本が好きで良かったことのひとつは、読むたびに自分がいかにものを知らないかを思い知らされることかもしれない。読めば読むほど、無知を痛感させられる。愉快な気分ではないが、何も知らないよりよほどマシだと思う。無知のままで何かに加担してしまうことほど恐ろしいことはない。
本書は日本の難民問題を追ったノンフィクションだ。終末医療を扱った傑作『エンド・オブ・ライフ』でYahoo!ニュース|本屋大賞2020年ノンフィクション本大賞を受賞した著者の受賞後第一作となる。命からがら日本に逃げてきた人々を、私たちがどう扱ってきたかが、ここには書かれている。
在留外国人に日本語を教えていた経験を持つ著者は、ライターになってからも時おり日本語教師の現場を取材していた。ある時、入管問題の勉強会があることを知る。この時点で著者は、入管がどんな施設かも何が問題になっているのかも知らなかったという。
何か記事のネタが拾えるかもしれない。そんな軽い気持ちで参加を申し込むが、当日は運悪く前の仕事が押してしまい、懇親会からの参加になってしまう。そこで思いがけず大学の同窓生と再会した。その人物の名は児玉晃一。25年ぶりに再会した児玉は弁護士になっていて、しかも仲間からは「入管問題の神様」と呼ばれていた。
後日、事務所を訪れた著者に、児玉弁護士は動画を見せる。そこには異様な光景があった。ひとりの男性がもがき苦しみ絶命するまでの一部始終が記録されていたのだ。見終わってもしばらく言葉が出てこない。ようやくうわずった声で著者は訊いた。「何ですか……これ?」
それは茨城県牛久市にある東日本入国管理センターの休憩室の監視カメラの映像だった。映っていたのは、2014年3月にこの施設で亡くなった43歳のカメルーン人である。体調が急変し、七転八倒して苦しんでいたにもかかわらず、施設側は医師に診断させることのないまま放置し、死に至らしめた。児玉弁護士は、遺族が国と当時のセンター長を相手取って起こした裁判を担当していた。
入管とは、2019年に入国管理局から改称した「出入国在留管理庁」のことをいう。法務省の管轄下にある組織で、空港や港での出入国管理や在留外国人の管理などを行うが、入管という略称は、狭義では外国人を収容する施設そのものを指す言葉としても使われる。
入管に入れられるのは、オーバーステイなど非正規滞在になった外国籍の人だが、誤解してはならないのは、犯罪を犯したから収容されるのではない、ということだ。難民として庇護を求めてきた人でも、非正規滞在者の子どもでも、ビザを持っていなければ誰でも収容される可能性がある。
ビザを与えられないまま入管から出されることを「仮放免」というが、これは自由の身になったことを意味しない。働くことは許されず、社会保障もなく、行政も手を貸してくれない。つまり仮放免になっても、生きていくのは難しい。
仮放免を何十回申請しても許されず、何年も囚われている人もいる。以前は収容を解かれることも多かったが、2018年に入管は「仮放免の厳格化」の方針を打ち出した。DV加害者や社会規範を守れない「社会生活適応困難者」などは仮放免しないという。
だが、「社会生活適応困難者」などという基準は極めて曖昧だ。しかも入管は、単に気に食わないというだけでも非正規滞在者を拘禁できる。恣意的拘禁である。悪名高い戦前の治安維持法の予防拘禁でさえ裁判所の決定を必要とし、期間も2年までと定められていた。行政の一機関に過ぎない入管の判断で仮放免の可否や収容期間まで決めているのが、いかに異常なことかわかるだろう。
日本の難民認定率の低さは際立っている。2021年に日本で難民と認められたのはわずか74人。難民認定率は0.7%である。ちなみにドイツは38,918人で認定率25.9%、カナダ33,801人同62.1%、フランス32,571人同17.5%、アメリカ25,090人同32.2%だ。
