観客としてしっかりと楽しみたい。
※オリンピック憲章規則42で国籍条項が定められているので、今から国籍変更を考えている方はよく読んだ後、親族ともう一度じっくり話し合うことをお薦めする
機を見るに敏な出版社が、ウサイン・ボルトばりのフライングでオリンピック商戦を戦いに来たのかどうかは分からないが、ここのところ面白いスポーツ本が立て続けに出版されている。本日紹介する3冊はどれもサイエンス×スポーツという組み合わせであり、インドア派の理系人間でもしっかり楽しめる。もちろん、スポーツに取り組んでいる人にとっては、練習方法や体の使い方に関する実践的な解説書となるだろう。
本を読んでもスポーツは上達しないが、それでいいのだ。バカボンのパパを気取っているわけではない。テレビの前で人類の限界に挑む選手たちに向かって薀蓄をたれるのも、スポーツの1つの楽しみ方だと思うのだ。本日紹介する本を読めば、あなたもテレビの前でぶつぶつとつぶやくことになるだろう。口から出てくるつぶやきは、きっとこんな感じだ。
「あー、このタイムはまだパーフェクション・ポイントの80%の到達度だ」
「だめだめ、その投擲ではコリオリ力が全然活かせてないんだよ」
「言ったじゃないか、この選手の投げ技はその角度では防げないって」
最初に紹介するのは、米テレビ番組「Sports Science」の司会者であるジョン・ブレンカスの手による一冊。テレビ司会者である著者による本らしく、本書は難解な数式、物理的解説を省きながらも話のミソは外さない、多くの人が楽しめる1冊に仕上がっている。
世界記録の限界点は、過去の記録更新のペースを単純に外挿して予測されることが多い。様々な研究者が、過去のデータを用いた“統計的”手法から100mの限界タイムを算出していたが、1人の男によってその予測の不完全さが露わにされてしまった。その男とはウサイン・ボルトである。彼が登場するまでは、身長が大きいことは短距離走では不利であると言われており、9.5秒台に人類が到達するのは遥か先、もしくは不可能と思われていた。(参考)
そのような失敗を踏まえ、本書では人間の筋肉・骨格のあり方や様々な競技条件にまで視野を広げて人類の限界到達点(パーフェクション・ポイント)を予測している。本書に記されているパーフェクション・ポイントは想像をはるかに超えている。人類がそこに到達するのをこの目で目撃したいものだ。
こちらは人間発達科学分野の教授による一冊。『世界記録はどこまで伸びるのか』とは異なり、容赦なく数式やベクトルを用いた解説が登場する。議論についていくのは容易ではないが、辛抱強く読み続けていけば映像分析技術の発展とともに進化してきたスポーツ科学の醍醐味を垣間見ることができる。
走るという行為1つを取ってみても相当に複雑だ。股、膝、足という3つの関節だけでなく、当然筋肉の動きも理解する必要があり、その全体像を把握することは容易ではない。ボールを投げるなんていうことになると、それはもう一大事だ。本書を読む人間は、ゲーム「マリオカート」初心者のように、全身を上下左右へ動かすことになるだろう。本書の指示する通りに身体を動かしてみれば、平面に描かれた力を実感することができる。
本書を満員電車で読み始めると、隣の人に何度となくぶつかることになると思うので、是非広いスペースで、身体と頭をしっかりとひねりながら読んで欲しい。サイエンス好きを十分に満足させる一冊である。人間の身体って本当に不思議だ。
好きなもの2つを組み合わせてつくったものが、より好きなものになるとは限らない。例えば、いちごと大福の組み合わせは1+1が2以上になっているように感じるが、いちごとカレーライスの組み合わせは1を下回るだろう。下手に組み合わせるくらいなら、別々に楽しんだ方がずっとよい。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』のレビューを読まれた、勘の良い方は薄々お気づきかもしれないが、実は私は格闘技が大好きなのだ。
そして、『スパイス、爆薬、医薬品』のレビューを読まれた、賢明なHONZファンの方はなんとなく感じておられるかもしれないが、科学も大好きなのだ。
本書はそんな私の大好物を掛け合わせた、盆と正月とクリスマスとゴールデンウィークが一度に来たような本なのだ。しかし、どこかで「そんな上手い話はない」と警戒してしまう気持ちもあった。
読み進めていけば、それが杞憂であることは直ぐに分かる。類書は様々に出ているのだが、この本からは何より著者の格闘技への愛情、格闘家への敬意が感じられる。過去には物理、数学の専門書を出している中部大学工学部教授である著者は一見格闘技との接点はなさそうだが、少林寺拳法の使い手でもある。
本書は格闘技経験のない方や格闘技観戦を始めた方の頭に浮かびそうな疑問に丁寧に答えていく構成となっており、いよいよ開催まで2か月と迫ったUFC JAPANの前に是非読んでおきたい一冊である。そう、個人的には、2012年最も期待しているスポーツイベントはオリンピックでなく2月26日さいたまスーパーアリーナで開催されるUFC JAPANなのである。
話がどんどんオリンピックから離れていっているような気もするが、今後もUFCに日本人王者が誕生するまでは隙を見てレビューの中に格闘ネタを盛り込んでいく所存である。
格闘技はとりあえずおいておいても、サイエンスで身体の機能や限界を明らかにする試みは知的刺激に満ちている。何がエキサイティングなのかというと、どれだけ知恵を絞って限界を予想しても必ずその「科学的限界」を超える人間が登場してしまうことである。そして、その人間に合わせて新たな科学が構築されていくことである。体と頭のせめぎ合いに終着点ない。
生きているうちに走り幅跳びで9mを超える選手を見ることはできないかもしれない。セルゲイ・ブブカの記録はやっぱり不滅かもしれない。しかし、ウサイン・ボルトが現れるまでマイケル・ジョンソンの200mの記録は永久に塗り替えられないと思われていたじゃないか。次の超人が登場したときにしっかりと驚くために、この3冊で準備をしておこう。