本書の書き出しは穏やかではない。なにしろ京都で名高い縁切り神社の話から始まるのだ。そこは「悪縁」を切ることのできる最強の縁切り神社として知られる。訪れた人は、境内にある巨石が参拝者によって糊付けされた形代(白いお札)でびっしりと覆われているのに圧倒されるだろう。
著者は神社のすぐ近くまで足を運びながら、縁が本当に切れてしまうことにためらいを覚え、結局行くのをやめてしまった。著者はお札にこう書くつもりだったという。
「野口健との縁が切れますように」と。
野口健は1999年、25歳でエベレストの登頂に成功し、七大陸最高峰世界最年少登頂の記録を樹立したアルピニスト。その後は富士山やエベレストの清掃など、環境活動や社会貢献に積極的に取り組んでいる。メディアではこんなふうに紹介されることが多い。講演の依頼は引きも切らず、1本あたり80万円の講演を年間100本近くこなすという。
一方で、ある時期からの野口に首を傾げる人も少なくないのではないか。政治への露骨な接近、ツイッターでの炎上など、迷走している印象が強い。「若きアルピニスト」として颯爽とメディアに登場したものの、現在は「毀誉褒貶の激しい人物」というのが大方の見方かもしれない。
著者はこれまで野口健のマネージャーを計10年務め、その間、有限会社野口健事務所への入社と退社を3度も繰り返している。その間に職を転々とし、心を病んだこともある。3度も会社を辞めていれば何かあったのだろうと想像はつくが、わからないのは、著者がそのたびに野口のもとに戻っていることだ。いったいなぜ、著者は野口とくっついたり離れたりを繰り返してきたのか。
本書で描かれるのは、ふたりの人間の引力と斥力の物語である。きれい事抜きの感情剥き出しの人間ドラマは、迫力があり読み出すと止まらない。従来の評伝や人物ルポといったジャンルには収まりきらない、まったく新しい人物ノンフィクションである。
野口健は1973年、外交官の父・雅昭とエジプト人の母・モナとの間に生まれた。
大人になるまでの野口の人生はハードだ。幼少期を過ごした日本では「ガイジン」といじめられ、父親の転勤でエジプトに移り住むと母親が不倫に走った。小学6年生から高校まではイギリスにある全寮制の学校で過ごすが、家族関係のストレスから心身に変調をきたし、成績は低迷した。
野口を変えるきっかけとなったのは、植村直己の著作との出会いだった。書店で偶然手にして以来、植村の自由な生き方に魅了され、山に興味を持った。この頃、野口は初恋の女性にも出会う。成績が伸びずに悩む野口に「そんなに好きなら山をやってみればいいじゃない」と勧めたのは彼女だった。
一方、著者は1978年、山梨県に生まれた。法政大学在学中に作家・村上龍のアシスタントを務め、リサーチやウェブサイトのコンテンツ制作などに関わり、卒業後は東京都知事だった石原慎太郎の公式サイトの制作・運営に携わった。
本書では野口の半生とともに、著者のこれまでの歩みも詳しく語られる。野口の初恋がプラトニックだったのに対し、15歳の著者は、初恋の女性と酒を飲み、性行為に耽る。彼女は家庭に問題を抱えていた。進学校を中退した著者は、別の高校を再受験するまで彼女の家に入り浸った。そんなことまで赤裸々に語られる。
著者のこの回想に最初は戸惑った。「自分語り」が過ぎるのではないかと思ったのだ。ところが読み進むうちに、その印象は覆された。著者のこの「自分語り」こそ、本書になくてはならないものだったのだ。
著者は2003年に野口と出会う。石原慎太郎と関わりのある著者に野口のほうが興味を持ち、共通の知人を介し会食することになったのだ。野口はすでに有名だったが、著者はあまり興味がなかったという。ところが会食を通じてすっかり野口に魅了されてしまう。別れ際に握手を求められた。もう少しだけ力を入れたら痛みを感じてしまう、その一歩手前の握手に、「グッと何かが持っていかれた」という。こうして著者は野口のマネージャーとなった。そして、この時から、「悪縁」が始まった。
