私と同じ1955年生まれの高校や大学の同級生たちが定年を迎えた。その彼らにあまり元気がなく、家で燻っていることが多い。国立大学の65歳定年制度で名誉教授になった友人たちも同様、みな手持ち無沙汰の様子なのだ。
加齢を恐れている友人も少なくないのであるが、私はそんなことないと思う。というのは、年を取るほど若い人たちにはない「教養」が増え、色々なことに新しい見方ができ、挑戦できるからだ(成毛眞『俺たちの定年後』ワニブックスPLUS新書)。
私は定年後の仕事を「科学の伝道師」と決めている。いまから約10年後の西暦2030年代に「南海トラフ巨大地震」が起きるからだ。その時期は私が専門とする地球科学の研究によって、2035年±5年と予測されている。
政府の中央防災会議は南海トラフ巨大地震の規模をマグニチュード9.1、また海岸を襲う津波の最大高は34メートルに達すると想定した。南海トラフは西日本の海岸に近いので、巨大津波は一番早いところでは2〜3分後に襲ってくる(鎌田浩毅『首都直下地震と南海トラフ』MdN新書)。
これは東日本大震災の被害より一桁大きい甚大災害なのだ。具体的には、東日本大震災の約20兆に対して南海トラフ巨大地震は220兆円を超えると試算されている。
その一方、今から準備すればその8割を減らすことができる。そのために日本全国にでかけて防災の仕方を説くのが私の本務となっている。
その時に必要になるのが、まさに教養なのである。そして、京都大学に駆け出しの教授として赴任した41歳の私より、今の方がずっと説得力のある話ができる。最近、そのための入門書『武器としての教養』(MdN新書)を上梓した。
現代は「VUCA WORLD(見通しの立てにくい社会)」といわれる。新型コロナによるパンデミック、大災害や予想だにしない事件や事故が起こり、「超想定外」の状況が続いている。
現代のように不確実性の高い社会で仕事をする際、教養の意義がますます脚光を浴びるようになった。たとえば、異なる文化や習慣をもつ民族のあいだで円滑に対話を行うのに、教養が不可欠である。刻々と変化する状況を把握し的確な戦略を立てるためにも、教養は大事な基盤となる。
国際人として信頼を得て尊敬されるためには、仕事ができるだけでは不十分なのである。仕事が良くできるのはあたりまえ。それに加えて、幅広い教養と人間的な魅力が必要となる。両方があってはじめて、総体的に能力を発揮できるからだ。
個人のキャリアアップの過程においてもそうである。「スペシャリスト」から「ジェネラリスト」への転換の中で、教養は重要な働きをする。人柄と幅の広さがポイントとなる。世界に通用するエグゼクティブは、みなジェネラリストである。仕事と人物の両方で合格していなければならない。
さらに、教養には人生を豊かにする大事な側面がある。音楽、絵画、スポーツ、旅、ファッション、グルメなど何でもよい。自分の趣味を幅広く開発しておくことは、人の生きかたに潤いを与えることに誰も異論はないだろう。
これまで私は京都大学の講義で教養に関する話にかなりの時間を割いてきた。地球科学の講義の最中にも、教養にまつわるエピソードを余談としてたくさん挿入する。というのは、改まって行うような話では、教養というものは伝えにくいからだ。
そもそも教養は、人生全体の戦略を練る上でもきわめて重要なものである。教養にどれだけ投資できるかで、人間の器が決まると言っても良い。
結論から言うと、最終的な人生の勘定では、教養があったほうが必ずプラスになるのだ。人物の広さは教養の深さと比例するからである。
さらにキャリアが進んで仕事の質が上がれば上がるほど、教養はもっと大切になる。実は、仕事上の能力だけでは勝負はつかない、ということが起こる。人としての器の大きさが、人事では最終的にものを言うのだ。本人が長年かけて地道に蓄えてきた教養がここで底力を発揮する。
私は最初に書いたビジネス書『成功術 時間の戦略』(文春新書)の第6章を、「教養」の章とした。各章の冒頭には一番言いたいことを3行のキーフレーズで記したのだが、それが「教養がある人が最後には勝つ」なのだ(同書、122ページ)。
そして多くの人が知っているように、教養は一朝一夕では身につかない。そして仕事の忙しさにかまけていると、教養までなかなか気がまわらない。だから多くの人が手を抜いてしまうのである。
学生時代には音楽会や美術館へ足しげく通っていたのに、社会に出たらご無沙汰してしまう人があまりにも多い。背に腹は替えられない、と言いながら、何十年も教養から遠ざかっている。
だからこそ、私は一生つづくような豊かな教養のアイテムを、しっかりと身につけて欲しいと思う。単に見栄や恰好で絵画を見に行くのではなく、人生の一部に組み込まれるような趣味を確立してほしい。そうしていると、いつの日か教養が自分を助けてくれるのである。
教養を自分のものとするには、時間と金がかかる。しかし費やした時間と金は、その人の目を必ず肥やしてゆく。よって、早いうちから、教養に投資する習慣をつけてほしいと思う。
思い立ったが吉日だ。人生の幅を拡げるチャンスはここにある。教養の重要性に気づいたその日から、始動してほしい。