この『未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン』はその名の通りジョン・フォン・ノイマンの伝記である。1903年生まれの1957年没。数学からはじまって、物理学、計算機科学、ゲーム理論、気象学など幅広い分野で革新的な成果をあげつづけ、史上最高の天才など、彼を称える言葉に際限はない。彼と同時代を生きた人物に、クルト・ゲーデルやアルベルト・アインシュタインなどそうそうたる人物が揃っているが、その三人すべてを知る人物も、フォン・ノイマンが飛び抜けて鋭い知性の持ち主だと思っていたと語る。
実際、それが誇張表現ではないぐらい彼が一人で成し遂げたことは凄まじかった。たとえば子どもの頃、フォン・ノイマンは古代ギリシャ語やラテン語をマスターし、母語のハンガリー語だけでなくフランス語、ドイツ語、英語も話した。45巻の世界史全集を読んで、それから何十年も経った後でも第一章の内容をそらんじることができたという。晩年に至ってもその能力は衰えない。『フォーチュン』誌の1955年6月号に掲載された「我々はテクノロジーを生き延びられるか?」と題されたエッセイでは、遠隔通信の発展による紛争のエスカレートと共に、石炭や石油を燃やすことによる二酸化炭素の排出がこの惑星を温暖化させることへの危惧も語られている。
彼は気候変動への危惧をのべるにとどまらず、表面の塗装によって太陽光の反射量をおさえ、地球を意図的に暖めたり冷やしたりする発想──今で言うところのジオエンジニアリング──を語っている。しかも、そうした高度な気候制御は、想像だにされたことのない気候戦争の各種形態に適しているとまで指摘しているのだ。彼に関しては、この手の逸話にことかくことはない。
コンピュータへの貢献、ゲーム理論やセル・オートマトン理論の想像など、何が必要なのかを把握し、未来からやってきとしかいいようがないぐらい、現代に必要な技術や概念をもたらした男なのである。それはもちろん原子爆弾のような破滅的な産物ももたらしたわけだが、それも含めてわれわれの生活の至るところに彼の痕跡が残されているからこそ、死後70年近くが経つ今でも彼のことを知る意義は大きい。
今や科学者、発明家、知識人、政治家に取り入れられてきた彼の見方や発想の影響は、人類という種は何者なのかについての私たちの考え方に、私たちの社会的および経済的な相互交流に、さらには、私たちを想像を超えた高みへと引き上げる可能性もすっかり破滅へと導く可能性もある機械にまで及んでいる。身の回りに目を向ければ、ジョニーの指紋が至るところに付いていることがわかるはずだ。
xiii はじめに
フォン・ノイマンが成し遂げてきたこと。
彼の成し遂げてきたことの要約をすると、最初の大きな業績は量子力学の数学的な土台の構築に貢献したことだ。それが22歳の時。その後、1930年にアメリカに移住し、いずれ戦争が起こると予測していた彼はその時に備えて弾道や爆発の数学を研究。その功績もあって後に原子爆弾開発・製造のためのマンハッタン計画にもオッペンハイマーからじきじきに請われて参加し、ここでも当然目覚ましい成果をあげている。
たとえば、ロスアラモスで原子爆弾の開発に携わった科学者が大勢いるなか、「リトルボーイ」を上回る威力の「ファットマン」がプルトニウムコアの圧縮によって起爆するよう爆薬の配置を定めたのはフォン・ノイマンだった。
xi はじめに
計画に加わったのと同年に、経済学者のモルゲンシュテルンとともにゲーム理論に関する研究も行っている。ゲーム理論は囚人のジレンマやナッシュ均衡とともに今では経済学の分野で名前をきくことが多いが、応用範囲は政治学、心理学、進化生物学(まだまだあるが)と広く、今もなお「対立と協調」を数学的に考えるにあたって重要な概念である。これでも彼の業績は終わらない。
設計に携わった原爆が広島と長崎に投下された後、フォン・ノイマンは電子計算機の開発に向かうことになる。爆弾から計算機への転身は領域としてかけ離れているようにも見えるが、無関係ではない。フォン・ノイマンは30年代から計算処理に関する関心を抱いていたが、それは弾道計算や爆発のモデル化に必要となる計算量が膨らんでおり、当時の卓上計算機の力が及ばなくなるとすでに見込んでいたからだ。
フォン・ノイマンはプログラム内蔵型コンピューターの構成をはじめて記述することになるが、その構成には5つの「器官」が存在する。加算や乗算などの演算を行う「中央演算」装置、命令が適切な順序で実行されるように制御する「中央制御」装置、コンピューターのコードと数値を格納する「記憶」装置。残りの二つは「入力」と「出力」装置だ。彼が作ったフォン・ノイマン型アーキテクチャは今なおコンピュータ(スマホもノート/デスクトップPCも)の基本的な構成法の一つであり続けている。
また、単にコンピュータを作るにとどまらず、情報処理機械が特定の条件下で増殖、進化できることも1948年の講演で示し、こちらはオートマトン理論として結実していくことになる。『その後、脳とコンピューターとのあいだに見られる仕組みの類似点に関する彼の思索が、人工知能の誕生に一役買って、神経科学の発展に影響を及ぼした。』(xii)フォン・ノイマンの実績は多くはすぐに実用化や役に立てられてきたが、この分野で彼が構想したものの真価が発揮されるのは、今よりさらに未来になるだろう。たとえば、自己複製を繰り返し指数関数的にその数を増しながら宇宙を探索する探査機を考案したのも、この男なのだ。
フォン・ノイマンの最後
どんな天才であっても病には勝てない。彼は1955年に骨肉腫を発症し、そのままあれよあれよというまに転移は進む。娘のマリーナが死に向かう父にたいして、「何百万人という人を死に追いやることについては平然とじっくり考えていられる」のに、「自分が死ぬことになるとだめなのね」と問いかけたがこれにたいしてフォン・ノイマンは、「それとこれとは全然違う」と答えている。
ノイマンは日本人の戦争意欲を完全に喪失させるためには、歴史的文化的価値が高い京都に原子爆弾を投下すべきだと主張するなど、目的を達成するための合理的思考がいきすぎた人物でもあった。本書には彼の善性についても触れられているが、どちらか一側面だけの人間というわけではないのだろう。そうした、天才の複雑性が、本書にはしっかりと描き出されている。
最後にがんは脳に転移し、知力は徐々に落ち、7+4のような単純な計算問題も解くのが難しい状態だったという。誰よりも頭の回転が早かった男は、その頭が働かなくなっていった時に何を考えたのだろう。
HONZでも過去にフォン・ノイマンについての本の書評が書かれている。
また、本書とどっちを(HONZで)紹介するか悩んだ、最近読んでおもしろかった本もついでに紹介しておきます。