近年、経済や情報のグローバル化が進み、地球規模で環境や格差などについて考える必要性が高まる中、従来の国民国家を前提としたナショナルヒストリーという狭い枠組みだけではなく、地球レベルで世界の歴史や秩序を捉え直すグローバルヒストリーという学問分野に注目が集まっている。
それ以前の欧米の学問的伝統では、歴史学というのはヨーロッパ諸国とそれに付随するアメリカの歴史についての研究で、それ以外のアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどは地域研究として、歴史学とは別の学問として扱われてきたのである。
グローバルヒストリーと言えば、巨視的な観点から世界を単一システムと捉える「世界システム論」を提唱したイマニュエル・ウォーラーステインの『近代世界システム』や、それまでの西欧中心史観を批判したケネス・ポメランツの『大分岐』がその典型である。
ユーラシアの文明が世界を席巻した背景を銃、病原菌、鉄という3つの要素から説明したジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』、ホモ・サピエンスが生態系の頂点に立ち文明を築いた真因について仮説を提示したユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』、過去200年以上の記録を紐解いて「資本収益率>経済成長率」を導いたトマ・ピケティの『21世紀の資本』など、歴史の大きな流れを俯瞰したものも、グローバルヒストリーの範疇に入ると言えるだろう。
人類誕生以来の人口動態に着目した研究も盛んに行われている。人口動態を使うことの優れている点は、過去の歴史分析だけでなく、将来の予測にも一定程度の確からしさをもって使えることである。
経営学者で未来学者でもあるピーター・ドラッカーは、『イノベーションと企業家精神』の中で、未来予測における人口動態の有用性について、「人口、年齢、雇用、教育、所得など人口構造にかかわる変化ほど明白なものはない。見誤りようがない。予測が容易である。リードタイムまで明らかである」と語っている。
複雑系である世界の未来を予測するのは極めて困難だが、その中でも人口というのは、かなりの確度をもって予測でき、その他の予測の前提となり得る数少ない指標のひとつなのである。
国連報告書『世界人口推計2022年版』によると、世界人口は2022年11月15日に80億人に達し、2030年に85億人、2050年に97億人へと増加し、2080年代中に104億人でピークに達した後、2100年までそのレベルに留まると予測されている。
これから2050年までに増加するであろう世界人口の過半数は、コンゴ民主共和国、エジプト、エチオピア、インド、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、タンザニアの8カ国に集中し、中でもサハラ以南のアフリカの人口の倍増が予想されている。絶対数では、インドが2023年には中国を抜いて、世界で最も人口が多い国になるという。
他方、ここ数十年の間に多くの国で出生率が著しく低下し、その結果、世界の人口増加率も急速に低下してきており、2020年には1%を下回って1950年以降最も低い水準になっている。更に、低レベルの出生率と移住率の上昇により人口が減少している国も増えており、2022年から2050年の間に61の国や地域において、人口が1%もしくはそれ以上減少すると見られている。
こうした少子化と平均寿命の伸びにより、世界で高齢化が進んでいることも併せて、国連は、世界人口の規模、構成、分布の変化は、2015年に採択した世界共通の目標であるSDGs(持続可能な開発目標)の達成に大きな影響を与えるとしている。
人口に関する古典で最も知られているのが、トマス・マルサスが1798年に著した『人口論』である。マルサスはこの中で、「幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により発生する人口過剰すなわち貧困問題は、社会制度の改良では回避できない」という「マルサスの罠(人口の罠)」を唱えた。ところが実際の歴史を振り返ってみれば、「マルサスの罠」は空気中の窒素から化学肥料を作るハーバー・ボッシュ法などの技術革新により克服され、世界の人口は過去200年爆発的に増えてきた。
世界人口は、人類の文明発祥以来、数億人規模で緩やかに推移してきたものが、大まかに言えば19世紀初に10億人、20世紀前半に20億人、20世紀末に60億人、そして現在が80億人と、近年急激な増加を見せている。
そして、本書の著者であるポール・モーランドは、人口が歴史における全ての決定要因ではないと断りつつも、人類が自らの数をコントロールできるようになった19世紀以降は、人口が歴史を動かす直接的で重要な要因になったとしている。そして、ここが本書の重要なスタートラインである。
