開業医さんの生活ってどんなんやろ。近所の医院の前を通りかかった時、あるいは、ちょっとした病気でお世話になった時、ふと思ったことのある人は多いだろう。といっても、たぶん、お金持ちなんやろなぁ、とか、気を遣うから大変やろなぁ、という漠然としたイメージしかわかないのではなかろうか。
医学部の出身なので医師の友人は多い。開業医の友人もたくさんいるが、その実態はよく知らない。儲けていそうなのもいれば、そうでなさそうなのもいる。けれど、さすがに聞きにくい。そんなことよりも、看護師さんをはじめとするスタッフの雇用が大変そうとか、休暇を取りにくそうとか、そういったことが気になって、自分にはとてもできそうもない。
ましてや、開業の段取りとなると想像もつかない。コンサルタントが跋扈していて、中には酷い目にあわされたという噂を聞いたこともある。ありえないことではない。ふつう、開業するというのは一生に一度しかないのだから、世間知らずの医者を騙そうという輩がいても不思議ではなかろう。
こんな疑問を明るく晴らしてくれるのが、小児科医・松永正訓先生のこの本だ。『患者が知らない』どころではない。医師でも開業経験者以外はほとんど知らないことだらけだ。ただし、前もって断っておかねばなるまい。松永先生は普通の医師ではないということを。
まず、小学館ノンフィクション大賞を受賞した『運命の子 トリソミー』や日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞の『発達障害に生まれて』をはじめ、これまでにたくさんの本を書いておられることだ。執筆は開業されてからだが、千葉大学医学部の小児外科に勤めておられるころは、臨床で手術をバリバリこなされるだけではなく、小児がん、特に神経芽腫という悪性腫瘍の分子生物学的解析で大きな業績をあげられていた。
医師のスペックもピンキリだが、松永先生はピン、それも、さまざまな方面でピンという希有な存在である。なので、本の内容も多少は割り引いて読んだ方がいいのかもしれない。もちろん、そうではなくて、開業されるみなさんこは似たようなものかもしれないけれど。ともあれ、なんともキキララ、ではなくて、赤裸々な『開業医の本音』である。
その始まりは苦しかったようだ。解離性脳動脈瘤という病気のために、大学病院での激務を離れることを決意する。研究職を探したが、適当な空きポストが見つからない。「経営のイロハも知らないし、診療報酬がいくらなのかも知らなかった。おまけにお金もなかった」けれど、開業を決意する。
大学病院の給与は高くないので、アルバイトをしなければ生計がなりたたない。小児外科というのは医師の数が少ないうえに急患が多くて副業もままならず、忙しすぎて収入には恵まれなかった。開業されたのは卒業後18年だから、40代の半ばである。さて、開業資金としての貯金はいくらお持ちだったと思われるだろう?これにはさすがに驚いた。十分だったからではなくて、わずか200万円だったから。う~ん、ちょっと少なすぎるではないか。
自己資金がほとんどなくて起業するようなものだ。ふつうに考えたらあまりに無謀である。友人として相談されたら、これまでのキャリアはもったいないかもしらんが、どこか楽に勤められる仕事を選んだらどうかと勧めるところだ。だが、松永医師はばく進する。
前作『ぼくとがんの7年』にも登場される看護師である妻の大賛成は大きかったはずだ。それに、資金調達のためのリース会社からの借金、開業場所の選定など、かなりの幸運に恵まれたとしか思えない。しかし、松永先生のハイスペックさはその間にも遺憾なく発揮される。なんと自分でクリニックの設計図をひかれたというのだ。設計士さんはこんなの初めてですと驚きながら、そのまま正式な設計図に起こしてくださったという。能力ありすぎやろ。
ここまでで全体の三分の一くらい。十分に波瀾万丈ですでに面白い。でも、いよいよここからが、開業しての本音がフルスロットルである。「開業医になって驚いた」、「小児科と耳鼻科の微妙な関係」、「クリニックの選び方、教えます」、「小児医療はなかなか難しい」、「医師としての実力」といった役に立つ話、「「医局員と院長、どっちが楽しい?」、「医師会は『弱小圧力団体』?」、「頼まれ仕事はするもんじゃない」、「『よう、儲かってる』」といった興味津々の話、さらに「やってきました、クレーマー」といったスリル満点の話などが次々と開陳されていく。いやぁさすが、先立つものは持たねども筆はむっちゃ立つだけに、どのエピソードもエッジが効いてててむっちゃおもろい!
小児外科界隈では名の知れた存在で次期教授とも目される医師が開業するというのは異例のことだ。なにかトラブルでもあって辞めざるをえなかったのではないかと勘ぐられる可能性がなくはない。いや、大学というのは噂に満ち満ちたところだから、そうなるに違いない。そういったことを避けるため、全国の小児外科の教授たちに手紙を書いた。少し長くなるが、その一部を引用したい。
決して、消極的な気持ちではなく、「ここに陸果てて海始まる」の心境で第二の人生へ漕ぎだしたいと思います。
と同時に、クリニックを開業することは私にとって目的でもゴールでもありません。クリニックをしっかりと走らせて経済的な基盤を作った後は、さらに第三の人生を模索するつもりでいます。それが具体的に何なのか今はわかりませんが、自分にしかできない仕事をまたきっと探し出したいと思います。
かっこよすぎるような気がしないでもないが、「自分にしかできない仕事」は文章を書く医師なのか、それとももっと先があるのか。これからも目が離せない。
余録:松永先生とは、『どんじり医』を読んでのエッセイを書いて以来のお付き合いです。といってもFacebookだけのことでした。しかし、この本の刊行を機会に、日本医事新報社の取り計らいでリモート対談をさせてもらえることになりました。その要約がここにアップされています。対談の様子も日本医事新報社のサイトで見ることができますので、ぜひ覗いてみてください。本には書ききれなかったことも「もう時効やから言うてもええでしょう」とか言いながら鋭く聞き出しています。対談と本、どちらが先でも十分に楽しめますから、よろしく。
小学館ノンフィクション大賞受賞作がこれ。
「どんじり」なんてとんでもない!松永先生の若き日の想い出がぎっしりつまった好著。
この本を読むまで、松永先生はマッチョ系バリバリかと思ってました。がんの治療にいかに向き合っていかれたか。すべての人の参考になる話がここに凝集されています。書評、書かせてもらいました。