国連高等難民弁務官事務所が公式に難民認定をした人ですら、日本政府はかたくなに難民と認めない。難民認定を求めて裁判を起こしたあるアフガニスタン人は著者にこう言ったという。
「私の人生最大の失敗は、日本に助けを求めたことです」
本書を読んで初めて知ったのだが、過去には入管問題が改善の兆しをみせた時期もあったという。2000年代に入り、ようやく子どもの収容がなくなり、難民の仮滞在も認められるようになった。つまり、働きながら難民認定を待つことができるようになった。
ところが、これにより仮滞在申請が濫用されるようになってしまう。働くことが目的で日本にやってきた人が、オーバーステイで収容されると、難民申請を出すようになった。これが入管の姿勢を硬化させてしまった。
このことから、難民の問題は移民の問題と不可分であることがわかる。日本にやってくるのは命からがら逃げてくる人ばかりではない。日本で働きたいという人もやってくる。だが、単純労働で働くには技能実習制度しかない。入り口を極端に狭めたせいで、単に働きたいという人でも難民申請を利用するようになってしまったのである。
著者は外国人技能実習制度の現場にも足を運ぶ。いまやこの制度も曲がり角にある。日本だけがアジアの経済大国という時代はとっくに終わっている。そんな中、定住が認められず、家族も帯同できず、使い捨ての労働力として扱われるということがわかっていながら、わざわざ日本に来る人などいないだろう。「いずれ彼らに追い越され、見下ろされたら、私たちのしてきたことがわかるようになるだろうか」という著者の問いかけが重く響く。
「移民」と「難民」、双方の現場から見えてくるのは、外国人とのあまりに稚拙な向き合い方だ。著者は私たちの潜在意識の中にあるのは、恐れではないかと指摘する。「未知の外国人を恐れ、変化を恐れ、今までの平穏が失われるかもしれないという恐れ」である。
難民のために奔走する人々の話を読みながら痛感したのは、日本における難民支援というのは、人々の善意によってかろうじて細い糸でつながっているようなものだということだ。
2020年4月、鎌倉に「アルペなんみんセンター」が開かれた。施設を立ち上げた有川憲治さんは長年難民支援に携わってきた人物である。仮放免が認められても行き場のない難民を滞在させるスペースを探していた時、イエズス会の修道院が神父の高齢化で閉鎖されることを知った。そこで、施設を貸して欲しいと願い出たところ、イエズス会が快諾してくれたのだ。
入管でさんざん非情なケースを見てきた著者は、近隣住民から反対の声はあがらなかったのかと心配するが、まったくそうした声はなかったという。それどころか、住民たちはボランティアとして施設を助けていた。コロナで国民一人当たり10万円の給付金が出た際は、「うちよりもっと困っている人に使ってください」と寄付した住民もいたという。
著者はこのアルペなんみんセンターで1ヶ月、難民たちと寝食を共にした。施設には生まれたばかりの赤ちゃんもいた。この赤ちゃんに会いに、近隣住民もやって来る。本書の中で、アルペなんみんセンターの話は、暗闇にさした光のような暖かさを感じさせる。
赤ちゃんを抱かせてもらい、その重みや体温を感じながら著者は思う。人はどこに生まれてくるかを選べない。この小さな命を前に、恣意的に人間の引いた国境線など、何の意味があるのかと。
巻末には、イラン人の姉弟が難民申請時に書いた陳述書のコピーが掲載されている。児玉弁護士が入管問題に関わるきっかけとなったイラン人一家の子どもたちだ。当時、姉は12歳、弟は9歳だった。慣れない日本語で必死に書かれた訴えに胸を揺さぶられる。
こんな馬鹿げたことはもう終わりにしなければならない。今後、少子高齢多死社会を迎える日本には、外国人を受け入れないという選択肢などあり得ないのだから。問題は私たち自身の中にある。目に見えない「ボーダー」に自覚的でありたい。
「日本に助けを求めてよかった」
そんなふうに言ってもらえるような国を、私たちはつくれるだろうか。