スタジオジブリが出している『熱風』という小冊子に、ジャーナリストの青木理さんが聞き手をつとめる「日本人と戦後70年」という連載がある。ここに2021年8月号と9月号にわたり著者との対談が掲載された。
一読して驚いた。朝日新聞が生き残りをかけて調査報道を新たな看板に据えようとしていたこと、そのチャレンジが経営陣によって潰されたことが、生々しく語られていたからだ。
海外では調査報道に活路を見出した新聞社の例もある。朝日の狙いは間違っていなかったはずだ。にもかかわらずせっかくのチャンスを自らの手で潰したとはどういうことか。もっと詳しく知りたいと思っていた。
その経緯を詳らかにした一冊がついに出版された。しかも当事者の著者自身によるノンフィクションである。優秀な記者が関係者はすべて実名で朝日新聞の内幕を明かしているのだ。これほど迫力ある内部告発があるだろうか。大新聞中枢の権力闘争、政権与党からの攻撃、組織による冷酷な仕打ちなど読みどころ満載で、息つく間もなく読み終えた。
著者は朝日新聞の本流である政治部の花形記者だったが、ある件で左遷され会社を辞め、現在はウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」で精力的に記事を発信している。ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で有名になった立憲民主党の小川淳也氏は香川県立高松高等学校の同級生だ。
著者の記者時代は新聞の衰退と重なっている。実際その凋落ぶりは凄まじい。各章の冒頭にその年の新聞販売部数が掲げられているが、著者が入社した1994年、朝日新聞の部数は822万3523部あった。前年比ではマイナス9872部だが、まだ騒ぐほどの数ではない。
では、著者が会社を去った2021年はどうか。部数は466万3183部。前年比マイナス39万1536部である。まさに「坂道を転げ落ちるような」という表現がぴったりだ。この年の3月期連結決算で朝日新聞社は創業以来最悪の442億円の赤字に転落した。
本書のアウトラインを簡単に示せば、次のようになるだろう。
27歳で政治部に着任した著者は、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党の政治家の番記者を務め、39歳という異例の若さで政治部デスクに抜擢された。その後、朝日新聞の将来をかけて新設された調査報道専門のチームである特別報道部のデスクに転じ、2013年には福島原発事故後の除染作業の不正を暴き、取材班を代表して新聞協会賞を受賞した。
ところが記者としての絶頂を味わった翌年、デスクとして関わった福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープが問題となり、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と猛攻撃を受ける。折しも朝日新聞社は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その遅きに失した対応を批判した池上彰氏のコラムを木村伊量社長自ら掲載拒否した問題で窮地に立たされていた。
2014年9月11日、木村社長が緊急記者会見を行った。その席で木村氏は、自らの責任を問われていた「慰安婦」「池上コラム」には触れることなく、「吉田調書」のスクープを誤報と断じて記事を取り消し、関係者を処罰すると宣言して辞任を表明した。あろうことか大新聞社の経営者が社員個人をスケープゴートにしたのだ。著者は「朝日新聞が死んだ日」と表現しているがまったく同感だ。私自身もこの件をきっかけに朝日の購読をやめた。
社長会見を受けて行われた著者と現場の記者2人に対する社内の事情聴取は苛烈をきわめたという。ネットには関係者しか知らない著者の個人情報が流出し、誹謗中傷があふれた。だが著者や家族が標的にされても、会社は何の対応もせず黙殺した。2014年末、著者は停職2週間の処分を受け、記者職を解かれる。不慣れな部署で6年半を過ごした後、2021年2月に退職届を出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を立ち上げた。
以上が概要だが、実のところ、こうした要約で本書の面白さを伝えることはできない。本書の最大の読みどころは、実名で登場する関係者が織りなす人間ドラマにある。朝日新聞の実権を握る政治部のエリートたちが、嫉妬、裏切り、足の引っ張り合いといった醜態の限りを尽くす。一方で、組織に爪弾きにされた著者にそっと手を差し伸べる人もいる。そうした濃い人間ドラマに読者は心を掴まれるだろう。
