ある事柄について語ろうとする時、いわく言いがたい居心地の悪さを感じることがある。たとえば「民主主義」がそうだ。「民主主義は大切だと思うか」と問われれば、迷わず「大切」と答えるが、そう即答しながらも、どこか口先だけでものを言っているような違和感が拭えない。まるでサイズのあわない借り物の服を着ているような収まりの悪さを感じてしまうのだ。
よく言われるようにそれは、民主主義が血肉化されていないせいかもしれない。私たちの社会は自らの手で民主主義体制を生み出したわけではないからだ。
「コーポレートガバナンス(企業統治)」という言葉もこれと似ている。
東芝、みずほフィナンシャルグループ、日産自動車、関西電力、三菱電機と挙げれば、どれも世間で名の通った一流企業だと思うかもしれない。だがこれらはいずれも近年、経営の歪みが表沙汰になった企業だ。こうした企業の不祥事が問題になるたびにコーポレートガバナンスの重要性が叫ばれる。だがコーポレートガバナンスを自家薬籠中のものとし、当たり前のように実践している企業がどれだけあるだろうかと考えるとはなはだ心許ない。その証拠に似たような企業不祥事がたびたび繰り返される。つまるところそれは、「コーポレートガバナンスとは何か」が理解されないまま、空疎な掛け声にとどまっているからではないか。
コーポレートガバナンスを理解するための最良のケーススタディーとして本書が取り上げるのは、LIXILグループ(現LIXIL)の株主総会をめぐる攻防である。かつて「コーポレートガバナンスの優等生」と呼ばれた会社で起きたプロ経営者の追放劇。だが追い出されたプロ経営者は泣き寝入りすることなく戦いを挑み、勝つのはほとんど不可能とされる株主総会で劇的な逆転勝利を収めた。これは日本の企業社会では稀有なケースだった。
本書はコーポレートガバナンスの生きた教科書である。巨大企業の舵取りをめぐる争いはなぜ起きたのか。その時、当事者はどう動いたのか。著者は関係者の証言をもとに「事件」を再現していく。一連の出来事に関わった当事者たちの言葉や動きをつぶさにたどるうちに、「コーポレートガバナンス」という無味乾燥な言葉に、にわかに熱い血が通いはじめるのを感じるはずだ。
LIXILは国内最大の住宅設備機器メーカーである。傘下に約270社のグループ会社を抱え、150以上の国と地域でビジネスを展開している。2022年3月期の売上高は1兆4285億円、従業員は全世界で約6万人にのぼる。
グループ誕生のきっかけは、サッシや窓、シャッターなどを製造・販売するトステムと、トイレや洗面器などを手がけるINAXとの経営統合だった。両社は2001年に経営統合し、INAXトステム・ホールディングス(HD)となった。同HDは2004年、住生活グループと社名を変え、その後サンウェーブ工業や新日軽、東洋エクステリアなどを傘下に収め、2011年にLIXILグループが誕生した。
一連の内紛を振り返るには、まずグループ内の力関係を押さえておかなければならない。そもそもトステムとINAXの経営統合は対等ではなかった。事実上の母体はトステムで、INAXはいわば被買収企業だった。この権力構造はLIXILグループでも引き継がれ、実権はトステム創業家出身の潮田洋一郎氏が握っていた。潮田氏はLIXILグループの取締役会議長であり、指名委員会のメンバーでもあった。
この指名委員会が次に押さえるべきポイントだ。
LIXILグループは指名委員会等設置会社である。指名委員会等設置会社とは何か。株式会社は「所有(株主)」と「経営」が分離されている。株主からの負託を受けて執行部(経営陣)が経営にあたるわけだが、指名委員会等設置会社は、経営をさらに「執行」と「監督」に分け、業務は執行に委ね、それを取締役会が監督するかたちをとる。取締役会の内部には、指名委員会・監査委員会・報酬委員会が設置され、このうち指名委員会はCEO(最高経営責任者)の人事権を握っている。
