記憶の風化を止めるには新しい世代に記憶を移植するしかない。誰かに継代されることで災害の防御にも繋がっていく。
『災害の記憶を解きほぐす』(新曜社)は関西学院大学社会学部、金菱清ゼミの学生たちが、28年前に起こった阪神淡路大震災の体験者たちに当時と現在の状況、その間の経緯を取材しまとめた一冊だ。
金菱清教授は東北学院大学在籍中、専門の災害社会学研究の一環として、学生たちに東日本大震災の記憶を取材させるというプロジェクトを立ち上げた。タクシー運転手が亡霊を乗せたことが話題となった『呼び覚まされる霊性の震災学』(新曜社)など、すでに8冊が上梓されている。
関西学院大学ではさらに時代を遡り、阪神・淡路大震災の経験者を対象とした。
東日本大震災は、幼いとはいえ取材者の中に経験者はいる。だが28年前となると、学生にとっては既に歴史だ。
とはいえ神戸に近いこの大学なら、身近に体験者は多い。学生も十数人亡くなったそうだ。
取材先は、中学生の娘の遺骨を自宅の祭壇に祀る家族、幼い双子の片方を亡くした母、被災時の怪我によって高次脳機能障害となった女性、震災のことを日常的に語りあう和食屋などで、九章が収められている。すべて市井の人々の28年の道程だ。
語ることは記憶を掘り起こすこと。文字にすることも大事だが、誰かの脳に移植することで、教訓は残っていく。それを鮮明に見せてくれたレポートであった。
風化できない、胸に深く刻まれる記憶の多くは戦争によるものだろう。日本のように平和が80年近く続く国など稀だ。
園部哲『異邦人のロンドン』(集英社)はイギリス在住の日本人翻訳家が、知人や友人たちとの会話や生活から、人種のるつぼであるロンドンの実態を観察したエッセイ集だ。
すでに住人の40%以上がイギリス以外の出身者というロンドンの町。国を追われ逃げ込んできた人も少なくない。現在でも命をかけて飛行機の車輪にしがみついて乗り込み、到着直前に車輪格納部が開いた瞬間、地上に墜落する人が頻発するという。著者の友人にも、世界各国で起こったクーデターから逃げてきた知識人たちが多い。懐の深いロンドンの魅力だろう。
それまで黙っていた出を、このコロナ禍のロックダウン後に明かした人々は、人は決して一人では生きていけないのだ、ということを教えてくれる。
印象的だったのは著者が家族ぐるみで付き合う香港生まれの中国人ファンドマネージャー、オリヴァーの話。それぞれの夫婦全員の民族は違うが、全員日本で生活した経験があるため、共通の話題には事欠かない。
彼の日本人観にハッとさせられた。エトランジェの町で生きる者同士だからこそわかり通じる新しい視点は、これからの日本が強く求めているものだと感じた。(小説新潮12月号)
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