読み終えたあとも、まだ消化できないものが残っている。こと読書では、これはマイナス評価ではない。たやすく消化できるものばかりが良い本とは限らないからだ。
この本の消化しづらい感じをどう説明すればいいだろう。とても大切なことが書かれているのに、それを著者と同じように理解するのは難しい、とでも言えばいいか。あるいはもっとわかりやすくするなら、次のような問いに言い換えることもできるかもしれない。
〈愛する人が傷つけられたとき、加害者を赦すことができるか〉
著者は「西鉄バスジャック事件」の被害者である。犯人は当時17歳の「少年」だった。
2000年5月3日、著者は友人の塚本達子さんと一緒にバスで福岡へと向かっていた。ふたりが乗ったのは、佐賀駅バスセンター12時56分発福岡天神行、西鉄高速バス「わかくす号」。「少年」が不意に立ち上がったのは、バスが佐賀駅前を出発して、高速道路に入って間もなくだった。
「このバスを乗っ取ります。荷物を置いて、後ろに行ってください」
包丁を振りかざしてはいるものの、その包丁に振り回されているようにも見えるほど華奢な身体つきだったため、最初はあまり切迫感がなかった。ところが「少年」は、「お前は、俺の言うことを聞いてない!後ろに下がってない!」と言うと、いきなり女性客の首を刺した――。
事件を振り返る第1章は、読みながら息をするのを忘れてしまいそうになるほどの緊迫感だ。最初に刺された女性は家族の看病疲れで居眠りをしていて事態に気づくのが遅れたこと。トイレ休憩のため停車したバスから逃げた乗客がいたことで「少年」が激高したこと。あえて見張りの協力を申し出ることで「少年」を落ち着かせた勇気ある女性がいたこと。事細かに再現される車内の状況に息をのむ。
逃げた乗客の「連帯責任」という言いがかりで、著者は「少年」に何度も切りつけられ、顔や手に深手を負った。そのすぐ後に塚本さんも刺された。塚本さんはこの事件でただ一人、帰らぬ人となった……。
著者にとって塚本さんは「恩師」と呼べる存在だった。子どもたちが元小学校教諭の塚本さんがたちあげた「幼児室」にお世話になっただけでなく、著者自身も大きな影響を受けた。この日は塚本さんからクラシックコンサートに誘われ、福岡へ向かう途中だった。
息つく間もなくページをめくりながらふと手が止まったのは、刺された著者が、自分の血で真っ赤に染まった床を見ながら「この子の心は私の身体の傷と同じぐらい傷ついていたのだ」「今私が死んだら、この子を、殺人者にしてしまう」と感じていたというくだりである。なぜそんな思いが湧いてきたのかわからないと著者自身も書いているが、命の危険にさらされた瞬間ですら他者に思いを馳せることができるのかと驚いた。
もっとも、著者には「少年」に心を寄せる背景があった。精神科に医療保護入院していた「少年」は、一時外泊中に事件を起こした。入院前は不登校だった「少年」と同じように、著者もまた娘の不登校に直面した経験を持っていた。
事件は被害者の人生を変えてしまう。だからこそ、平穏に暮らす人々を巻き込み、日常を破壊するような通り魔的犯行は赦すことができない。著者も事件によって思いもよらない人生を歩むことを余儀なくされた。だが、その歩みはいささか意外なものだった。
本書を事件そのものに関するノンフィクションだと思って読むと肩すかしを喰らうかもしれない。著者は事件をきっかけに家庭や学校に馴染めない子どもたちの「居場所」をつくろうと思い立つ。そこにはもちろん娘の影響もあった。この本の大部分を占めるのは、そんな「居場所」づくりに奮闘した日々の記録である。
この活動を通して、さまざまな事情を抱えた子どもや親と接することで、著者自身も我が子との関係を見つめ直していく。そして事件のことも、〈被害者と加害者〉という関係ではなく、〈子どもと社会〉といった大きな構図の中でとらえ直していくのである。
無我夢中の数年が過ぎたある日、著者のもとに京都医療少年院から手紙が届いた。「少年」との面会の打診だった。面会当日、著者は再会した「少年」の背中をさすりながら「つらかったね……」と語りかけるのだ。
とても真似できないと思った。本を読めば、著者にもさまざまな葛藤があったとわかる。事件について考えない日はなかったろうし、自問自答の積み重ねを経たうえでのふるまいだったのだろう。それでも、加害者にこのように接することは、自分だったらできないかもしれない。
著者が優れた人格者だと強調したいわけではない。著者は私たちと変わらないごく普通の生活者だ。そんな普通の人が、不条理な犯行によって人生を破壊されてしまったにもかかわらず、このように加害者と接するまでに「再生」したという、その事実に驚くのである。
近年、「修復的司法」という言葉が知られるようになってきた。「修復的司法」とは、被害者や遺族が再び壊れた人生を回復できるように、地域の人々や加害者も加わって、関係を修復していく試みのことだ。その際、加害者は自分がなぜ加害行為を行ったのかを振り返ることで、加害者自身の更生や再犯の抑止も促す。
著者は「修復的司法」という言葉がまだ知られていない頃から、地域の人に助けられながら「居場所」を運営し、問題を抱えた子どもたちと向き合い、少年刑務所で加害少年たちを前に話をするなどの活動を行ってきた。その延長に「少年」との再会もあった。著者の歩みは、長い時間をかけた「修復的司法」の実践例をみるかのようだ。
ただ、立ち直るまでの時間や道筋は人によって異なる。
著者は塚本家と家族ぐるみの付き合いをしてきた。本書の表紙カバーに使われているのは、亡くなった塚本達子さんのご長男の猪一郎さんの作品「朝の光に」である。
事件から18年目の2018年、あるテレビ番組が西鉄バスジャック事件を特集した。この番組をきっかけに、著者は猪一郎さんと初めて事件について話をした。それまでは祥月命日や盆暮れに塚本家にお参りには行っていたものの、事件の話は一度もしたことがなかったという。
番組で猪一郎さんは、「少年」が5年4ヵ月で医療少年院を出所したことに疑問を呈していた。そして、かつて医療少年院から面会の要請があったこと、その際、遺族の声を聞いて罪の意識を持たせたいから少年と会ってほしい、と言われたこと、それに対して「立ち直らせたり罪の意識を持たせるために、被害者を利用するんですか?」と反発したことを語っていた。
遺族はずっと苦しんでいた。にもかかわらず、自分は「少年」を擁護する発言を繰り返してきたと著者は振り返る。
〈加害者を赦すことができるか〉この問いに答えるのはとても難しい。加害者と対話する著者も、拒絶した猪一郎さんも、それぞれが事件後の過酷な年月を生き直す中で、このような「答え」に至っているのだ。読者にできるのは、「自分だったらどうするか」と考えることしかないのかもしれない。
「幸せな家庭」」や「希望にあふれたこれからの人生」を破壊された被害者が立ち直るのにはただでさえ長い時間がかかる。人によっては一生かかるかもしれない。
もし愛する人や自分が犯罪に巻き込まれたら……。加害者に対する怒りや憎しみの先にあるものを、まだ私自身はイメージできないでいる。