この『サイレント・アース』は副題に入っているように、殺虫剤や農薬などの化学物質の危険性を訴えた「沈黙の春」の昆虫をテーマにした現代版とでもいうべき一冊だ。
著者によれば、いま世界から昆虫の数が急速に減少しつつあるという。温暖化など環境の変化もあるうえ、森林の伐採など問題は絶えないから、昆虫の数が減っていること自体に違和感はない。では、具体的に何が原因で昆虫は減っているのか? 気候変動の影響? 農薬や殺虫剤の影響がいまなお残っているのか? その全部が複合しているのか? そもそも、昆虫の数は数はあまりに多いので正確に把握されていないとよくいわれるが、数が減っているのは本当なのか──など、昆虫の現在の苦境を中心軸において、無数の問いかけを本書では扱っていくことになる。
昆虫がいなくなると何が問題なのか?
昆虫が消えてなにか問題があるのか? と思う人もいるかもしれない。蚊やゴキブリが消えたらせいせいするだろう。だが、実際には昆虫は(そのすべてが、というわけではないが)生態系の維持に関わっていて、一見無関係で何の意味もなさそうな昆虫が消えてしまったとき、予想外のダメージを(生態系に)与える可能性がある。
たとえば昆虫は落ち葉や朽ち木、動物の死骸や糞の有機物の分解に深く関わっている。人間が栽培している作物のおおよそ4分の3は受粉が昆虫頼りだし、肉食の昆虫は作物の病害虫の駆除に役立っている。地中に穴を掘って暮らす昆虫は土壌に空気を通しているし──と、こうした「昆虫役に立っているケース」は挙げ始めれば枚挙にいとまがない。その活躍は人間の目には見えづらく、具体的にある昆虫が消えたときの影響を正確に測定することは難しいが、ごっそりとその数を減らした場合、これまでの生態系が正常に維持できるとは思わないほうがいいのは間違いがない。
著者のデイヴ・グールソンはマルハナバチをはじめとする昆虫の戦隊研究と保護を専門とする著名な科学者である。結局、いろいろと昆虫の種数が保たれている理由を挙げたが、それは政治家がそうした「昆虫が保護されることの人間のメリット」を重視するからであって、『正直に言うと私が昆虫の立場を守るために闘っている理由に経済はまったく関係がない。私が闘っているのは、昆虫のことをすばらしいと思うからだ。』と応えていたり、昆虫愛も炸裂した一冊に仕上がっている。
本当に昆虫は減少しているのか?
読み始める前に疑問に思っていたのが「本当に昆虫は減少しているといえるのか?」という点だった。だが、実際にはそれを示す研究は無数に存在する。
たとえばドイツのクレーフェルト昆虫学会の昆虫学者たちは27年かけて63箇所から重さにして合計53kgもの昆虫を集めた。そのデータをみると、1989年から16年までの27年間で罠につかまる昆虫の生物量(重量)が76%減少していることがわかる。目に見えて減っているが、一方でそれは重量だけだともいえ、反論も多く寄せられた。たとえば数種の重い昆虫が消え、小型の種に置き換わったのであれば、昆虫の種や、生息数自体は大きくは変化していない可能性もあるからだ。
しかしその後同様の、より本格的な研究が出て、昆虫減少の裏付けがとれはじめる。19年にはドイツの別の研究グループが150箇所の草原と140箇所の森林で100万匹を超える節足動物を数え、2700種を同定するなど大規模な調査を行っている。それによると、年間の減少率はクレーフェルトの調査よりも大きく、平均で節足動物の生物量の3分の2、種の数では3分の1、節足動物の全個体数の5分の4が失われていたという。森林における減少幅は、生物量で40%、種の数では3分の1強だ。
ドイツ以外の研究も生物量と種の減少を示している(オランダ、アメリカのカリフォルニア州、ガーナ、イギリスなど)。こうした昆虫の減少は地味で、我々はこれまであまり関心を払ってこなかった。昆虫の減少傾向を示すデータのほとんどは最も古いデータでも1970年代のもので、それ以前にははるかに多くの昆虫がいて──そしてそうした昆虫たちが、誰も知らぬままに消えていった可能性がある。
減少の原因はなんなのか?
なるほど、昆虫はたしかに減少しているのかもしれない。では、その原因は何なのか? 気候変動の原因が一つではないように、理由はいくつも存在する。
たとえばよく取り上げられるのはミツバチの大量死とネオニコチノイド系農薬の関係だ。ネオニコチノイドは浸透性農薬と呼ばれ植物のあらゆる部位に浸透する。だが、植物全体に広がる有効成分は当然ながら花粉や蜜にも入り込み、作物が開花すると、花を訪れたハチは殺虫剤を身にまとってしまう。農薬入りの餌を与えられたコロニーと農薬が昆虫していない餌を与えられたコロニーでは前者のほうが新たに誕生する女王の数が85%少なく、後続の研究も合わせてハチへの害が大きいことが確認されている。
そうした研究を受け、2013年にEUでは虫媒受粉の作物にたいするネオニコチノイドの使用が禁止されたが、「虫媒受粉の作物のみの禁止」では十分ではないこともその後わかってきた。ネオニコチノイドが使われた作物に近い場所に生えた野生のタンポポからもこの成分が検出され、どうやらネオニコチノイドの大部分(94%)は作物に取り込まれず、土壌や地下水に残され、周囲の環境中に毒素を累積させていることがわかってきたからだ。そうなると、ネオニコチノイドの屋外使用自体がリスクになる。
ネオニコチノイドが耕地の土壌や土壌中の地下水に蓄積されるのだとすれば、農地の縁辺部にしみ出ていく事態も予期されるだろう。作物が根からネオニコチノイドを吸い上げる量は作物の種類によって大きく異なることがすでにわかっているから、野生の花の場合もネオニコチノイドの吸収量は種類によって異なると予想される。
殺虫剤の濃度が高い淡水環境では昆虫の数も少ない傾向にある。オランダの研究では、汚染がひどい川ほど甲殻類や水生昆虫の種数が少なく、そうした虫を食べる鳥が減少するスピードが速いことがわかっている。
問題になっているのはネオニコチノイドだけではない。世界で最も広く使われている殺菌剤の一つであるクロロタロニルの使用がマルハナバチやミツバチに害をもたらす(特定の病気やコロニーの成長阻害など)ことがわかっているし、家畜の腸内の寄生虫を予防する目的でイベルメクチンを定期的に家畜に投与するが、これは糞の中に混じっていて糞虫やハエのごちそうを有害な物質に変えてしまう。他にも気候変動や除草剤の昆虫への影響なども本書では詳しく語られている。
おわりに
ではどうしたらいいのか。除草剤も農薬もイベルメクチンも使うな、ということなのか? といえば、そう簡単な話ではない。本書後半では中央政府がとるべき行動から、我々個人個人の行動まで、幅広い視点から環境保護にできることをリストアップしている。園芸や市民農園の愛好家としては、蜜と花粉がとりわけ多い花を育てて、ハナバナやチョウといった送粉者を助ける、庭では農薬を使わないようにするなど。
本書で述べられている対策は正直そう簡単にはいかないものばかりではあるが、昆虫減少による危機とその原因が明確になれば規制に真っ先に動いたEUのように、状況は変わっていくはずだ。そのためにも、昆虫の数の減少傾向とその環境への影響は今後より重要なテーマになっていくだろう。