恐ろしいものを読んでしまった。
2018年、32歳の女性が母親の殺害と遺体損壊、遺棄の容疑で逮捕された。彼女の名前は高崎あかり(仮名)。あかりの母親は異様なほど娘の学歴に執着し、医学部を9年も受験させた。娘は浪人をしているその9年間ずっと母親の監視下にあり、執拗な虐待を受けていた。母親が医学部をあきらめたことにより、あかりは9年目に医科大学の看護学科に主席で入学、学生として過ごした後は大学の附属病院に看護師として内定を得ていた。あかりは母親を殺してから逮捕されるまでの2か月の間、看護師として働いていたが、周囲に気取られることはなかったという。
本は、筆者の齊藤彩さんによる地の文と(齊藤さんの質問にあかりが答える形で作成されたらしい)、母と娘が交わしたラインのやり取りで構成されている。
あかりが母親を殺した直接の理由は、看護学科を卒業し内定を得、ようやく母親の束縛から逃れ自立できるというところで、母親に内定を蹴って助産師学校を受験するように強いられたからだ。母親がなぜそう言ったかというと、看護師の中でも助産師は資格を取るのが難しく、ヒエラルキーの上にいけるからだという。
またあの恐ろしい浪人生活に逆戻りするとあかりは追い詰められた。彼女は毎晩30分から1時間、母親をマッサージするのが日課だったが、その終盤で、母親はいつも眠りにつく。彼女はそのタイミングを見計って殺害し、その後ツイッターに「モンスターを倒した。これで安心だ」と投稿した。
娘が受けた虐待は壮絶だ。たとえば、志望校への偏差値が足りなかったら、その数字の分だけ鉄パイプでなぐられた。成績表を見せた後は、数時間夜まで罵倒され、その後罰が加えられる。自分の指に針を刺し、そこから出た血で謝罪文を書かせられる。家に入れてもらえず庭で夜を明かす。勉強は、母親がずっと監視している隣でする。お風呂にも母親と一緒に入らされていた(母親の節約志向のため)。
これを読んでいて気付いたのは、虐待で一番恐ろしいのは、体にされる暴力ではなく、それをする人の「精神的な何か」がいちばんきついということだ。母親の意味不明な娘への希望や束縛は、どうしてそうなのかがわからない。はたから見ていて「変な」母親から「変な」要求があるのは確かなのだが、どうしてそんなに娘を人間扱いしなかったり、医学部に執着したり、そんなに娘にいうことを聞かせたいのかがさっぱりわからないのだ。
この本を読んで母親とは、家族のルールの大本であるという恐ろしさに気づく。何も考えておらず気持ちの赴くままに生きている母親から、さっぱりわからないルールが生まれ、そこに生まれてしまった娘は、子どものころからそれに従わざるをえない。家族の恐怖がここにある。
ものすごい虐待をしながら、母親は自分を被害者だと思っている。娘に送るLINEのメッセージは「あなたはいつも私を騙す、嘘をつく、こんなに大学に落ちるなんて思ってもみなかった、恩を返さない」といった言葉が多い。
母親は心の底から自分は被害者だと思っていたのだろう。娘ではなくこの母親の方が不眠になり、自殺未遂をし、娘はそれも自分のせいだと言われ続ける。そして、分刻みで変わる母親の機嫌を伺い、なだめすかし、とにかく謝る。
たぶん、あかりにはチャンスになる人がふたりいた。父親と、高校時代の国語の教師である。父親は母親に嫌われて別居、「空気のような存在」とあかりに思われていた。教師の方も、あかりにあざを見せられ虐待を訴えられても、あかりが嫌がったことにより、結局通報までは至らない。読みながら「そこは何と言われても通報して!」とイライラしたが、もちろん、この先生ものちのちあかりが母親を殺すと知っていたら、きっと行動しただろう。でも、あかりのまわりには、何をおいてもあかりを一番に考えてくれる強い大人がいなかったのは確かだ。
母親の人生も複雑で同情の余地はあるし、父親は空気、先生は他人だ。そんな人たちの中で、あかりはたったひとりで地獄にいた。結局、家庭で起こることは、誰も介入できない、するのがものすごく大変だということが痛いほど分かる。密室なのだ。
逮捕され取り調べを受けている最中、あかりはあくまでも母親は自殺をしたことにして、遺体損壊と遺棄だけでいこうと嘘をつく決心をする。
警察は、自白させるため「アルバム見たよ、旅行の写真もたくさんあった。お母さんにかわいがられてたんだね」「私も母親が厳しくて……」などといい、検事は「これまでたくさんご遺体をみたけど、あれはひどい、お母さんがどれほど辛くて悲しいか。お母さんに語り掛けてごらん」というが、私は読んでいて、あまりにも場違いな言葉に申し訳ないけれど噴き出してしまった。ずっと地獄にいる人を揺さぶるには、あまりにも薄っぺらい言葉だ。あかりはこの間ずっと黙秘をしていた。
第1審で殺害はしていないと言い続けたあかりだったが、しかし第2審では一転、自白をする。その理由は、ぜひ本書を読んで確認してほしい。たったひとりで地獄にいたあかりに訪れる、はじめての希望だからだ。
もちろん人を殺すことはよくない。殺さないでいたら、もしかしたらあかりには母親と縁を切るチャンスが訪れたかもしれない。でも、そのまま地獄だったかもしれない。
あかりはこう書く。「私と母との確執は、もう積年にわたりますので、それまで積み上げられてきた母の私に対する不信感であったり、憎悪であったり、そういった感情は、もう誰がどうすることもできないっていうことは、いまになっても変わらないという意味です」。私もそう思う。この母親は、絶対に変わらないだろう。どうすればよかったのか、いい結末などあったのか。家族というものを重く考えさせられる本である。