「ねえねえ、ちょっと聞いて。おもろい話が、あんねんけど」。そう話しかけられたような、「京都の下町」での上質な、極上の、世間話を聞いているような、そんな親しみの湧く本です。
著者の通崎睦美さんは、1967年京都市生まれの「クラシック音楽の分野で世界唯一の木琴奏者」であるだけではありません。
木琴の巨匠・平岡養一さん(1907~1981)の評伝『木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生』(講談社)で、吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞された文筆家でもあります。
この本は、彼女が暮らす京都市下京区「天使突抜」(実在する町名)にまつわる、いろんなエピソードを淡々と、でも、真心をこめてつづったものです。
すでに通崎さんは、最初の本『天使突抜一丁目』(淡交社)を20年前に書かれています。
京都・寺町の、いまはなき伝説の書店・三月書房で、はじめて見た時に「ふしぎな本だなぁ」と思って手に取り、続編といえる『通崎好み』も『天使突抜367』(いずれも淡交社)も愛読してきました。
今回は、380ページのハードカバーなので、以前の3冊をあわせたぐらいの厚みがありますが、一文が短く、頻繁に行替えがあるため、スラスラ読めるにちがいありません。
「第一部 天使突抜の人々」にはじまり、「第二部 記憶を紡ぐ」では、通崎さんのこれまでが明らかにされ、「第三部 通崎家の京都百年」では、ひとつの家から日本近代の歴史をみとおします。
「天使突抜」という、まぼろしのような本当の町名は、「五条天神社(ごじょうてんしんしゃ)」に由来していて、最初の本(『天使突抜一丁目』)では冒頭の3ページで、比較的あっさりと説明されていたのにたいして、今回は、「突抜」研究にふれながら、言い残すのです。
天使突抜には、いまだ解明されない謎が残るようで、想像力がかき立てられる。(pp.18)
どんな説があり、どんな謎が残っているのでしょうか。
読者は、ここで通崎さんの話に引きずりこまれるしかありません。
そんな「令和の今にも、自然なご近所づきあいが残る地域」(pp.18)での、あんな話、こんな話のなかに、通崎睦美という天使のような人の人生がちりばめられています。
「もし、堀音を落ちたら、女子プロレスラーになります」と断言した。
当時、女子プロがブームで、ライオネス飛鳥と長与千種の「クラッシュ・ギャルズ」が流行っていた。
なんとなく合格できそうな気がしていたし、腕を鍛えるため、鉄アレイでトレーニングしたり、腕立て伏せをしたりしていたから、説得のセリフとしては、それが最適だと思った。(pp.215)
京都人であり、木琴奏者にして文筆家、おしとやかなイメージとは正反対のこの啖呵にこそ、通崎さんの、しなやかな強さがあらわれています。
受験して入った同志社中学から高校への内部進学をやめ、京都市立堀川高等学校音楽科(堀音)を受けると、不合格になっても同志社高校には進めません。
ご両親からの「それでもいいのか」との問いかけへの答えが、「女子プロレスラーになります」でした。
「負けず嫌いで「できない」と言いたくない」(pp.165)ところは、保育園を数日で退園した「前科」に、はやくもあらわれていました。
その「前科」とは、どんなものだったのでしょう。
それこそ、「ねえねえ、ちょっと聞いて」と話したくなるものなので、まずは覗いてみていただきたい。
そして、この本を、ただの「京都本」から、くっきりと隔てるのは、ほぼまんなかに置かれた「満永小百合さんのこと」です。
「第三部 通崎家の京都百年」がおよそ100ページ、「満永小百合さんのこと」は50ページほどですから、その重みがわかりますが、量だけにとどまりません。
満永小百合さんというひとりの女性の人生をとおして、「楽譜を大切にして、真心のこもった誰よりも美しい音色で楽しく演奏すること」(pp.197)という、演奏家としての通崎さんの根っこが、つたわります。音楽を通した出会いと別れ、その、たしかな手ごたえがあります。
ひとつの場所にとどまりつづけることによって、だからこそ、普遍的な、古今東西につうじる視点を持つ、それが通崎さんの天使たるゆえんなのでしょう。
そんな通崎さんでも「思わずのけぞった」(pp.333)という、ご両親の「プロポーズ」をめぐる逸話は、かならず読まなければなりません。
ご両親が、このやりとりにたどりつくまでには、通崎家のみならず、日本の多くの人たちが経験してきた「近代」という時代が刻まれているからです。
丹念に編集されているだけに、どこから拾い読みしても、どこかにかならずつながっている、そんな「本」としての楽しさを、存分に味わせてくれます。
その楽しさは、通崎さんがこれまで生きてきた「天使突抜」の魅力であり、通崎さんご自身の奔放さであり、さらには、わたしたちが生きる一日一日の尊さにほかなりません。