著者の田中ひかるさんは、以前にも『明治を生きた男装の女医-高橋瑞物語』というノンフィクションを書かれています。こちらについては、仲野先生がレビューを書いていらっしゃるのでそちらをご参考にどうぞ。
今回は自ら看護婦となり、その制度を整え後進を育てることに尽力した女性の物語です。
今作の主人公、大関和(ちか、と読みます)は、幕末の下野国で藩の家老の娘として産まれました。藩主は自分でも外国語を学び、様々な新しい事に取り組んだ立派な人だったようです。和は、早いうちから藩主の洋装を見「英語を教えてあげよう」と、学ぶ事の大切さを説かれて育ったようです。
しかし時は幕末、激動の時代に巻き込まれ大関家も没落の憂き目に遭うことになりました。家老の家という家柄が故に、幸せでない結婚をし、苦労をし、二人の子を持つものの早くして離縁、シングルマザーとなって…と苦労を味わいます。男女が平等ではなかった時代特有の苦労も多くありました。
東京に出てきた大関家、和が家を支えるために女中として働きに出た先で、雇い主に誘われ英語を学ぶことになります。その後、キリスト教の教えに触れる中で、ナイチンゲールの存在や看護婦という仕事を知ることになります。今はもう「看護婦」という言葉もなくなりましたが、当時は看病婦と呼ばれていたのだそうです。専門知識がなくても出来た、というだけではなく、賤業とされ忌避されていた仕事でした。
しかし、和はナイチンゲールの教えから医師だけではなく、看護する人たちの技能向上が人の命を救うことに繋がるという事を知っています。知識は信念に変わり、そのまっすぐな心と性格の全てを「看護婦」の職業化、専門技術化に傾けることになるのです。もちろん平坦な道のりではありません。愚痴をこぼしながらも諦めず、周囲の人たちも巻き込んで生きていく和の姿には何度か胸を熱くさせられました。
困難に立ち向かう彼女と出会い、晩年までを支えたのが相馬愛蔵・黒光夫妻だったということなど、歴史上の人物との交流も読みどころの一つです。
女性が偉くならないのは、ロールモデルがないからだ、という話をされたことがあります。そもそも、女性のロールモデルは女性じゃないとダメなんでしょうかね。などなど、平素は色々言いたいこともあるのです。が、これを読んで反省しました。
和が生きた時代、日本には、自分の道の前を照らしてくれるような存在はいません。
ただ、世界を見渡せば、世の中を大きく動かす、自分と同じような矜持をもって生きているナイチンゲールがいる。そして彼女が書いた書物がある。ナイチンゲールの教えを享受するために、同じ志を持つ女性たちがアタマを突き合わせて本を翻訳しているところは、本当に素敵なシーンでした。
あぁ、これこそ「ロールモデル」なんですね。
女性の活躍の指針として数値目標が掲げられました。
目標値を置くこと自体を否定することはありませんが、数値目標の達成は本質ではありません。こういう風に「何をやるべきか」「なにを成し遂げたいのか」という、熱いものを持つ女性が増えていくことが必要なのだと思うのです。
日本にもこんな頑張りをしてくれた、世に誇れる女性の先人が沢山いるのに、まだまだ世界の偉人に知名度では叶いません。この本を通じて、日本の看護技術の向上に取り組んだ大関和と彼女の仲間たちの取組が知られていったら嬉しいと思うのです。