わからない、でも考えるべきだ。『死刑のある国で生きる』とはどういうことなのかを

2023年1月27日 印刷向け表示
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作者: 宮下 洋一
出版社: 新潮社
発売日: 2022/12/15
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あなたは死刑に賛成ですか? 賛成、反対、あるいは、どちらでもない or わからない。

はたして即答できるだろうか。決して身近な問題とは言いにくいので、普段から考えている人は多くないだろう。しかし、とても重要な問題だ。この問題を考えることは、生きるとはなにか、人権とはなにかという大きな命題に思いを巡らせることになるのだから。

作者の宮下洋一はスペインに根拠を置き、世界中を取材するジャーナリストである。2018年に、『安楽死を遂げるまで』で講談社ノンフィクション賞を受賞したのも記憶に新しい。日本人が無意識のうちに宿しているメンタリティーを保ちながら、十分な国際感覚を活かして取材して書き上げたノンフィクション。その多彩な視点、そして客観と主観を行き来しながら進める考察に感心した。しかし、驚くには早すぎたようだ。私にとっては、前作よりも本作の方がはるかに面白かった。

安楽死は、突き詰めると、不治の病で死にゆく人の意志と制度との問題である。それだけでも十分にややこしいのだが、死刑は犯罪者と制度という二者だけの問題ではないからさらに複雑である。それは、被害者という当事者が存在するためだ。いや、正しくは被害者ではなくて、被害者の遺族らといった関係者だ。というのは、死刑判決を受ける、あるいは、死刑のない国において最も重い刑罰をうける犯罪は殺人なので、被害者はすでに亡くなってしまっているからだ。

このややこしい問題を考えるために、宮下は世界をかけめぐる。取材先はきわめて多岐にわたる。当然ながら、困難を伴うことも多かった。フットワークは軽いが、かならずしも足取りは軽くない。膨大な取材、どれかひとつを詳しく書いてもこの本の魅力は伝わらない。なので、すべてを簡単に紹介していきたい。

米国では死刑を認めている州とそうでない州がある。テキサスは認めている州のひとつである。そこでの死刑囚ハメルとの面会が第一章『生きた目をした死刑囚』の内容だ。日本では家族など限られた者しか死刑囚との面談は許されていない。それも刑務官立ち会いの下でのみだ。それに対し、米国は寛容で、ジャーナリストとの面会も可能である。ハメルがどのような犯罪をおこし、どのような気持ちで死刑を待っているか。日本とちがい、米国では、当日ではなく、ずいぶんと前もって死刑執行の日が宣告される。同じ死刑という判決をうけても、国によってかなり違いがあることがわかる。二つとんで第四章『死刑の首都にて』で再度ハメルがとりあげられ、その最期が描かれる。

八つの章のうち五つが死刑囚をめぐる話、ひとつが死刑のない国での殺人犯の話、計六つの章が犯罪についての話である。残る第二章と第八章は、これらの章とはすこし趣がちがっている。

ヨーロッパ諸国ではほぼ死刑が廃止されている。フランスといえば人権を重んじる国だが、ギロチンを用いておこなわれ続けた死刑が廃止されたのはずいぶんと遅かった。第二章『廃止する勇気』はその導入を決定づけた演説を国民議会でおこなった、ミッテランが任命した国璽尚書・司法大臣バダンテールへの取材である。1981年におこなわれたその力強い演説を読めば、まちがいなく死刑廃止に心は傾くだろう。しかし、それで話が終わる訳ではない。

最後の第八章『現場射殺という名の死刑』では、フランスにおける現場射殺が取り上げられる。死刑という制度はなくなったが、現場での射殺、それも絶対に死刑に処されることがないような犯罪に対する射殺が少なからずおこなわれているというのだ。日本では絶対にありえない。これだけでなく、死刑というものに対する考え方が著しく異なっていることを頭にいれておかなければならない。はたして日本で殺人事件が少ないのは死刑があるためなのか、など。

第三章『憎む遺族と守られる加害者』は、死刑のない国スペインで、50メートルほどしか離れていない家に住む知り合いを殺した犯罪者とその被害者家族の話である。家族を殺した犯人が出獄後にごく近所で平然と暮らし、町のみんなもそれを受け入れている。あなたはそれに耐えられるだろうか。

第五章『失われた記憶と死刑判決』、第六章『償いのために、生きたい』、そして、第七章『死刑は被害者遺族を救うのか』は、日本での死刑囚の話だ。それぞれの章でひとつずつ、どのような殺人事件であったか、そしてその動機がどのようなものであったかが描かれている。死刑囚本人への取材は許可されないが、周囲の人々、そして被害者家族へのインタビューが根気強くおこなわれ、詳しく紹介されていく。

かつて大きく報道された事件であり、身近でもあることから、この三つの章が圧巻だ。複数の殺人をおこなったという共通点はあるが、それ以外、犯人像も周囲の反応も、そして被害者家族の考えも大きく異なっている。そんなこんなを、死刑という判決をうけた犯罪としてひとくくりにしてしまっていいのかどうか。深く考えさせられ、わからなくなってしまった。

日弁連は死刑反対を唱えているし、人権意識が強い人が多そうなので、なんとなく弁護士はみなが死刑に反対なのかと思っていた。しかし、そのようなことはないこともこの本に詳しく書かれている。犯罪抑止力としての死刑、そして、なによりも遺族感情という問題がある。死刑を廃止すべきかどうか、素人が軽々に結論を出せるようなことではなさそうだ。

本当にいろいろなことを考えさせられた。ご恵送いただいたのだが、重苦しそうな内容なので、ぐずぐずと積ん読になっていた。しかし、読み始めたら一気に混まれて、文字通り置くことなく読み切った。

最初の問いに対する自分の考えはどうか。医学を学び、ひとりの命を救うためにどれだけの努力がなされるかを目の当たりにしてきた。なので、概念としては死刑に反対である。しかし、繰り返し書かれているように、もし自分の家族がむごたらしく殺されてもその考えを維持できるだろうか。私にはわからない。いや、当事者以外、誰にも本当のことはわからないのではないか。さらに、当事者それぞれが語る死刑執行についての考えは違う。

これほど難しい問題はないのではないか。しかし、一度は考えてみるべきだ。たとえその答えが「どちらでもない or わからない」になるに決まっていたとしても。この本はそのための手がかりを必要かつ十分に与えてくれる。ぜひ読んでもらいたい。生きるとはなにか、人権とはなにか、そして、罪を償うとはどういうことか、を考えるために。


作者: 宮下 洋一
出版社: 小学館
発売日: 2021/6/7
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宮下洋一の講談社ノンフィクション賞受賞作。HONZ 東えりかのレビューはこちら

作者: 犯罪被害者支援弁護士フォーラム
出版社: 文藝春秋
発売日: 2020/7/20
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弁護士さんたちだって、死刑廃止について一枚岩ではありません。

作者: 伊澤 理江
出版社: 講談社
発売日: 2022/12/23
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『死刑のある国で生きる』は、調査報道やノンフィクションを支援するスローニュース社の支援をうけて取材できたとのこと。『黒い海』も、そのスローニュースに連載されたもの。これぞ調査報道!
決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!