ぼちぼち年末だというのに、年内に読み切れるのか途方に暮れるくらい注目のノンフィクションが目白押しである。その中でひとつだけ選べと言われたらこの本を推す。本書はなにをおいても読むべき傑作だ。
なにしろ当代随一のノンフィクション作家、ウォルター・アイザックソンの最新作である。アイザックソンはこれまで、スティーブ・ジョブズやレオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなど、世界を変える革新的な仕事をした人物を描いてきた。彼が今回主人公に選んだのは、DNAを書き換える技術を開発し、ノーベル化学賞を受賞した女性科学者、ジェニファー・ダウドナである。
多様な読み方ができることは傑作の条件のひとつだ。本書もさまざまなテーマを扱っている。メインは、生命科学の分野で現在も進行中の熱い革命である。論文の掲載や特許をめぐる激しい競争、成功と名声への渇望、ライバルへの攻撃、仲間との友情といった、キー・プレイヤーたちの人間ドラマが生き生きと描かれる。もちろんドラマの中心はダウドナだ。「科学は女の子のするものじゃない」といった偏見をものともせず、女性科学者の地位を確立してきたダウドナの人生は、多くの読者を魅了するだろう。
ジェニファー・ダウドナは1964年、ワシントンDCに生まれた。7歳の時に一家はハワイ島に移住する。もしハワイ以外で育っていたら、ダウドナは別の人生を歩んでいたかもしれない。ポリネシア人の中で幼い金髪の少女は孤立し、摂食障害になるほど追い詰められてしまう。だがこの孤独がダウドナを育てた。ダウドナはハワイ島の自然に魅せられた。溶岩流がつくった洞窟にいる眼のない蜘蛛や、触れると葉が丸まるオジギソウの不思議に心を奪われる。「自然をとことん見つめ、どうしてそうなっているのかを考える」という姿勢は、ダウドナのその後の人生を貫く太い芯となった。
人生の転機は6年生の時に訪れた。読書家の父にジェームズ・ワトソンの『二重らせん』を与えられたのだ。DNAの構造の発見に重要な貢献をしながら若くして亡くなった女性科学者ロザリンド・フランクリンに共感し、「女性でも偉大な科学者になれる」ことに気づいた。そして、自然がなぜそうなっているのかを科学で解き明かすことができると知った。推理小説が大好きなダウドナにとって、科学は世の中でもっとも長いミステリーだった。謎の中心には、生命の秘密があった。
遺伝情報の保管場所であるDNAの構造が二重らせんであることを、ワトソンとクリックが解明したのは、1953年のことである。(ここに至るまでのドラマは、シッダールタ・ムカジーの傑作『遺伝子』を読んでほしい。監修と解説は仲野徹である)この発見から始まる革命が「DNA革命」だとするなら、21世紀の現在起きているのは「RNA革命」かもしれない。
ダウドナは大学院時代に恩師のすすめでRNAの研究をはじめた。当時、多くの生物学者がDNAの塩基配列のマッピングに取り組む中、RNAに注目したのだ。これが奏功した。なぜなら、DNA研究がレッドオーシャンだったのに対し、RNAはブルーオーシャンだったからだ。その後、RNAは生命科学のフロンティアとなっていく。
RNAは不思議な分子である。DNAによってコード化された命令の一部をコピーし、それを使ってタンパク質を生成するが、自らを触媒として自己複製することもできる。もしかしたら、40億年前に原始地球の化学物質のスープの中で、DNAが誕生する前からRNAは複製を始めていたかもしれない。RNAがどのように自己複製するかを示すことができれば、生命の誕生を導いた分子はRNAだと主張できるのではないか。ダウドナはRNAの構造の解明にのめり込んでいった。
本書の魅力は、科学史上の大発見に関わった科学者たちの人間ドラマがあますところなく描かれていることだ。さすがは名手アイザックソンで、群像劇にもかかわらず、読みにくさは一切ない。
2011年3月、ダウドナにとって大きな出会いがあった。プエルトリコで開かれた学会で、後にノーベル賞を共同受賞するフランスの生物学者エマニュエル・シャルパンティエと出会ったのだ。意気投合したふたりは共同研究をスタートさせる。タイプの違うふたりはウマがあう一方で、時にすれ違う。ふたりの間に生じる感情のもつれは、本書の読みどころのひとつだ。
ロザリンド・フランクリンのX線写真がなければ「二重らせん」の発見もなかったかもしれないように、科学史上の大発見は、けっしてひとりの力だけで成し遂げられるものではない。ダウドナらの「世紀の発見」も多くの科学者の発見に負っていた。
