ロビン・ダンバーは、彼が提唱した「ダンバー数」とともに、その名が広く知られている研究者である。ダンバー数とは、ヒトが安定的に社会的関係を築ける人数のことであり、具体的には約150と見積もられている。ダンバーは、霊長類各種の脳の大きさ(とくに新皮質の大きさ)と集団サイズの間に相関関係があることを見てとり、ヒトの平均的な集団サイズとしてその数をはじき出したのであった。
さて、そんなダンバーが本書で新たな課題として取り組むのが、「宗教の起源」である。人類史において、宗教はどのようにして生まれ、どのように拡大を遂げていったのか。宗教に関する広範な知識に加えて、専門の人類学や心理学の知見も駆使しながら、ダンバーはその大きな謎に迫っていく。
ダンバーも言及しているように、現生人類の歴史のなかで、宗教は個人や社会に対していくつかの利益をもたらしてきたと考えられる。その代表的なものを5つ挙げるとすれば、(1) 世界を説明する枠組み(原始的な科学)、(2) 医療的介入(呪術医による治療など)、(3) 人々の協力の促進、(4) 政治的抑圧の手段、(5) 共同体の結束、となろう。では、これら5つの利益のなかで、とりわけ宗教の起源と発展に深く関わってきたと考えられるものはどれだろうか。
ここで非常に興味深いのが、議論の出発点がダンバー数となることである。冒頭で述べたように、安定的な社会的関係を維持できるヒトの集団サイズはおよそ150人(幅をもたせるなら100~200人)だと考えられる。それゆえ、ヒトの集団サイズがその数を超えて大きくなることは、じつはけっして簡単なことではない。その理由は単純にして重要である。集団のサイズが閾値を超え、自分の知らないメンバーがそこに含まれるようになると、心理的ストレスや物理的な衝突が著しく増大してしまうのだ。
だがその一方で、集団のサイズが大きいことにも明白なメリットがある。集団の規模が大きければ、外敵に対して優位に立つことができるし、より実りの多い分業をすることもできるだろう。ゆえに問題は、集団のサイズが大きくなることと、集団内のストレスが高まりがちであることに、どう折り合いをつけるかである。
ダンバーによれば、その解決策を与えたのが宗教にほかならない。そして、宗教がもたらした利益のなかで最も注目すべきは、共同体の結束である。宗教は共同体の結束を強める。そしてその結果として、集団内のストレスが抑制され、ヒトの集団はより大きな規模に成長することができた、というのである。
そのように、共同体の結束を媒介項として、宗教と集団サイズは分かちがたく結びついていた。しかもダンバーにしたがえば、両者の関係は一度限りのものではないし、一方向的なものでもない。むしろ、宗教は歴史のいくつかの段階をとおして集団の大規模化を促進してきた。また、集団がより大きなものになると、それに応じて宗教もより複雑なものに発展するという事実も存在する。
本書は、そうした事実を丹念に裏付けていくことに多くの紙幅を割いている。以下では、そのなかでもとくにおもしろいと思われる議論をひとつ紹介しよう。それは、宗教儀式とエンドルフィンの分泌に関するものだ。
脳のなかで分泌されるエンドルフィンには、いくつかの効果があると考えられている。そしてそのひとつが、結束感を強めることだ。他者と接している際にエンドルフィンが分泌されると、相手への帰属意識と信頼感が生まれ、相手との強いつながりを感じるようになる。
そんなエンドルフィンをたくさん分泌させる行動のタイプがある。「笑うこと、歌うこと、踊ること、感情に訴える物語を語ること、宴を開くこと(みんなで食事をして酒を飲む)で、最後に忘れてはならないのが宗教儀式だ」。
原初的なシャーマニズムから複雑な教義宗教まで、宗教と呼ばれるものには何らかの儀式が備わっている。みんなで歌って踊ったり、感情を揺さぶるような説教をしたり、会食をしたり。そしてそのような宗教儀式は、まさにエンドルフィンの分泌を促進するものになっている。
さらに言えば、宗教儀式によく見られる行動の同期性も、エンドルフィンの分泌を促進する。たとえば、ボート競技のトップ選手では、ひとりではなくチームで漕いだときのほうが、その分泌量が増加する。結論を言えば、エンドルフィンの分泌を促すそうした行動の要素を採り入れることで、宗教は集団の結束を強めてきたのである。
というのが、本書の議論の骨格と、とくに興味深いトピックのひとつである。ほかにも、メンタライジング能力と宗教的信念、「高みから道徳を説く神」の出現、さらにはカルトが形成される過程など、興味深い議論が尽きない。そのトピックはじつに豊富で、著者の博識ぶりに驚かされることもたびたびである。
先に述べたように、本書の核となる議論はダンバー数から始まる。思えば、ダンバーはこれまで一貫して、集団サイズの拡大とともに生じたヒトの認知能力や社会組織について論じてきた。毛づくろいに代わる手段としての言語、そして言語のうえに築かれた宗教、というように。それらの議論が組み合わさって、長く延びる一本の糸が浮かび上がってくるさまには、これまでの本を読んだ人ならなおさら興奮を覚えてしまうことだろう。
本書が多くの読者を魅了しうるものであることについては、わたしの説明など不要であるかもしれない。本邦訳書は、発売以来多くの読者を獲得しているようで、Amazonランキングでも高順位をキープしている。本書が最終的にどれほど多くの読者を獲得するのか、個人的にも興味を惹かれるところである。
集団サイズが大きくなるなかで、毛づくろいに代わるコミュニケーション手段としてヒトの言語が生まれたと論じる本。ダンバー数についても詳しい。