闘病記というものは,どのような人がどのような気持ちで読むのだろう。自分が,あるいは親戚や友人が病気になったときに参考にする,あるいは共感を得たいがためにといったところだろうか。しかし,『ぼくとがんの7年』はよくある闘病記とは少し違う。より幅広い人たちにとって読む価値のある<闘病記>に仕上がっている。
数年前に上梓した『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社,2017)という本でいろいろと書いたためか,がんについての講演を依頼されることがよくある。その終わりには,本にも書いた次の二点を伝えることにしている。がんと診断されてから考えると,妙に悲観的に,あるいは楽観的になりすぎてしまう可能性があるから,そうなる前にきちんとした知識を頭に入れておいてほしい。その上で,いざとなったらどうするかを考え,周囲の人と相談して,ある程度の覚悟を持って決めておいてほしい。そして,必ずもう一つ付け加える。
ただし,そうしていても,いざというときには考え方が変わるかもしれません。それはそれでかまいませんから,と。だが,この本を読んで,どうやら思い違いをしていたことがわかった。考え方が「変わるかもしれません」ではなくて,「きっと変わるに違いありません」が正しそうだ。
著者である松永正訓(ただし)先生は千葉市で小児科・小児外科のクリニックを開業しておられる小児外科出身の医師である。同時に,小学館ノンフィクション大賞を2013年に受賞した『運命の子 トリソミー:短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館,2013)をはじめ,これまでに10冊以上の本を出しておられる文筆家でもある。その何冊かを読ませてもらったが,どれもすごく面白い。
医学生から大学院生時代を描いた『どんじり医』(CCCメディアハウス,2020)は,私の方が少し年長だが同世代としてすごく懐かしく,ある雑誌で簡単に紹介させてもらった。そんなこんなでFacebookでのつながりもある。お目にかかったことはないのだが,ラグビー部のご出身とかクリニックのHPでのお写真から,マッチョ系の印象を持っている。間違えていたら叱られそうだが,いまでも,基本的にはそのイメージは変わっていない。しかし,おそらく,この闘病記だけを読んでそう思われる人は少ないだろう。
血尿を初期症状に膀胱がん(尿路上皮がん)と診断され,治療を受け続けられた7年間の記録である。経過は思い通りではなかったが,最悪でもなかった。その間,一喜一憂し,考えては悩んでを繰り返す。治療による体の苦痛だけでなく,再発時に襲ってきた死の恐怖や魂の痛みなど,患者にならなければわかりえなかったことがたくさんあった。
もともと小児がんの専門家なのだから,がんについての知識は十分にある。それに,これまでの著書からうかがえるように患者さんやご家族の内面を深く理解してこられた先生だ。そんな先生ですら,がんになる前の経験と思索では不十分だった。考えてみれば,人間というのはその程度のものなのだろう。前もって頭だけで全てがわかれば苦労はしない。
この本の何より素晴らしいのは,客観的だけでなく主観的にも,患者として経験したことが極めて詳細に,そして正確に記述されているところだ。もちろん医師としての知識と経験のなせる技ではあるが,それはあくまでも背景にすぎない。弱音や医療に対する不満もたっぷり書いてある。それに,家では看護師である妻に泣きを入れる夫であるけれど,病院では主治医に対して臆せずしっかり物申す患者でもある。感情と理性,両者の軌跡が人間的ですごくいい。<これぞ正しい患者道>とでも呼ぶべきものではないかという気すらした。
闘病についてだけではなく,死の受容や医療における意志決定など,いろいろなことを考えさせられた。医師は言うに及ばず一般の方にとっても間違いなく有益な一冊,書店で闘病記の棚や医療のコーナーに押し込めておくにはもったいなさすぎる。
Web 医学書院の「ぼくとがんの7年」特設ページから転載。まえがきも読めます。