野口が山の次に目指したのは、政治の世界だった。橋本龍太郎、青木幹雄、久間章生、鳩山邦夫、小池百合子、石原慎太郎らそうそうたる政治家が登場する。ところが政界への色気はあるものの、出馬を決断できず、ずるずると政治と縁を切れない関係が続いた。選挙のたびに人寄せパンダとして利用される野口に著者は苛立ちを募らせる。
著者によれば、この頃から野口の性格が変わっていったという。「講演会に未就学児童を入れるな」と言い出し、主催者にも徹底させるよう神経質に要求した。気づけば、新幹線でも飛行機でも、近くに赤ちゃんがいないか異常なまでに気にするようになった。睡眠薬を手放せなくなり、妻との別居が始まった。著者の小さなミスも「異様にしつこくネチネチと」責めるようになった。もともと人の心の機微に敏感な野口が、人を責める側に転じると何が起きるか。深く人格を傷つけられた著者は追い詰められていく。
野口との関係に疲弊した著者は事務所を辞める。だが、頭を下げられると、ふたたび野口のもとに戻ってしまう。まるで依存症をめぐる共依存を思わせるような関係である。それにしてもなぜ著者は野口との関係を切れないのか。
登山家としての野口の評価は、「3・5流」だという。山岳ジャーナリストの服部文祥は、野口の登山の実力はフルマラソンにたとえるとオリンピックレベルではなく市民ランナーレベルだと話す。アルピニストとは本来、未踏峰や未踏峰ルートなど、より困難なことに挑戦する者を指す。野口の場合は、初めて登った「野口ルート」があるわけでもなく、アルピニストとはいえない。「七大陸最高峰世界最年少記録」も後に記録更新が続き、現在は15歳が最年少記録だ。
だが、野口健という人物の本質は、そういう登山家としての評価とは別のところにあるような気がする。本書を読んでいて驚かされるのは、野口の並外れた行動力だ。著者によれば、それは時に現実を歪曲する力を持つ。自分が立てたストーリーを強く信じ込み、想いやイメージを確実に具現化していく。これこそが、野口の最もすさまじい能力なのだという。
やりたいことを次々と実現する野口とは対照的に、著者はずっと屈託を抱えて生きてきた。村上龍のアシスタント時代、ある専門家に取材記事を褒められ、「あなたは必ずや、もの書きの道で生きていくべき人です」と言葉をもらった。自分も野口の登山と同じように「自分の道」に出会えたような気がした。だが著者はここでポツリと呟くのだ。
「私は野口と異なり、その道をうまく歩けなかった」と。
読みながら、私も著者と同じだと思った。いや、私だけではない。世の中のほとんどの人が、若い頃に思い描いた人生とは違う道を歩いているのではないか。なりたかった自分になれないまま、なんとか世間に居場所を見つけて生きているのではないか。そのことに気づいた時、著者の「自分語り」が胸に迫ってきた。野口と著者の人生のコントラストがくっきりと浮かび上がってきた。
著者は野口に憎しみを抱きながら、強く惹かれてもいる。やりたいことを次々に実現させる野口が、著者の目には太陽のように輝いて見えるのかもしれない。だが太陽は近づき過ぎればその身を焼かれてしまう。
京都の縁切り神社の境内にある巨石には、人ひとりくぐれる大きさの穴が開いている。表から裏に通り抜けることで「悪縁」を切り、次に反対側から穴をくぐり「良縁」を結ぶ。著者は本書を書くことを通じて、表から裏へと穴をくぐり、ふたたび表に戻ってきた。野口健とは何者なのか。その実像を描く先に、著者は自分自身を見出す。書くことは著者にとって再生の儀式だった。
この本を読み終えてからずっと、自分の人生について考えている。それは、本書にこんな問いを投げかけられたような気がするからだ。
〈あなたは、自分自身の人生を生きているだろうか?〉