ときどき、書店で本に呼び止められることがある。棚ざしになっていても、手に取ってくれとアピールするのだ。本書『遠い声をさがして』は久しぶりにそんなふうにして出会った本だ。
2012年の夏休み、小学一年生の浅田羽菜ちゃんは彼女の通う京都市立叡成小学校で、低学年児童69人と一緒のプール学習中に溺死した。水を怖がらず、むしろプール学習を楽しみにしていた羽菜ちゃんに何が起こったのか。
羽菜ちゃんは両親にとって待ちに待った子だ。不妊治療を諦めた後、母親が45歳で自然に授かった命だった。軽い発達障害があったが、普通学級に通い楽しく過ごしていたと当時の担任が語る。
著者の石井美保さんは文化人類学者だ。だが、この本は同じ小学校に娘を通わせている保護者のひとりとして関わった。なぜなら小学校側の説明があまりにも杜撰で、原因や状況が不明のまま事件を終わらせようとしたからだ。石井さんは羽菜ちゃん両親に伴走した。本書はその詳細な記録である。
あれから10年。事故をめぐる出来事は多岐にわたる。肉親や保護者たちが原因究明を求めるのは、なぜ羽菜ちゃんが亡くなったのか、最期はどんな様子だったのか、納得のいく説明が欲しいからだ。
だが学校や教育委員会は、一応の説明が終わると「この後の対策」について語りだす。生きている者に対する対応だけになってしまう。亡くなった羽菜ちゃんの存在は「教訓」へと変換され、「繰り返してはならない過去」として伝えられていく。
学校側の調査にも疑問が残った。隠蔽とまでいかなくても、児童や当時その場にいた指導教諭三名への聞き取り調査も、後日足りなかったことが判明する。
また現場の様子は再現実験で初めて分かることもある。浮かべられたフロートの大きさや水深、児童たちの行動、教師たちが何をしたのか。その中で羽菜ちゃんと最後に手をつないでいた児童の証言も生きてくる。
現在ではこういった事故や事件が起きると第三者委員会を発足させ調査を行うことが普通になっている。だが本書ではその委員会自体の問題も暴く。いったん報告書が出ると、それまでの調査結果や画像データなど一切が破棄されていたのだ。それがルールであるとして、再度の検証を阻む理由がどこにあるのか。
疑問を持った両親や支援者はもう一度プールを借りてその時の状況を再現した。科学的データをAIによって詳細に分析し、羽菜ちゃんが亡くなった原因を探っていく。
この過程が非常に興味深い。教師側の思い込みと過信があり、それなのに救命救急措置に関しては無知で、緊急事態に関する手続きも訓練も全くできていなかった。
現在でも事故の詳しい原因は解明されていない。羽菜ちゃんを亡くした両親の日常は一変した。それを支えたのは著者を含めた周りの支援者だった。この人たちなくして両親は頑張れなかっただろう。羽菜ちゃん、私もこの本のことは決して忘れないよ。(ミステリマガジン11月号)
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子供を取り巻く環境が時々刻々変わるなか、安全対策は日々更新されなくてはならないと思う。