新聞や放送局といった組織に属する記者と、フリーランスのジャーナリストの立場は全く違っている。大手メディアを背中に負う取材陣は恵まれた立場にいることをもっと自覚すべきだろう。
思いもかけない不幸に見舞われた人たちが、取材に来たと言われてはじめて会う人を信用する担保は、出された名刺の○〇新聞、××テレビという肩書しかない。どんなに著名で優秀な書き手でも、どこの誰だかわからない輩を信じて話をする人など、まず居ない。大事件や大災害について語りたいことがあればあるだけ、信用するに足る人を選びたい。それは当然のことだ。
それなのに、その有利な立場に甘えてろくに人の話を聞かず、いわゆる「飛ばし記事」が出ることも少なくないのはもったいない話だと残念に思っている。
だから、大手メディアに所属する記者でありながら、一人の優秀なルポライターとしての資質も兼ね備えている三浦英之のような書き手を読者は求めている。
2022年の夏、三浦は勤務先の盛岡市内でモンゴル人青年から「東日本大震災で亡くなった外国人犠牲者の数を日本政府は正確につかめていない」と聞く。調べてみると厚生労働省と警察庁が発表しているデータが違っていた。「津波で亡くなった外国人を取材できないか―」。長い年月地元に住み、人脈を築いて信用を得ていなければできない詳細な取材の成果が本書である。
三浦の作品を最初に読んだのは第13回開高健ノンフィクション賞を受賞したデビュー作『五色の虹満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社文庫)である。傀儡と言われた満州国だが、それでもこの国に世界平和の夢と希望を求めた各国の若者たちがいた。その人々の現在までの歴史を詳細に追ったこの本は、朝日新聞記者という立場が無ければここまでの完成度を見ることはなかっただろう。
だからこの時は少し反感もあった。放送局のディレクターなどでも、素晴らしい紀行文やノンフィクションを書き上げている人は多いが、「フリージャーナリストにはできないことだよなあ」と斜に構えてみていた。
だがその後、フリージャーナリストの布施祐仁氏との共著である『日報隠蔽 自衛隊が最も「戦場」に近づいた日』(『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか」を文庫化の際、改題)(集英社文庫)を読んで、考え方を大きく変えた。
この作品は自衛隊が行った南スーダン国連平和維持活動日報の隠蔽と日本の政治家たちの暗闘を、日本とスーダンの現場の二拠点で、立場の違う二人がそれぞれの持ち場で真実を追った迫真の作品だ。稲田朋美防衛大臣を辞任に追い込んだ事件といえば思い出す人も多いだろう。
この本で三浦は新聞記者の立場を大いに生かして真相を明らかにしていく。痛快な本だった。「この人、やるじゃない!」とその後は、目についた本は必ず読むことにした。
本書は東日本大震災で被害にあわれた外国人の足跡を丁寧に追ったルポルタージュだ。
毎年3月11日が近づくと「あの日どこでなにをしていた?」という話が必ず出る。私は地元の税務署に確定申告を出しに行った帰りで、下校途中の小学生たちを線路沿いの開けた場所へ誘導し、そこで電線が大縄跳びのように回っているのを見ていた。
三浦は震災直後に宮城県南三陸町に転勤を命じられ、そこに駐在し取材した日々を朝日新聞に連載。『南三陸日記』(集英社文庫)として後日上梓した。瓦礫に埋もれた町から動き出した人を、目で見て感じて言葉にした。身分保障された新聞記者でなければできない仕事で、イコールそれは三浦にしか出来ない仕事でもあったと思っている。
被災地取材で培われた人脈と信用によってもたらされた情報があって初めて、本書で紹介されている8人の外国籍犠牲者のひととなりと最期の様子を明らかにすることができたのだ。
あの震災による外国籍犠牲者の数が思いのほか少ないように感じる理由も理解できた。そして亡くなった彼らを哀しむのは同胞だけでなく、地元の人たちにもたくさんいることを知った。
東日本大震災関係の取材を続ける一方、かつて駐在したアフリカで、象牙の密輸を追った『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』(小学館文庫)や進出した日本企業の社員と現地女性との間に残された子どもについて『太陽の子 日本がアフリカに置き去り日した秘密』(集英社)で明らかにし、高い評価を得ている。(第22回新潮ドキュメント賞 第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞 W受賞)
2024年元旦にも北陸地方で大震災が起こった。
三浦が明らかにしてきた災害日本の現状は、きっと北陸の震災やこれから先の災害の役に立つと信じている。(「波」 2024年3月号 より転載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・