日本企業では長らく取締役が経営の「執行」と「監督」を兼任してきた。このため株主の視点が反映されにくく、これからは株主の利益を重視した経営をすべきだとして、東京証券取引所と金融庁が2015年にコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)を導入した。LIXILグループが「コーポレートガバナンスの優等生」と呼ばれたのは、指名委員会等設置会社となったのがこれより前の2011年だったからだが、その会社で信じがたい内紛劇が勃発したのだから笑えない。内紛劇とは、簡単に言えば、創業家出身の潮田氏が、自らが招聘したプロ経営者であるLIXILグループ社長兼CEOの瀬戸欣哉氏のクビを切った一件だった。
本書は、瀬戸氏が出張先のイタリアで、潮田氏からの電話でCEO解任を告げられる劇的な場面からはじまる。後にわかったことだが、この時、潮田氏は二枚舌を使っていた。瀬戸氏には「指名委員会の総意で辞めてもらうことになった」と伝え、臨時で開かれた指名委員会では「瀬戸氏が辞めたいといっている」と伝えていたのだ。そして瀬戸氏のクビを切った後、自らCEOに就くと主張した。
指名委員会は本来、CEOの適性を客観的に判断する役割を担う。だが、そのメンバーである潮田氏自身が、自分が相応しいと手を挙げたのだ。創業家出身とはいえ、潮田氏はわずか3%しか株式を所有していない。にもかかわらず会社が自分の持ち物であるかのようにふるまった。「コポレートガバンスの優等生」という評判はメッキに過ぎなかったのである。
この理不尽な仕打ちに瀬戸氏は反旗を翻す。紆余曲折の末、決戦の場は株主総会となった。ここで瀬戸氏は、新しい取締役と自らのCEO復帰を株主提案するのだが、普通に考えればこれは負け戦である。なぜなら日本の企業社会では株主提案が勝利するケースはほとんどないからだ。例えば2019年には54件の株主提案がなされているが、わずか1件をのぞきすべて否決されている。実はこの1件が瀬戸氏による株主提案だった。瀬戸氏の勝利が奇跡的と称される由縁である。
本書の読みどころはふたつある。
ひとつは、負け戦からの巻き返しのドラマだ。瀬戸氏の思いに共鳴した人々が次々に助太刀として戦列に加わる。本書が優れているのは、その出会いのドラマを読むうちに、例えばコーポレートガバナンスの肝となる「社外取締役」の重要性などについて、読者が共感をもって理解できるようになっている点だ。
コーポレートガバナンス・コードは、社外取締役を取締役の3分の1以上とするよう求めているが、これを頭で理解できても、なぜ社外取締役が必要なのか、実感をもって理解するのはなかなか難しい。だが、瀬戸氏のもとに徐々に人が集まり、最高のチームが結成されていくプロセスを手に汗握りながら読み進むうちに、自然と社外取締役の意義が理解できるようになっている。
ふたつ目の読みどころは、戦いを通して終始一貫する瀬戸氏の熱い思いである。瀬戸氏はカネのためにCEO復帰を訴えたのではない。瀬戸氏はすでに間接資材の通販会社であるモノタロウを創業し一財をなしている。金銭の問題ではなく、アンフェアなやり方で会社を私物化しようとした潮田氏の姿勢が許せなかったのだ。
本書には「Do The Right Thing(正しいことをする)」という言葉が頻繁に出てくる。これは瀬戸氏の信条である。正しいことをなすために声を挙げれば、思いもよらないところから手が差し伸べられる。世の中は案外捨てたものではない。本書を読んで勇気づけられる人も多いのではないか。
株主総会で奇跡的な勝利をおさめ、瀬戸氏はCEOに復帰した。LIXILでは、今後二度と経営が暴走することのないよう数々の改革が行われた。その徹底ぶりには目をみはるものがある。LIXILはいまや誰もが認める「コーポレートガバナンスの優等生」だ。
巨大企業を舞台にした人間ドラマと、コーポレートガバナンスの教科書的要素が見事に両立したノンフィクションである。