科学はいまだに法律に導入されない 『人を動かすルールをつくる──行動法学の冒険』

2023年6月28日 印刷向け表示
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作者: ベンヤミン・ファン・ロイ,アダム・ファイン
出版社: みすず書房
発売日: 2023/5/18
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わたしたちは法律や条例などのルールに囲まれて生きている。そして、それらの多くがわたしたちを深刻な危害から守ってくれていることは間違いない。だがその一方で、何らかの理由でルールがうまく機能していない場合も少なくない。ほとんどのドライバーが守っていない、ある道路での速度制限。日々新たに報じられる、企業のコンプライアンス違反。では、そうした一部のルールがあまり守られないのはどうしてだろうか。

本書はその問題に真正面から挑んだものである。ただし、その挑み方は従来のものとは異なる。本書は、「どうして人はルールを守らないのか」と問うたりはしない。そうではなく、人に一定の行動傾向があることを前提として、「どうして法的ルールは人の行動を改善できないのか」と考えるのである。

わたしたちには一定の行動パターンがある。そしてそれらについては、認知心理学や行動経済学といった分野で知見が蓄積しつつある。ならば、そうした行動科学の知見を活用して、一部のルールが機能しない理由を明らかにするとともに、ルールをより効果的なものに変えていくことができるのではないか。そんな試みをする研究がおもしろくないわけがないし、実際に本書は格別におもしろい。

本書は、刑事処罰、インセンティブ、道徳、社会規範といった点から、法的ルールのあり方について検討している。以下では、最初の刑事処罰に関する議論(第2章)を追っていこう。

厳罰化に抑止効果はあるのか

許容しがたい犯罪が報じられるたびに、それらに対する処罰を強化すべきだという声が挙がる。そうした主張は、単に報復や被害者への償いを求めているわけではない。それは、「処罰を強化すれば犯罪の抑止になる」という考えを推し進めるものでもある。しかし、その考えは本当に正しいのだろうか。

じつは、厳罰化が抑止につながるという証拠は見つかっていないのだという。実際、犯罪者を刑務所で服役させたとしても、出所後の再犯率はきわめて高い。しかも、これまでに行われてきたいくつかの研究によれば、拘禁された犯罪者と、同様の犯罪で社会内処遇を受けた犯罪者とを比較すると、なんと前者のほうが再犯率は高い。それゆえ、控えめに言っても、「拘禁に特別な抑止効果がある証拠は存在しない」。

さらに、具体的なケースとして、三振法の適用について見てみよう。三振法(three-strikes law)とは、1990年代にカリフォルニア州などで施行された法律であり、「重罪の前科が2回以上ある者が3度目の有罪判決を受けた場合、その者に非常に重い刑を科す」ことを特徴とする。この法律のもとでは、たとえ3度目の犯行がゴルフクラブの万引きであったとしても、その人に終身刑や数十年の懲役が宣告されることもある。

では、そのような厳しい法律には抑止効果があるのだろうか。両論があるものの、大半の研究にしたがえば、残念ながら三振法には抑止効果がないか、あるとしても非常にわずかである。いや、それだけではない。その法律は負の効果と言うべきものも伴っている。犯罪者が3度目の重罪を犯す場合、三振法のもとではその犯罪がより凶暴になってしまう傾向があるのだ。行動経済学者のレイ・フィスマンの議論を借りながら、本書はその点をうまく説明している。

重罪を2度カウントされている人は、3度目の犯行を決断するときはダメでもともとと考えるので、それが三振法を機能させない一因だとも考えられる。…ここで、あなたにとって唯一の選択肢は法律を破ることだと仮定しよう。金がないので、盗みを働かなければならない。するとつぎに、労力から最大の価値を引き出す具体的な方法が問題になる。「地元のプロショップからゴルフクラブを万引きするか、それとも銀行強盗を働いたほうがよいか。銀行強盗で手に入れる金額のほうがずっと大きいが、どちらも刑罰は変わらない。銀行強盗で捕まれば刑務所に数十年間放り込まれるが、万引きを3度目の犯罪としてカウントされれば刑期は同じだ」とそろばんをはじく。…どちらを選んでも三振法が適用されるのだから、デカいことをしてやろうと考えてもおかしくない。

というように、わたしたちの行動パターンは、「処罰を厳しくすれば犯罪が減る」という単純なものではない。ゆえに、「厳罰化が期待通りの抑止効果を発揮する可能性には合理的な疑問がある」のだ。

そして行動法学へ

では、いったいどんな対策が犯罪を抑止しうるのだろうか。また、法的ルールをより効果的にするためには、インセンティブや社会規範などの影響力をどう加味すればよいのだろうか。それらの点をめぐって、本書では引き続き刺激的な議論が繰り広げられている。そしてそこでの議論では、ダニエル・カーネマンのいう「システム1」や「システム2」なども登場する。そう、そんな議論がおもしろくないわけがないだろう。

ところで、著者たちの問題意識は、一部の法的ルールがうまく機能していないことにあった。そして、それらが機能していない主たる原因は、法律が行動科学の知見を汲み取っていないことにあった。この点に関する著者たちの認識はじつにシビアである。

この40年間に得られた科学的洞察の結果、人間はどのように行動し、なぜ不正を行なうのかという疑問への理解は劇的に深まった。ところが、科学はいまだに法律に導入されない。

私たちの法律コードの考案や運用に関わる法律家は、社会科学や行動科学を必修として学ぶ機会がまずないので、人間の不正行為についての判断を直感に頼らざるを得ない。しかしその多くは間違っていることが、実証研究によって証明されている。人間の行動を司る最も重要なソースコードとも言える法律コードを、行動科学に関してずぶの素人の手に私たちは委ねてしまった。

そして、こうした認識のもとで著者たちが掲げるのが「行動法学(behavioral jurisprudence)」である。それが何を目指すものであるかは、もうおわかりだろう。

行動法学は、行動経済学がそうであったように、大きなインパクトをもたらしうるのか。それの今後の展開に期待を抱きつつ、久しぶりにドキドキしながら読んだ本である。科学によるenlightenmentを支持する人たちに広く本書をおすすめしたい。


「システム1」と「システム2」についてはこの本に詳しい。認知心理学や行動経済学という分野にとどまらない影響を及ぼすに至っている。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!