スウェーデンのある地域でのこと。小学校低学年から10代後半までの子どもたちに、〈謎の病〉が発生している。子どもたちは最初、不安になりふさぎ込む。そして徐々に引きこもりはじめ、口数が減っていき、そのうちまったく話さなくなる。最後にはベッドで寝たきりとなり、最悪の場合、食べもしなければ目も開かなくなってしまう。そうした子どもたちの数は、2015年から2016年の間だけでも、なんと169人に達している。「あきらめ症候群」と呼ばれるこの病は、では、どうして発生しているのだろうか。
本書は、そのような〈謎の病〉の原因を神経科医が追ったものである。扱われているのはあきらめ症候群だけではない。カザフスタンのかつての鉱山町で発生した「眠り病」(第3章)や、キューバ駐在のアメリカ外交官の間で流行した「ハバナ症候群」(第5章)など、8つの章でおもに7つの病がとりあげられている。著者のオサリバンは、関係者へのインタビューを重ね、なおかつ現地のようすも観察しながら、それらの原因と考えられるものを浮かび上がらせていく。
あきらめ症候群が〈謎の病〉とされるのには理由がある。患者たちは、一定の身体症状を示しているにもかかわらず、検査を行ってもまったく異常が認められないのだ。脳波も、(ときに意識がないように見えることと反するが)あくまでも正常である。それゆえ、脳の障害などの生物学的要因によってはあきらめ症候群を説明することはできない。
ならば、心理的要因による説明はどうだろうか。神経科医たる著者は、心身症(=心理的ストレスの影響から生じる身体症状)をリアルなものとして捉えている。だが著者によれば、あきらめ症候群を心身症のひとつとして片づけるわけにはいかない。なぜなら、そのような扱い方では、あきらめ症候群の特異性がまるで説明できないからである。つまり、なぜスウェーデンだけで生じるのか、なぜ子どもだけが罹患するのかといった肝心の点が、まったく明らかにならない。その意味で、心理的要因に訴える説明はそもそも不十分だと言える。
さて、以上の点を指摘したうえで、著者は〈謎の病〉を適切に理解するためのモデルを導入する。そのモデルとは、1970年代後半に精神科医ジョージ・エンゲルが提唱した「生物・心理・社会モデル(BPSモデル)」である。その名のとおり、BPSモデルは3つの要因を強調するが、ここでとくに重要なのは最後の社会的要因である。
実際、あきらめ症候群の発生には社会的要因が大きく関係していると考えられる。すでに述べたとおり、あきらめ症候群はスウェーデンの子どもたちだけに発生している。しかもじつは、その子どもたちというのは、難民申請中の家族の子どもに限られるのである。
ここで、その子どもたちが置かれている状況を見ておこう。彼らは、その両親とともに、出身国にて文字どおり凄惨な体験をしている。その一方で、スウェーデンでは一時的に広い家が与えられ、学校に通い、友だちもいる。しかし残念なことに、スウェーデンにおいても難民認定が下るまでのハードルはけっして低くない。しかも、家庭によっては、スウェーデン語を話せない両親に代わって、子どもたちが移民局からの手紙を開封し、その内容を両親に説明することさえあるという。そのような状況下では、子どもたちの小さな心にとてつもなく大きな負荷がかかることは想像に難くないだろう。
というように、その社会環境は、あきらめ症候群に罹患する子どもたちへ大きな影響を与えていると考えられる。では、そのような社会的要因が引き金になるとして、いったいどのような経路で、最終的に彼らの身体症状が引き起こされることになるのだろうか。
著者は、ほかの病をも検証することによって、ふたつのキー・プロセスを引き出している。そのプロセスとは、「脳内にプログラムされた予期」と「病のテンプレートの身体化」である。
近年よく強調されているように、わたしたちの脳はたえず予期を形成している。何か新しい経験をする際にも、過去の経験や学習にしたがって、その内容を無意識のうちに解釈し、その後どうなるかを予測している。そしてそのような予期は、自らの健康状態に対しても適用される。たとえば、いまが冬で、ひどい高熱と全身倦怠感が生じているとしよう。あなたはただちに「インフルエンザに罹患した」と解釈するはずだ。間違っても、「悪霊に憑依された」と考えたりはしないだろう。
とはいえ、そのような予期も社会や文化に依るところが大きい。まったく異なる社会や文化に身を置き、まるで異なった経験を重ねてきたのであれば、(たとえば第2章でとりあげられているミスキートのコミュニティのように)同じ身体状態を悪霊の仕業と解釈することはありうる。そのようにわたしたちは、社会や文化に流通しているテンプレートにしたがって、自らの病や健康状態を解釈し、一定の仕方でふるまうのである。
脳の予期と病のテンプレートの影響力は、強調してもしすぎることはない。ある人が過去に咽頭炎にかかり、そのせいで話せなくなったことがあるとしよう。すると、その人が喉の痛みを感じるたびに、「また話せなくなるのではないか」という強い予期が形成される。そしてそれは、あきらめ症候群のような〈謎の病〉の場合も同様である。自分と同じ境遇の人に特定の身体症状が生じたとすれば、「自分にも同じ症状が生じるのではないか」という強い予期が形成される。そしてその強い予期のもと、その予期に適うように自らの身体状態を解釈し、その予期に適うような仕方で身体的に反応してしまう。あきらめ症候群に関して言えば、具体的にはこうである。
子どもたちは、特定の状況が起こったときに身体がどう反応すべきかを告げる事前予測を脳にコード化して持っている。人々は意識しているかどうかにかかわらず、強制送還に直面している子どもたちが無気力になり、やがて昏睡状態に陥りうることを知っていた。難民申請の手続きが「闘争か逃走か」反応をともなう情動反応を引き起こし、それに続いてさまざまな身体感覚が生じることは必然だった。子どもたちの脳は、そのような状況のせいで生じた最初の身体的影響を感じるや否やシャットダウンすべく、前もって配線されていたのだ。
以上が、〈謎の病〉の原因に関する著者の考え方である。すでに述べたように、著者はこの考え方を引き出すのに、神経科学の知見を用いるのみならず、それぞれの現地を訪問し、関係者へのインタビューを重ねている。それゆえ、本書は謎の正体に迫るルポルタージュのようにも読める。著者の筆の冴えもあって、エンターテインメント性も十分だ。
なかなか指摘しづらいことをきちんと指摘している点でも、本書には好感がもてる。子どもたちの力になりたいと思うあまり、かえってあきらめ症候群の流布に寄与してしまっている担当医師。あるいは、ADHDや自閉スペクトラム症の過剰診断と、それが子どもの未来に及ぼしうる長期的な弊害など。著者は、穏やかな口調でありながら、しかし決然と、それらの事実を指摘している。それゆえ、本書を読んでいると、わたしたちの考え方や態度について反省させられるところも少なくない。
邦題やカバーデザインが秀逸な本書。おそらくは読書体験も、それに引けをとらないものになるだろう。
精神疾患や発達障害のスティグマがいかに作られてきたかをたどる本。今回の本と訳者も同じであるし、内容的につながるところも少なくない。