このところ選挙でバタバタしている。11月だろうとタカをくくっていたら日程が前倒しになったためだ。政見放送や特別番組を編成するために枠を確保したり、スポンサーに連絡を入れたり、選挙報道の留意点を若手にレクチャーしたりと慌ただしい。だがその一方で、選挙にはちょっとしたお祭り気分もある。
さて、そんな選挙に異変が起きているのはご存知だろうか。
選挙といえば、かつては密集・密接・密閉の「三密」が当たり前だった。
有権者を集め、候補者は声をからして支持を訴える。演説が終われば次は握手だ。なにしろ選挙では「握った手の数しか票は出ない」といわれる。ひとりひとりの目を見つめながら「よろしくお願いします!」と握手し頭を下げる。これが定番の光景だった。
ところが、コロナがこのスタイルをすっかり変えてしまった。
集会は行われず、人が集まるため街頭演説の予定も事前に告知されない。握手なんてもってのほか。なにより候補者がマスクで顔を覆ってしまっている。いま行われているのは、文字どおり「顔の見えない選挙」である。制度が変わったわけでもないのに、私たちはまったく新しい選挙を経験しているのだ。
本書はコロナ禍のもとで行われた全国15の選挙の現場に足を運んだルポルタージュである。著者に言わせると、選挙の現場に「ハズレ」はないという。世の中に同じ選挙は二つとなく、どこへ行っても毎回違った何かが起きる。面白い人や信じられない場面に出くわす。本書はそんな選挙の楽しみ方の指南書でもある。選挙について書かせたら右に出る者はいないというくらいその道に精通した著者が手ほどきするのだ。面白くないわけがない。今回の選挙をきっかけにぜひ手に取ってほしい一冊だ。
いざ選挙となれば、メディアは連日選挙報道一色となる。よくあるのは、「注目の選挙区」を取り上げ、立候補者全員をさくっと紹介した後、「事実上の一騎打ち」などと銘打ち、特定の候補者のみを時間をかけて取り上げるパターンである。だが本書を読みながらつくづくこれではピントがずれていると感じた。なぜなら選挙を単なる勝ち負けの場としてしかとらえていないからだ。
著者は、選挙の大きな役割のひとつとして、「良い政策」を社会で共有することをあげる。2020年に行われた東京都知事選挙には22人が立候補した。いつものようにほとんどのメディアは「主要5候補」と「その他の候補」で扱いを分けたが、実は今回の候補者の中で公約が重なる人も少なくなかった(江戸城再建、ベーシックインカムの導入、動物殺処分ゼロ、アニマルポリスの設置など)。政策が重なるということは、それだけ社会的なニーズが高いということだ。
著者によれば、選挙に出るすべての候補者は「社会の役に立ちたい」という公共心を持っているという。そのため、たとえ自分は落選しても、自分が提案した政策が社会の中で共有されることを喜ぶ。実際、落選した候補の政策が当選した人に採用されるケースはある。2014年の都知事選で当選した舛添要一が最初に取り組むと表明したのが「自転車専用道路の設置」だった。ところが著者が知る限り、舛添は選挙戦の間、いちどもこのことに言及していなかったという。「自転車専用道路の設置」を訴えていたのは別の候補者だった。
選挙では、最初から「主要候補」「それ以外の候補」を分けずにフラットな目で見てほしいと著者はアドバイスする。そのうえで自分の価値観に基づいて「投票してもいい候補者」を選ぶのだ。それこそが、誰にも邪魔することのできない、あなただけが持つ「一票の価値」である。
だが、「投票したい候補者がいない」という人もいるかもしれない。
長年選挙を取材してきた著者に言わせると、残念ながら「すべてを任せられる候補者」なんていないという。100%満足できる候補者がいないということは、「よりマシな誰か」を選んで投票するということだ。つまり必ず不満は残る。ここで投票に行かなければどうなるか。他の誰かが「よりマシ」だと考えた人物が当選することになる。これは自分で選ぶ以上に不満が募る。だから選挙は行った方がいいのである。
それにしても、本書を読んで選挙というのはこんなにも面白いものだったのかと思い知らされた。可能な限りすべての候補者に会いに行くという著者だからこそ書けるエピソードが満載で、ここが本書の最大の読みどころである。
2021年7月の東京都議会議員選挙にも多様な立候補者がいた。自分で政党や政治団体を立ち上げた人、生活保護を受けながら立候補した人、街頭演説を一切せずにゴミ拾いを続けた人。中でも、選挙中に始発から終電まで駅前で座り続け、困りごと相談をした候補者のエピソードが秀逸だ。
この候補者は、板橋区選挙区から立候補した宮瀬英治である(後に当選)。宮瀬は自分の携帯電話の番号と「立憲異端児」と書いたタスキをかけ、成増駅前に丸イスを2つ置いて、始発から終電まで困りごと相談を続けていた。ところがここでちょっとした「事件」が起きる。選挙区ではない愛知県出身者から助けを求められ、宮瀬はその人を救うために奔走するのである。その間、自分の選挙はそっちのけである。このエピソードが政治の原点をみるようでとてもいい。詳しくは本書を読んで欲しいが、こんな出来事があったのだと知ったら、人々の選挙への関心はもっと高まるだろう。だがこういう話は大手メディアでは報じられない。
2021年1月の戸田市議会議員選挙での出来事も強く心に残った。この選挙に立候補し話題となったのが、「スーパークレイジー君」こと西本誠である。
街宣車は黒塗りのベンツ。金髪に白い特攻服。全身に入れ墨。逮捕歴7回(暴走族時代の「共同危険行為」による)。中学時代から少年院に5年。まさに異端の候補者だ。メディアも「目立ちたがりのお騒がせ候補者」といった扱いだった。
だが著者は、西本が当選する日は必ずくるとみていた。なぜなら西本のスタンスが一貫して「正直」だったからだ。自分の過去を隠そうとせず、政治の知識や経験が十分にないことも認め、その上で市民のために働く政治家になりたいと愚直に訴えていた。
そんな西本の演説に反応したのは、実は子どもたちだった。
子どもたちは街で西本を見つけると、自転車や猛ダッシュで追いかけ、取り囲んで話しかけた。彼は決して無視することなく、子どもたちにもわかる言葉で政治について語った。「選挙権のない子どもを相手にしても意味はない」と嗤う人もいるかもしれない。だが本当にそうだろうか?たしかに直接票には結びつかないが、子どもたちは家に帰って興奮しながらスーパークレイジー君について語ったはずだ。著者は、選挙で候補者を当選させるのは「人」の力だという。西本の周りにも彼を助けようという人々が集まり始めた。
投票日の夜、開票所の前に子供たちが心配そうに集まっていたというエピソードには心を動かされた。彼らはスーパークレイジー君が当選したことを知ると、力強くガッツポーズをして家に帰って行ったという。子どもが夢中になる選挙なんて他にあるだろうか。
著者は選挙のたびに、「人生の宝となるような発見」を毎回、お土産として持ち帰っているという。ちょっと大げさじゃないかと思いつつ読みはじめたのだが、いまは著者の言うことが少しだけわかる気がする。まだわからないことは自分の目で確かめることにしよう。「人生の宝となるような発見」をするために、ぼくも選挙に行くのだ。