そのひとりが、スペインの研究者フランシスコ・モヒカである。古細菌のDNAに奇妙な反復配列を見つけたモヒカは、この反復を「クリスパー」と名付けた。ある時、クリスパーの間にある、ごく普通に見えるDNA配列(スペーサー)に注目したモヒカは、これをデータベースにかけてみた。すると驚くことに、スペーサーの配列が、大腸菌を攻撃するウイルスの配列と一致した。細菌は過去にどのウイルスに攻撃されたかをちゃんと覚えていたのだ。
ダウドナとシャルパンティエは、細菌がウイルスを撃退するメカニズムを分子レベルで解明した。ダウドナらが開発した「クリスパー・キャス9システム」は、簡便で精度の高いゲノム編集が行えるツールである。
クリスパー・キャス9システムは、キャス9 (酵素)、crRNA(クリスパーRNA)、tracrRNA(トレイサーRNA)の3要素からなる。crRNAは過去に攻撃してきたウイルスの遺伝子コードを含む短いRNA断片だ。ウイルスが再び攻撃してくると、crRNAが案内役を務め、ハサミ役のキャス9を切断すべき場所へと導く。tracrRNAの役割は最後まで謎だったが、ダウドナがその役割を突き止めた。tracrRNAにはふたつの重要な役割があった。ひとつは、crRNAの生成を促進すること。もうひとつは、crRNAとキャス9の足場となり、標的の切断を助けることである。
2012年6月20日、「世紀の発見」は論文として発表された。この発見によって、生命の暗号を書き換える技術を人類は初めて手にすることになったのだ。ダウドナとシャルパンティエは2020年にノーベル化学賞を受賞するが、発見からわずか8年という異例の早さからも、ふたりの研究がもたらしたインパクトの大きさがわかる。(同じ年に物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズの受賞理由は、50年以上前のブラック・ホールに関する発見だった)
インパクトが大き過ぎるがゆえに、その発見は様々な反響も引き起こした。ダウドナは手記(『クリスパー CRISPR究極の遺伝子編集技術の発見』)の中で、当時、津波に流される夢を頻繁に見ていたことを告白している。彼女自身も反響の渦の中に巻き込まれた。
その最たるものが、2018年に中国で誕生した「クリスパー・ベビー」である。フー・ジェンクイという中国人科学者がクリスパー技術を使ってHIV耐性をもつ赤ん坊を誕生させた。名声を浴びたい一心で生命を操作したこの人物に、ダウドナは厳しい態度で対峙する。
ゲノム編集自体は歓迎すべき技術だ。実際に医療分野では、クリスパー・キャス9がさまざまな治療に使われようとしている。鎌状赤血球貧血症、先天性の失明、がん、遺伝性血管性浮腫、急性骨髄性白血病、家族性高コレステロール血症、男性型脱毛症など、効果が期待される疾患は多岐にわたる。
では、ゲノム編集によって生命そのものを操作するのはありだろうか。すでに哲学の分野では、「生殖の善行」なるコンセプトを唱える専門家も現れているという。「生まれてくる子供のために最善の遺伝子を選ぶのは道徳的行為である」という考え方だ。この技術を使うことが許されるレッドラインはどこにあるのか。本書はこうした難しいテーマにも踏み込んでいる。
この他にも、新型コロナとの戦いや、コロナ禍以降、科学界に生じた大きな変化なども本書では描かれる。まさに傑作の名にふわさしい多様な読み方ができるのだが、私がこの本でもっとも心を動かされたのは、科学者の好奇心の素晴らしさである。
RNAの構造を調べている時、ダウドナは「自分たちが何を見つけようとしているのかさえ、わからなかった」という。科学者に未来が見えているとは限らない。それが将来、何の役に立つかわからなくても、ただ好奇心に突き動かされて前に進むのだ。
クリスパー・キャス9という画期的イノベーションによって、人類は生命の暗号をハックし、自らの未来を書き換える能力を得た。ダウドナたちが解明したのは、細菌とウイルスの戦いという、地球が誕生した時から連綿と続く自然の営みのメカニズムである。考えてみれば、ハワイ島の自然に魅せられた少女の頃から、ダウドナはずっと同じことを続けているのかもしれない。好奇心と畏敬の念をもって自然を見つめること。それこそが科学の原動力なのだ。
ゲノム編集は人類にとっての福音か。それともプロメテウスの火なのか。
この二項対立を著者はこう読み換える。
「自然と自然の神はその無限の叡智によって、自らのゲノムを修正できる種を進化させた。その種が、たまたまわたしたち人間なのだ」と。
だからこそ、時間をかけて進むことが望ましいと著者は言う。この魔法のような技術の使い方を性急に決めようとすれば、わたしたちはあっという間に坂道を滑り落ちてしまうかもしれない。人類がこの技術を手にしたことにはなにか意味があるはずだ。わたしたちはどんな未来を望むのか、まずはそこからじっくりと考えよう。この星の生物の進化のスピードにあわせて。足もとに気をつけながらゆっくりと歩みを進めていこう。