今から3年前、2020年度から全国の高校で選択科目「理数探究」が新設された。生徒が問題意識を持ちオリジナルな解決策を探るという新しいタイプの授業だが、教諭が教科書を使って板書しながら教える通常の授業とはかなり異なる。
生徒一人ひとりが問いを立て、クラスで協力しながら情報を集め、議論しながら解決を探るという斬新な試みだ。本書はその新科目「理数探究」では何を学び、どのような達成を目指すのか、など豊富な事例をもとに解説する。
分子認知科学を専門とする著者は、東大教養学部などで長年サイエンスコミュニケーションに携わり、高校「理数探究基礎」教科書の編集委員長も務めた。さらに「東大超人気講義録」シリーズの『遺伝子が明かす脳と心のからくり』(羊土社)など一般向け啓発書も数多く執筆する理科教育の第一人者である。
「理数探究」の目指すところは壮大で、ドッグイヤーと言われる変化の激しい現代社会で柔軟に対応できる人間を育てることにある。確かにAI(人工知能)が席巻する現場では、スマホ一つで得られる知識を個々に暗記してもすぐ役に立たなくなる。
グローバル化と多様化が加速する中では、社会に横たわる膨大な課題から一人ひとりが解決可能なテーマを選び出し、仲間と協働で取り組める人間が必要なのだ。事実、企業と大学は高校など中等教育の現場に対して新しい教育プログラムを求めており、文部科学省も既存の他教科と連動しながら生徒の学習モチベーションを励起する教科を新設した。
具体的には、テーマを決めて必要な資料を探し、時には学術論文を読んだりパソコンを駆使したりしてデータの集計も行う。そのプロセスでは、数学や英語や理科などの教科の知識も不可欠であることに、生徒自身で気づくことになる。
それに加えて、調べたことを発表するにはプレゼンテーションの技法も必須で、準備する過程で論理の構築や話す技術を身につけることにもなる。その結果、自分は大学へ進学して何を学びたいのか、将来どんな仕事に就きたいのかなど具体的な目標設定につながることを目論んでいる。
第4章のタイトルは「サイエンスコミュニケーション超入門」で、科学を活用する技術を具体的に開示する。ビジネスパーソンに役立つノウハウが満載されているので、忙しい読者はここから読み始めてもよいだろう。
科学を伝える仕事はアウトリーチ(啓発・教育活動)と呼ばれるが、文科省は「毎年度、直接経費の概ね3%に相当する経費をアウトリーチ活動に充当せよ」(本書194ページ)という通達を2005年に出した。
これによって全国でサイエンスコミュニケーターが増えてきたのであるが、その目的は一般社会に認知してもらうこととともに後継者の育成がある。ビジネスの世界では商品の認知度を上げ売り上げを伸ばすだけでなく、こうした技術に長けた人材を未来のために養成することに当たる。
そもそもアウトリーチは、「科学者が『正しい話をしても、なかなか信じてもらえない』とこぼすことが増えた」(191ページ)ことに危機感を抱いた学者から始まったのだが、それはコモディティ化に翻弄される全ての業種に当てはまる。
私自身、基礎科学の研究者から「科学の伝道師」として地震・噴火・温暖化などの自然災害を軽減するアウトリーチに邁進するようになったのは、同様の背景がある(拙著『揺れる大地を賢く生きる』角川新書)。
ちなみに、アウトリーチは功なり名を遂げた研究者が余技でおこなうもの、といった昔風の考えがある。ところが今ではまったく通用しない。というのは、アウトリーチには基礎研究の遂行と全く同等の頭脳・体力・時間を必要とするからだ。それによって初めて社会からの要請に応えられる高レベルのアウトリーチが可能となる。
アウトリーチは、油の乗りきった現役の研究者が、本腰で取り組むべきクリエイティブな事業なのである。フロンティア研究を遂行する能力が枯れないうちに、全ての力をアウトリーチに投入する。たとえば、40歳くらいまで基礎研究の最先端で活躍し世界的な業績を挙げ、以後はアウトリーチで全力投球するのが望ましい。
これまでも熱心にアウトリーチに取り組む研究者は何人かいた。地球物理学者の竹内均東大名誉教授(1920〜2004)は、その先駆者だった(ウェゲナー著、竹内均訳『大陸と海洋の起源』ブルーバックス)。
一方、彼がアウトリーチを始めた1960年代と比べると、科学を取り巻く現在の状況ははるかに悪化している。だからこそ今後は若くてアクティブな頭脳と体力が必要とされるのだ。
もちろん、研究者の全てがアウトリーチに参加する必要はない。研究者の5パーセント程度がアウトリーチに専念すれば、現在の危機的な状況はかなり改善されるだろう。そして社会の要求するレベルのアウトリーチを行って初めて、その分野は生き残ることができる。
今やアウトリーチは科学の「フロンティア」 と言っても過言ではない。というのは、アウトリーチ活動そのものが研究に値する高度な内容を含んでいるからだ。著者と同じく私自身もやってみて、片手間でできるものでは決してないことを改めて認識している。
アウトリーチには、市民の関心を的確に把握する感受性と、それをサポートする幅の広い「教養」が必要である(拙著『武器としての教養』MdN新書)。タコツボ研究者と言われるような視野が狭くて協調性の低い研究者には、もともと無理な仕事なのだ。
科学研究に「才能」が必要なのと同じように、アウトリーチにも天性の能力に相当するものがある。文章やトークによって科学のおもしろさと重要性を伝える才能のある第一線研究者が、本気でアウトリーチ活動に参画してほしい。翻ってそれが基礎科学の大きな基盤をつくることになる。
本書でも詳しく説かれるように、科学のアウトリーチにはそれなりの理念と具体的な方法論が必要である。しかし何よりも、一般市民や中高校生に科学のおもしろさを伝えたいという「情熱」がいる。さらに「なかなか理解されなくても頑張る」という根性も大切だ。
基礎研究が後で役に立つように、生徒たちが「理数探究」で得たものは、先の人生で必ず活きる。日本列島は地震と噴火が頻発する「大地変動の時代」に突入してしまった。 こうした時代こそ「想定外」にぶつかっても解決策を見いだす能力を、新科目「理数探究」で培って欲しいと私も切に願っている。