『空想地図帳 架空のまちが描く世界のリアル』最高密度かつ圧倒的熱量の密室趣味

2023年6月30日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
作者:今和泉 隆行
出版社:学芸出版社
発売日:2023/6/16
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

思い出話だが、評者は小学生のとき、空想の街を考えるのが好きだった。自由帳にRPGの地図ような架空世界を描いたり、家にあるレゴブロックやオモチャを並べて街に見立てたり。シムシティやシティーズスカイラインといった街づくりゲームにハマり、寝食も忘れてプレイした記憶もある。

そうした、実在しない街や地域を大人になっても地図に描き、追究し続ける人々がいる。それも、描き方だけでなく、地理、地形の形成、歴史、都市計画といった広範な専門知識をインプットしてフル活用し、ぎょっとするほど緻密でリアルな世界を創造している。本書はその驚異の空想世界の数々と製作方法をレクチャーする贅沢な地図帳である。いやこれ、本当にわくわくするので、書店に行ってめくってみるなり購入するなりして早急に現物を見てほしい。

さて、どれほど緻密なのか。本書ではまず16人の空想地図作者による作品が紹介される。いくつかピックアップしてみよう。

一番手は「北神公国連邦」だ。複数の公国で構成される連邦国家で、ほとんどが冷帯気候。南羅共和国と陸路で国境を接する。日本との近似性は約70%、地形は青森県っぽいが、国なので人口は2800万人である。北部の経済が発展しており、札蘭湾を挟んだ東部は火山帯となっている。湿地帯やカルデラ、リアス式海岸もあり、自然風景に富んだ国家である――。

と、各地の都市から山脈、盆地、山の名前まで微細に描き込まれた400万分の1の縮尺地図をじっくり見たが、次のページを開くとこの北神公国連邦を含む世界地図が登場するので腰を抜かす。しかもプレートから気候区分、海流に至るまで設定され、固有名称も付いている。さらには季節ごとの気圧と風向、平均気温、降水量のデータも完備。空想地図の究極形は地球相当の世界構築だそうだが、信じられないほどクリエイティブである。作者は北神公国連邦のホームページを公開しているので、ご覧いただきたい。

設定が込み入った都市地図もある。「多奈崎市」は、日本の地方都市のような街で、人口36万人、周辺を険しい山と海に囲まれている。中心には多奈崎城があり、旧武家地は官庁街とビジネス街に、城下町の旧町人地は商店街として発展。独自の文化も生まれたが、大都市部への人口流失が続いている。

こちらも、大通りの名称から、町名、番地、信号名などなど細かく決められ、本当にこういう都市が存在しても何らおかしくない完成度となっている。この作者もホームページで空想地図を紹介しているが、驚くのは、行政データや食文化紹介、ショッピングモールのフロアガイド、テレビ番組表までも生み出していることだ。語彙力のない表現で申し訳ないが、凄い熱意である。

他にも、大半がAdobe Illustratorで描画するなか、手描きでみっちり描き込む方がいたり、横山秀夫『64』の舞台で、NHKドラマ版の小道具として作成された地図があったりと、どれもこれも紹介したくなる。が、キリがないので割愛。ご自身で確かめられたい。

本書の後半では、著者の今和泉氏が手掛ける「中村市」を入念に読み解いていく。今和泉氏は7歳の頃から空想地図を描き始め、大学時代には300都市を回って全国の土地勘を身に着けた人物であり、通称は「地理人」。テレビドラマやゲームの空想地図製作・監修も行っている。

この中村市だが、著者によると30年以上試行錯誤と修正を繰り返しているそうである。最初は半径1kmの範囲に農地や団地、高速道路を収めたが、大都市でないと開通しない地下鉄があり、矛盾が生じる。修正ペンで直す場合もあるが、結局は何度も全部描き直し。運河を走らせたり再開発地を設けたりと実験もしたが失敗。やがて作成はPCに移り、城下町考証、等高線の自主トレ、道路網修正を経て、少しずつ形になっていく。空想であっても矛盾や非現実性を見過ごせないとは、並々ならぬ思いである。

それでも学習力の限界を感じた著者は、「空想測量会議」として、識者の意見をもらいにうかがう。地形について、地理学科の大学教授に。歴史について、地理学研究会や測量会社勤務の人に。都市計画について、都市工学専攻の人に。このブラッシュアップの過程も読み応えがありおもしろい。

そうして見てくると、やはり自分でも描いてみたくなる。ご丁寧に、本書は「空想地図塾」と称して、空想地図の描き方手順も教えてくれる。最初は描きたいように描いて良いが、技術向上を図ろうと思えば様々な知識が必要となってくるあたり、イラストや漫画、小説のような創作活動とよく似ていて、奥深い。

本書のコラムによれば、空想・架空地図は数百年の歴史があり、現在判明している日本最古の空想地図は1745年に本居宣長が作ったものだという。彼は若い頃に6枚の空想地図を作成し、そのうちの一つは「端原氏城下絵図」と呼ばれる、実在しない氏族の城下町を描いている。密室趣味とはいえ著名人も古くからやっていたのだから、我ら現代人が躊躇うことはない。暇を持て余している人なら尚更だ。ペンと紙があればすぐに始められる。

著者はこう述べる。

空想地図は、地上世界の形成と人間社会の大局的な流れを一人で再現できる、最も手軽なアウトプットと言えよう。

芸術作品としても楽しめ、創造する喜びも垣間見えて、まちづくり・都市計画の実用書としての側面も持つ。多様なジャンルを横断・内包する本書は、帯の惹句どおり最高密度のジオフィクションである。そして、空想地図製作者たちの圧倒的熱量を存分に味わえるノンフィクションでもある。ぜひ堪能してほしい。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!