著者は、アメリカではベストセラー連発のサイエンス・ライター。サイエンスといっても真面目で骨太な作品をものすのではなく、センス溢れる文章に笑えるコネタを挟み込み、実にアメリカっぽいレトリックで軽快に語る楽しい作品を生み出してきた。取り上げてきたテーマも変わっていて、まずは死体をめぐるルポを書き、続いて霊魂 そしてセックス ときて、今度は「宇宙開発」である。
宇宙においては、人間は極めてスペックが低い装置だ。「気まぐれな代謝作用、貧弱なメモリー量、統一規格の存在しない形状にサイズ」のできそこないを、どうにかして宇宙空間に送り出すための苦労と努力を彼女は追う。
例えば狭く、うるさく、熱く、汚い閉鎖空間にずっと居続けることに人は耐えられるのか。ロシアのミールに滞在したユーリ・ロマネンコは、情緒不安定になり、アレクサンドル・ラヴェイキンは抑うつ状態に陥って、自殺を考えるようになる。
精神以前の問題として食べ物の問題も深刻だ。宇宙船の限られた空間のなかで食料はとにかく小さく、軽くなければならない。圧縮されたキューブ食、チューブで吸い上げる流動食に乾燥食に粉末食。獣医師の手で、ペレット状のドッグフードならぬ「宇宙飛行士フード」さえ開発された。クルーたちの士気が大いに下がったのは言うまでもない。
食べる以上は、出すことになる。こちらの苦労は食べ物をはるかに凌ぐ。アポロ計画で使われた糞便バッグは透明のビニール袋。これをおしりにあてがって「いたす」わけだが、宇宙飛行士のおしりの形状の平均的な曲線に合わせて作ったため、結果として誰のおしりの形状にも合わない。密着させるための糊が体毛にくっついて抜ける。なんとか出したら今度はバッグに殺菌剤を絞り入れ、封をして手でよく揉む。そうしないと大腸菌がガスを発生させてバックはやがて破裂する。揉み方が十分でなく、実際に破裂する事態が何度も起き、無重力空間をふわふわと漂うう●こが、船内をパニックに陥れている。
あまりの悪評にトイレが作られるようになったが、凍った便が塵状になって舞ったり、ポップコーン状になって吹き上がったり。日本の開発チームに託したら、もっとよい結果になったんじゃないか、などと想像してしまう。ちなみにスペースシャトルのトイレの開口部はわずか10cm。適切な位置に肛門を持ってこられるように、肛門を映せるカメラを覗いて「生まれてこのかたずっと親しく付きあってきたのに、言われてみればこれまで真正面から対面したことのない相手」を見ながら、宇宙飛行士たちは、排便のポジショニングの訓練をする。
糞便の話ばかりについ熱くなってしまったが、、ほかにも宇宙ハイになり(宇宙遊泳でハイになって命令を無視して帰還したくなくなる奴も)、宇宙酔いでの吐き気に悩まされ(無重力状態で吐くと、いうまでもなく、ブツは漂い続ける)、自身のあまりの体臭に苦しむ(アポロ13号で有名なジム・ラヴェルは酷い目にあったが、時代がすすみ、若田光一は日本女子大が開発した光触媒と抗菌ナノマトリクス加工の「宇宙下着」を28日間ずっとはき続けても不快感はなかったそうだ)など、実に大変。宇宙では、推進エンジンやら太陽電池やら解析装置やらが実に淡々と仕事を続けているなか、人間だけがまったく情けない状況に陥るのである。
人を宇宙に送るということには、上記のような瑣末なようで深刻な問題が山ほどある。それをひとつひとつクリアするために、各方面の専門家が集められ、人間そのものが探求され、さまざまな技術が開発される。糞便バッグはどうかと思うが、宇宙探査そのものより、こういった真剣かつ滑稽な調査と技術開発こそが、実は人類に貢献しているのかも知れない。
日本で最初に出たのはこの本。現場主義、体当たり取材、ローチ節炸裂で、笑えるトリビアもいっぱい。
ローチの本に登場するジム・ラベルとのギャップが面白いです。
本書に収録された柳田敏雄さんの講演によれば、人間の計算速度はトランジスタの100万分の1、トランジスタと人間の神経細胞の間違える確率を比べるとその差はもう天文学的数字となり、人間の記憶容量は100円で買えるICチップ並だそう。しかしそんなできそこないが寄り集まれば、宇宙に飛び立つことだってできてしまうわけだ。低スペックゆえの人間の本当の凄さを考えさせられる。