「桶」である。はて、桶と聞いて何を思い浮かべられるだろう?ちょっと気になって広辞苑で調べてみた。こういうときはなんといっても電子辞書だ。さて、いくつヒットしたでしょう?
答えは、「閼伽桶」(あかおけ:仏に供える水を汲み入れる桶)から「四桶」(よつおけ:長野県筑摩地方で馬に負わせて運ぶ下肥桶。1駄に4個つけたからいう)まで、なんと97個もある。さすがに驚いた。「灰汁桶」、「冠桶」、「糞桶」、「首桶」(!)、「海月桶」、「肥桶」、「骨桶」、「用水桶」などなど、それだけ様々な用途があったということだ。なかには胞衣を入れる「胞衣桶」(えなおけ、胞衣とは胎盤や臍帯)などといった言葉まであってびっくりする。
言葉としては、「風が吹けば桶屋が儲かる」とか「湯桶読み」などがおなじみだが、実際に物として目にすることがあるのは、風呂桶と棺桶くらいだろうか。しかし、風呂桶はケロリンみたいなプラスチック製がほとんどだし、棺桶は桶ではなくて四角い箱だから、桶の定義には当てはまらない。
これも広辞苑によると、桶とはもともと「細長い板を縦に並べ合わせて円筒形の側(がわ)をつくり、底をつけ、たがで締めた入れもの」なのだ。ただし「金属製その他もある」という追記がある。ケロリンの桶だけでなく、いまや桶の材質は木以外になりつつある。
その最たるものが、この本の主題「巨大おけ」だ。味噌や醤油、酒を作るには巨大おけが必須であった。大量に液体を入れることができる構造体としては桶しかなかったのだから当然だろう。だが、その巨大おけ作製技術が絶滅危惧の状態にある。そんなこと知る人は多くあるまい。
お前は知っていたのかと言われると、ちょっとだけ知っていた。エッヘン。というのは、大阪の堺にある桶屋のおっちゃんと10年ほど前に何度か飲みに行ったことがあって、聞いた記憶があったからである。桶と樽の違いもその時に教えてもらった。この答えは各自がちょいと考えてみてちょうだい。
木の巨大おけがステンレスやFRP(強化プラスチック)の桶にとってかわられていくことを嘆いておられたのをよく覚えている。確かそのころすでに、巨大おけを作る技術があるのはうちだけでとおっしゃっていた。が、この本で巨大おけ作製技術を伝授する師匠として大活躍されるのが、その桶屋のおっちゃん、藤井製作所の上芝雄史(うえしばたけし)さんである。おぉ~っ、お久しぶりでございます。こんなところでお目にかかるとは。って、会ったわけじゃないし、先方が覚えてはるかどうかはようわからんけど。
もうひとつ、とても印象に残っている話があった。もうそろそろ引退かなとおっしゃっていたことだ。大きな桶を作るにはすごい体力が必要だという。なによりも、桶の内部を仕上げたあと、桶から懸垂して登らなければならないのが大変だと。ほぉそうなんや、腕の力がいるんやとえらく感動した。
それはいいとして、なんと、巨大おけの寿命は100年以上もあるのには驚いた。水も漏らさぬ状態がそんなに続くのだから、これだけでもすごい。すごいのだが、そのすごさが仇になっているようなところがある。いま、味噌や醤油の製造に使われている巨大おけは、新しいものでも戦前の製作だという。いくつもの理由があるが、戦後10年の間に、桶屋の数は100分の1にまで減ってしまったのが大きい。
2005年の5月、小豆島にあるヤマロク醤油で、醤油を仕込む巨大おけが壊れるところからこの本の物語は始まる。蔵ごとに異なる醤油や味噌の風味は、それぞれの蔵に棲みついている微生物の働きによる。より詳しくいうと、蔵の桶に棲み込んでいる微生物だ。木材は多孔質なので小さな孔があいていて、そこに「蔵付き」と呼ばれる独自の微生物、酵母や乳酸菌など、が入り込んでいるからだ。だから、ステンレスやFRPで醤油や味噌をつくれても、蔵付き微生物による独自の風味は決して出せない。
いくら木の桶がいいといっても、巨大おけ作製が途絶えてしまえば、どうしようもない。普通の醤油屋さんなら、あきらめて他の素材の桶にチェンジしていくところだろう。しかし、ヤマロク醤油の山本康夫さんは違った。巨大おけ作成技術が絶えそうだと聞いて、中学校時代の同級生、大工の坂口直人さんらを巻き込み、巨大おけ作りに挑戦する。この本のメインテーマは、その「木桶職人復活プロジェクト」の汗と涙の記録である。読んでいる間、ずっと、プロジェクトXの主題歌、中島みゆきの『地上の星』がリフレインしていたことは言うまでもない。(←ちょっともりました、スンマセン)
考えてみたら見事すぎる技術ではないか。曲面をつけて木をけずり、それを円く組み合わせて箍で締め付ける。そして、箍がゆるんではいけない。漏れたらダメなのだから、びっちりと。でも、締めすぎると弾けてしまうので、絶妙な加減が必要である。「箍(たが)を締める」とか「箍がゆるむ」というのが慣用句になっているのは、それだけ重要であるからだ。
桶に使う材木は杉なのだが、中でも吉野杉がベストである。箍は竹だが、真竹でないといけない。桶の側板同士をつなぐのも釘も竹だが、こちらは孟宗竹、と、長い長い歴史からベストの材料が使われている。こういったことが、巨大おけが100年以上も使える秘訣なのだ。
わくわくドキドキの巨大おけ継承プロジェクトは無事成功に終わる。ラスト、きっと、桶の中から大工さんが懸垂して出てくるのがクライマックスだと信じていた。けど、そのシーンはなかった。よう考えたら、梯子をかけて出てきたらええだけとちゃうん。ひょっとしたら、騙されとったんかも…
ジュニア新書だからとあなどってはいけない。このプロジェクトの経緯だけでも信じられないくらい面白いのだが、それだけではない。どのような用途の桶があったのか、桶が歴史的にいかに重要であったのか、など、桶のすべてがわかると言っても過言ではない。6年かけて密着取材された著者・竹内早希子さんの「桶愛」がひしひしと伝わってくる一冊だ。
この本の編集担当は、我らがHONZの一員、塩田春香である。かくいう塩田も竹内さんの桶愛が伝染したのか、このところ、ことあるごとに、桶が桶がと、うなされたかのように語る女になっていた。その愛が昂じて「木桶による発酵文化サミット in 小豆島」では、調子こいて(←本人は強く否定)巨大おけに乗ってトークをかますようにまでなっている。
この熱い本、ぜひ読んでほしい。そして、プロジェクトに関わった人たちの麗しき桶愛に伝染してほしい。
岩波ジュニア新書の弟分あるいは妹分、岩波ジュニアスタートブックス。さまざまな分野のおもしろい質問45個に近藤さんが楽しく快刀乱麻のごとく答えていく。『巨大おけ』本もだけれど、ジュニアにだけに読ませておくにはもったいない。