18世紀に英国で農業・産業革命が起こるまでは、飢え、病気、災害などに抗する術を持たない人々の人生は、ひどく短く残酷なものだった。モーランドは、人口増加をもたらす強力な原動力として、①乳児死亡率、②出生率、③移民、の三つを挙げているが、公衆衛生が向上して人々の健康状態が改善されると出生数が死亡数を上回る「人口転換」と呼ばれる現象が起こり、人口が増加し始める。
1800年前後を境に、アングロサクソン(主にブリテン人とアメリカ人)は、この人口増加と産業革命の恩恵を受けて、農業生産量の増加、輸送機関の発達、公衆衛生環境の向上などを通じて、「マルサスの罠」から逃れることができたのである。
人口が大幅に増えると、人々は食料や新たな定住先を求めて海外へと流出し、定住した先でまた人口転換が起きる。こうした急激な人口増加は、まずイギリスに軍事力と経済力、更には文化力といったソフトパワーをもたらし、その結果、新大陸やオーストラリア、ニュージーランドに移民として展開し、大英帝国を築き上げていったのである。人口転換は、こうしてヨーロッパからアメリカ、オーストラリアやニュージーランド、ロシア、アジア、中東へと広がり、現在はアフリカまで到ろうとしている。
本書では、イギリスの分析に続く各章で、アメリカ、ドイツ、ロシア、日本、中国、東アジア、中東、北アフリカなどの地域を分析した後、最終章において、人口転換の最後のフロンティアとして、サハラ以南のアフリカを取り上げている。この点は、上述した国連の報告書と共通の認識である。そして、モーランドはそのインパクトの大きさを、過去40年間での最大の世界的ニュースが中国の経済成長だったとすれば、これから先の40年間のニュースは、アフリカの人口増加になるだろうと言っている。
そして、こうした地域ごとの分析を行った上で、これからの人口動向の注目すべきポイントを、①増加するグレー(人口の高齢化)、②増加するグリーン(環境に優しい世界)、③減っていくホワイト(白人の減少)、の三つにまとめている。
グレーについては、今後、出産の減少と寿命の伸びが相まって、世界が急速に高齢化する中で、平和で活気がなく低リスクな社会、そして年金と介護が負担になる社会が来るだろうと予測している。グリーンについては、これからはESG(環境、社会、ガバナンス)に代表されるような環境に優しい世界が志向される、或いは志向すべきとしている。そして、ホワイトについては、19世紀初めから20世紀半ばにかけて爆発的に増加した白人の割合が、これからは逆に、劇的に減少していくことになるだろうとしている。
因みに、本書は日本についても多くの文字を割いており、仕事と育児が両立しない文化、先進国中最下位に近い男女賃金格差という悪条件下での出生率の低下を指摘し、日本がこの超少子高齢化にどう対処していくのか世界が注目しているとしている。残念ながら、日本人自身が気づいているように、もはや日本には打つ手はほとんどない状況である。ドラッカーが指摘するように、何十年も前から分かっていたにも関わらず、日本が人口問題に手をつけないできたつけは大きいと言わざるを得ない。
このように、本書は人口という視点から近代以降の世界史を俯瞰しているのだが、これに関連して、ブラウン大学のオデッド・ガロー教授の「統一成長理論」に触れておきたい。この理論は、人類史における経済成長のプロセスを統一的に説明することを目的としている。つまり、産業革命以前の18世紀まで続いたマルサス的停滞の時代と産業革命以後の内生的・持続的成長の時代とを、ひとつの統一的な経済成長モデルとして説明しようとするものである。
これまでの経済学では、現代的な経済体制に「飛躍」できた先進諸国とそうでない国の違いは何だったのかという問いに統一的な説明を与える理論は存在しなかった。
この点について、モーランドのような人口学者は人口規模に注目する訳だが、ガローはそれだけでなく、「人的資本の形成」が極めて重要な役割を果たしたと考える。つまり、1800年以前は「マルサスの罠」で経済が停滞していたものの、その裏では生活水準の改善と教育という人的資本への投資を通じて人口における質の高い人材の割合の増加が進んでおり、これがマルサス的停滞から脱却して「飛躍」する契機になったというのである。
そして、この「飛躍」のタイミングが国によって異なり、その結果、国家間の経済格差が拡大した理由も、この質的構成の違いによるものとして説明できるとした。
日本では超少子化・超高齢化が社会問題となり、経済成長のために労働人口をいかに増やすかが議論されているが、これまではその労働力の中身については議論されてこなかった。岸田内閣の「新しい資本主義」で初めて、「人への投資」が大きな柱のひとつとして打ち出されたが、ガローの理論は正にその重要性を示唆しているのである。
一人の英雄譚として或いは共産主義革命のような唯物史観として、ストーリー仕立てで説明してきた旧来の歴史に対して、本書のような人口動態を始め、資産価格や遺伝子などの膨大なデータ解析に基づいて説明する新しい歴史学の行方に注目していきたい。