ジェームズ・ワトソンの『二重らせん』が、これまで最高に売れたサイエンス・ノンフィクションだ。フランシス・クリックと世紀の大発見ー遺伝情報をコードするDNAが二重らせん構造を持つことーを成し遂げたワトソンによる発見の経緯を記した本だが、決して正確な記録ではない。あくまでも、ワトソン個人から見た二重らせん発見物語である。それでもこの本がすごく売れたのは、サイエンスといえども人間の営みであり、そこには手に汗を握るようなドラマがあることを赤裸々にわからせてくれたからだ。
遺伝学には三大発見がある。いや、あった。トップはいうまでもなくオーストリア帝国の司祭グレゴール・メンデルによる遺伝法則の発見だ。二つ目は、野口英世も活躍した米国ロックフェラー研究所のオズワルド・エイブリーによる、遺伝物質がDNAであることの発見、そして三つ目が、ワトソンとクリックである。
従来はこの三つとされてきたが、いまは四つに増やさなければならない。その四つ目こそがゲノム編集ー生物のゲノムを自在に書き換えることができる技術ーである。『ゲノム編集の世紀:「クリスパー革命」は人類をどこまで変えるのか』と『コード・ブレーカー 生命科学革命と人類の未来』の二冊は、その四つ目の大発見を余すことなく描いている。いや、それ以上のことを書き記した素晴らしい本になっている。メンデルとエイブリーの発見伝は相当に地味なのだが、ゲノム編集研究をめぐるこの二冊の面白さは『二重らせん』に勝るとも劣らない。
大げさではないかと思われるかもしれない。いずれの本のタイトルにも「革命」という二文字が躍っている。じつは私もそう感じていた。しかし、読み終えた今、ゲノム編集ーより正しくはクリスパーによるゲノム編集ーは、革命という言葉でも不十分ではないかと認識し始めている。
こなた『ゲノム編集の世紀』のケヴィン・デイヴィスは分子遺伝学の博士号を持つ雑誌編集者である。といっても大衆誌などではない、Nature Genetics という超有名科学雑誌の編集者だ。かたや『コード・ブレーカー』の著者ウォルター・アイザックソンはジャーナリストあがりの大学教授。伝記を書かせれば当代随一と言っても過言ではない。既刊である『スティーブ・ジョブス』、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んだ人なら、納得してくれるはずだ。
大物ライター、がっぷり四つの大相撲! 力士、じゃなくて作者に不足はない。いずれもボリューム満点、それも、わくわくどきどきの連続だ。サイエンスとしても、人間ドラマとしても、そして、人類の未来を考える読み物としてもじつに読み応えがある。
ありがたいことに、書評家と思っていただけているのか、こういった本はまず間違いなくご恵送いただける。『ゲノム編集の世紀』と『コード・ブレーカー』はそれぞれ11月2日、10日と相次いでの発刊だったが、送られてきたのはタッチの差で『コード・ブレーカー』が先だったので、そちらから読み出した。
クリスパー技術の発見者といえば、昨年ノーベル化学賞を受賞した米国のジェニファー・ダウドナとフランスのエマニュエル・シャルパンティエー名前からわかるようにどちらも女性ーである。『コード・ブレーカー』は、アイザックソンがダウドナに密着して書き上げた本で、その内容はダウドナの生い立ち、研究歴から、シャルパンティエとの出会い、二人が共同で明らかにしたクリスパーの分子メカニズムー細菌がウイルス感染を見事に排除する仕組み-の発見、さらにはその応用-詳しく書かれている新型コロナウイルスの診断技術も含めて-がメインである。
クリスパーの発見はダウドナとシャルパンティエだけでなし得たものではなく、それ以前にも、また二人の研究に並行しても、数多くの科学者による研究があった。そういったことが極めて公平な観点から紹介されている。ややこしいのは、細菌におけるクリスパー研究の主要な点がこの二人に帰着できるのに対して、哺乳類細胞におけるクリスパーを用いたゲノム編集は必ずしもそうとは言い切れないところにある。
そこに登場するのが、MITの中国人研究者フェン・チャン(『ゲノム編集の世紀』ではジャンと表記)である。チャンは、ヒトを含む哺乳類細胞におけるクリスパーを用いたゲノム編集技術は、細菌におけるクリスパー技術の延長ではない独自の業績だと主張し続ける。その後ろ楯は、天才科学者の名をほしいままにする大統領主席科学顧問でもあったエリック・ランダーだ。それぞれが設立したベンチャー企業が熾烈な特許争いを繰り広げるところも読みどころのひとつになっている。相当にダーティーなところもあって、えげつないとしか言いようがない。
先に『コード・ブレーカー』を読んでしまったので、『ゲノム編集の世紀』を読むかどうか少し迷った。正直なところ、あのアイザックソンの書いた本よりも面白くなさそうだからうっちゃっておけ、という悪魔の囁きにうなずきかけた。しかし、それではムカジーの『がん4000年の歴史』と『遺伝子』の二冊で解説を書かせてもらったり、監訳をさせてもらった早川書房に義理がたたんではないか、ということで読み出した。しかしこれが大正解だった。
クリスパー発見や特許争いについては、当然、両方に書かれている。アイザックソンは、ダウドナに伴走してきたためだろう、かなりダウドナ寄りのスタンスである。だから、チャンの背後にいるランダーなど、ほとんど悪役として登場させられている。それに対してデイヴィッドは公平、というよりも、ややチャンやランダーに肩入れしているような印象がある。このあたりをどう判断するか、読み比べてみると面白い。
書きぶりはアイザックソンの方がジャーナリスティックで刺激的だ。しかし、『ゲノム編集の世紀』は『コード・ブレーカー』よりも生命科学面での記述が多く、遺伝学の歴史や、ゲノム編集技術がどう使われつつあるか、また、その最新技術が改良されていけば、どのようなことを行いうるかについても詳しい。なので、むちゃくちゃ勉強になること間違いなし。『コード・ブレーカー』が過去の歴史に軸足を置いた本であるのに対し、『ゲノム編集の世紀』には未来の預言もあまた託されている。
いずれもが多くのページ数をさいているのは、ヒトにおけるゲノム編集の倫理的な問題点だ。「革命」という言葉が決して大げさでないのは、もしヒトでのゲノム編集がおこなわれるようになれば、人類のあり方に大きな影響を与えかねないためである。そんなこと未来永劫におこるはずがないなどと考えるのはナイーブすぎる。どちらの本を読んでも、そう思い知らされるにちがいない。
ゲノム編集が現実化されていく時代に生きているのが幸福なのかどうか。ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』の最後に〈私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない〉としたためた。この命題について、この二冊を読んでぜひ考えてみてほしい。クリスパーによるゲノム編集の良著二冊は、人類の未来を考えるため格好のきっかけになる。
『コード・ブレーカー』、首藤淳哉によるレビューはこちら。