ところで、著者の転落のきっかけとなった「吉田調書」とは何か。吉田調書とは、2011年の東京電力福島第一原発の事故直後に現場で危機対応にあたった吉田昌郎所長が、政府事故調査・検討委員会の聴取に答えた内容を記録した公文書である。2013年に亡くなった吉田所長の貴重な肉声を伝える資料であるにもかかわらず、政府は極秘文書として非公開にしていた。原発事故の最前線で本当は何が起きていたのか、国民は知る機会を奪われていたのである。
この吉田調書をある記者が入手したことを著者が知ったのは2014年2月のことだった。A4判で400ページを超える調書には、「これでもう私はダメだと思ったんですよ」「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」といった証言が生々しく記録されていた。だが、この第一級の機密文書を隅々まで読み込んだ記者が重視したポイントはそこではなかった。事故についての証言はたしかにセンセーショナルだが、東電の事故対応を徹底的に追い続けてきた記者からすれば、これは新事実ではなかったのだ。
取材班が新事実として注目したのは、吉田所長が社内のテレビ会議で所員に対し第一原発構内での待機を命じていた、という部分だった。実は東電が公開した映像ではこの場面だけ音声がなかった。東電側はそこだけ「録音していなかった」と説明していたが、記者たちは「録音をあえて消したのではないか」と疑っていた。調書によって初めて、あの時吉田所長が何を指示していたのかが明らかになったのだ。
ところが吉田所長が現場に踏みとどまるよう命じたにもかかわらず、現実には第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が10キロ離れた第二原発に退避していた。しかもその中には事故対応の指揮にあたるはずの部課長級の責任者も含まれていた。その間、原子炉は暴走を続けた……。
朝日新聞のスクープ記事は、この部分に焦点をあてたものになった。結果的にこれが仇となる。ネットで「待機命令が出ていたことに気づかず退避した人もいるはずだ」と批判があがるようになり、やがてその声は「捏造だ」とエスカレートしていく。
一連の経緯を読んで思うのは、朝日の危機管理の拙さである。
ネットで批判の声が出はじめた時にすぐさま対応すべきだったが、上層部は「木村社長が吉田調書報道を新聞協会賞に申請すると意気込んでいる。いまここで第一報を修正するような続報を出すと、協会賞申請に水を差す」と修正を認めなかった。加えてネット言論を軽視して見下す姿勢もあった。
本書には朝日新聞の「どうしようもなさ」がこれでもかというくらいに描かれている。読んでいるとため息がでる。だがその一方で、「ありえたかもしれない未来」にも思いを馳せずにはいられない。それは「調査報道に特化した新聞」という未来である。
調査報道専門のチームは立ち上げ早々からいくつものスクープを放った。そのあたりのことも本書に詳しく書かれているが、読みながら間違いなくここには新聞の未来を切りひらく鉱脈があると思った。朝日はそれを掘り当てたにもかかわらず、愚かにも自分で埋めてしまったのだ。
もうひとつ、記者の存在意義についても考えさせられた。ネット言論の影響力はいまや既存メディアをしのぐが、その内実は、百家争鳴的な「声のデカさ」に過ぎない。いくらネットの影響力が増そうとも、事実を最初に掘り起こす記者の仕事は決してなくならない。
本書に老獪な政治家との攻防の話が出てくる。番記者は政治家に密着するが、プライベートを犠牲にするのも人それぞれ限度があり、政治家にくっついて回るうちに記者がひとり減りふたり減りしていく。そして最後に残った記者にだけ、政治家はディープな情報を囁くのだ。極秘裏情報である。記者からすれば喉から手が出るほど欲しい情報だ。
だが実は、政治家が明かす裏情報には、巧妙に偽情報が仕掛けられているという。政局が自らに有利に働くよう加工された情報をまぎれこませてあるのだ。いわば罠である。優秀な記者はこうした狙いも見抜いた上で、政治家と付き合い記事を書く。
本書を読むと、権力者に好き勝手にさせないためには、それに対抗できるだけの実力を備えた記者が必要だということがよくわかる。朝日新聞の落日を描いた本書は、逆説的に優れた記者の必要性を浮かび上がらせている。ジャーナリズムは、民主主義社会に必要なインフラのひとつなのだ。
まもなく選挙がある。もはや新聞にかつてのような影響力はないが、記者たちは矜持をもって仕事をしてほしい。社会のために良い仕事をすること。それこそが新聞をふたたび手にとってもらうための一歩になるのだから。