「ちょっと〜」
「ちょっと〜」
「きませんか」
「きませんか」
草木も眠る丑三つ時、93歳のお婆さんに呼ばれた「ぼく」は、お婆さんのところに行かなければならない。ファンタジー小説ではなく、老人ホームの利用者と職員の話である。呼ばれたぼくは躊躇する。なぜなら、行けば多分「いきませんか」と言われるからだ。
「いきませんか」とは「行きませんか」。
つまり、お婆さんは「来ませんか」と呼んでおいて「(向こうに)行ってください」と追い返す。著者の村瀬さん(ぼく)が運営する特別養護老人ホーム「よりあい」の話である。
お婆さんの声はとてもねっとりと哀切な響きらしい。そして持久力があり、夜通し呼ぶそうだ。その切ない声に我慢できず行くと、「ぼく」は案の定追い払われ、しかしまた呼ばれ、そして追い払われる。夜中に何度もそれをされるのだから、ぼくの気持ちは察するにあまりある。本にはこのときの気持ちを「キレる」と紙一重の心境だと書いているが、申し訳ないけど笑ってしまった。
この本で描かれる老人ホームにいる老人たちは、こう言ってはなんだが元気いっぱいだ。たとえば、介護に疲れた娘から一泊よりあいに預けられたお婆さんがいる。そのお婆さんは泊まるつもりは一切ない。夜中になり帰りたさがマックスになり「娘に電話してほしい」というお婆さんと、「今日ぐらいは介護を忘れて娘さんにゆっくり休んでほしい」ぼく。思案したぼくは、お婆さんと背中合わせに座り、電話で娘のふりをする。
まんまと娘だと思っているお婆さんに、とにかくお願いだから、私を助けると思って泊まってちょうだいとお願いをするぼく。ついに根負けしたお婆さんは「仕方ないねえ」と了承してくれるが、最後の最後に「ところで、あんた誰ね」と聞く。つまり、お婆さんは途中から電話の相手が娘ではないことに気づいていた上に、誰かわからない人にお願いされて、泊まることを引き受けたのだ。優しいお婆さんだな、とよくわからないけれどなんだかほっこりする。
このエピソードは、本の中盤くらいに出てくるものだ。このあたりで、私は読んでいるうちに自分の視点が変わったことに気づいた。
実はこの本の最初には「どうしても病院が嫌なお婆さん」が出てくる。このお婆さんは、高濃度の酸素を吸入しなければ2時間ほどで死に至る状態で、もちろんお医者さんをはじめ、家族やぼくはめちゃくちゃ深刻だ。しかし、当の本人だけは「ここはイヤ。だって帰りたいんだもん。うーん、「よりあい」でもいいけどあそこはご飯の味が濃いからなー(意訳)」とひとりだけ飄々としている。病院を出る=死なのに、「私はどこで死ぬべきか」のような哲学的な、人生の締めくくりの総決算みたいな感じはこのお婆さんには一ミリもない。「病院がイヤ」だから帰りたいのだ。私は、最初は明らかに家族の側の気持ちの方に共感して読んでいたらしく、読みながら、「おばあちゃん~」とイライラしたのを覚えているが、一度この本を読み終わり、再び読み直したときにはこのお婆さんに対してなんだか笑ってしまう。
論理的には説明しがたい「イヤ」による決定があるように感じる。それは「未来」から「今」を考えない、「今」から「未来」を考えない、「今」だけをつかみ取ろうとする肉体が発する願いのように見えた。(51ページ)
と、村瀬さんはこのお婆さんについて書いている。未来を考えたら死ぬかもしれないのに、今しか考えないなんて、ちょっと羨ましい。家族に迷惑をかける、誰かに迷惑をかけるなどという発想は一切なく、自由である。
もちろん、この自由さに対して職員は大変だ。
冒頭の「きませんか」お婆さんに、新人の職員が初夜勤で対応をすることになった。夜勤が終わり、朝の申し送りでどうだったか話を聞くと、やはり「きませんか」と言われたらしい。その職員は、「きませんかってなんだろう? トイレかな」と思い、車椅子で連れて行った。そしたら、「ここじゃなか」と怒られ、すみませんと戻って車椅子から降ろしたら「おしっこ」となぜか言われてまた車椅子でトイレにつれていき、また怒られ……ということを一晩中繰り返したらしい。私だったら泣いていると思う。
明け方になり、くたくたに疲れた新人職員はお婆さんに思わず「そんなんだから、家にいられないのよ!」とひどい一言を言ってしまったという。そして、そんなひどいことを言ってしまった自分に驚き、辞めることを考えたという。大変な初夜勤だ(ちなみに、我に返ってお婆さんに謝ったら、お婆さんは一切覚えてなくて「あんたと私は40年のつきあいじゃないか」と慰めてもらった。新人職員さんは20歳だ)。ホームを抜け出してよく迷子になるお婆さんを職員たちが必死で探す様子も胸が塞がれる思いがする。本当に大変な、頭が下がる仕事である。
この本の真骨頂は、著者の村瀬さんが、老人個人の自由をできる限り理解し、寄り添おうとしていることだ。介護の現場にいるからこその肉体性のある理解。だからこそ、この本を読んでいくうちに読者が笑い、視点が変わっていくのだろう。
結局、「個人の自由」と「社会」のせめぎ合いが介護の世界なのかもしれない。介護どころか、この問題はどこの世界も同じだ。この本の読後感は「歳をとってもしボケたりしたら怖いと思ってたけど、なんだか自由で楽しそうだな」というものだった。「老いて衰える」ことも面白そうだと思える本なんて、そうそうない。