「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」という言葉がある。暗い場所から明るい場所はハッキリ見えるが、明るい場所から暗い場所は見えないだろうという意味だ。この言葉は、歴史の捉え方という観点から見ても、非常に示唆に富む。
中国古代史、中でも秦や漢の時代について語るとき、真っ先に脳裡に浮かぶのは、始皇帝、項羽と劉邦、三国志の武将など、その時代の太陽ともいえる人たちばかり。だが、激動の時代の頂点に君臨する英雄の足取りをもってその時代を理解する、という手法に見落としはないのだろうか。
英雄の陰には、名もなき民の支えがあるものだ。こうした人々の日々の営みの集積もまた、歴史を動かす要因になったことだろう。ならば、その時代に社会を下支えしていた人々は、どのような暮らしをしていたのか。何時に起床し、何回食事をとり、どのようにトイレで用を足したのか。
本書は古代中国の人の1日、24時間を、「未来からやってきた怪しい人物が、皇帝の許可をもらって帝国の中を散策する」という架空の設定の下、朝から晩までの時間軸にそって紹介した1冊である。
例えば朝、現代人は起きて顔を洗い、歯磨きをする。だが古代には、残念ながら歯ブラシなど存在しない。それゆえ、漢代の人々が最も恐れていたのは虫歯だったという。当時、歯を削る技術はなかったため、ひとたび虫歯になれば治ることはなく、徐々に歯が侵食されていくのを待つだけだったのだ。
また、抜け毛の問題も切実であったようだ。髪の悩みは古今東西尽きない。当時の人々は冠を被ることによって自らの身分を示していたが、冠を固定するためのマゲを結うには、長い髪が必要だ。そのため、カツラを被っていた官吏も多かったという。
さらに興味深いのが、トイレ事情。当時、多くのトイレが豚小屋の上の階に設置された。排泄物を豚に食べさせて処理するためだったが、そこから壁づたいに移動すれば屋敷外に逃げやすいため逃走経路にもよく使われたという。トイレがしばしば歴史を動かす舞台になった所以である。
ほかにも、痔の対処法、恋愛事情、宴席での振る舞いなど、今すぐ古代中国に行けと言われても困らないほどの情報が得られる。下世話なテーマであるほど、現代の暮らしにも通底する普遍性が見つかり興味深い。それらの情景を思い描ければ、不思議なくらいに親近感が湧いてくる。
本書のような視点を歴史学の中では日常史と呼ぶそうだ。激動の時代こそ、日常性の解明に大きな意義があるのではないか。日常には、その時代、その国の本質が表れると見ることもできるだろう。
それにしても、時代や国家という枠組みから外れて、変わらぬ日常から歴史を眺めるという行為の、なんと豊かなことだろう。昔の人は偉かったわけではないが、今より劣っていたわけでもない。頑張っているときもあれば、そうでないときもあった。それが数千年もの間、ノーマルであり、スタンダードであったことが本書からは見えてくる。
肩肘張りながら、ニューノーマルを模索し続けなければならない。そんな現代人の思い込みに一石を投じてくれる1冊だ。
※週刊東洋経済 2022年1月22日号