無差別殺人のニュースを目にするたびに、怒りという言葉だけでは言い表せない感情に襲われる。穏やかな日常生活を送っていた市民が突然凶行に巻き込まれるのだ。強い怒りや憤りをおぼえるのは当然だが、それだけではおさまらない感情がある。
いまから20年前、ラジオの生放送中に、大阪教育大付属池田小学校に男が侵入し児童を切りつけたという一報が入ってきた。その後、細切れに続報が入るたびに被害者の数が増えていった。ある時、続報を伝えていた女性アナウンサーが絶句した。「どうしたの?」と相方の男性アナウンサーが聞くと、彼女は「だって悔しくて……」と声を詰まらせた。
無差別殺人に対して感じるのは、この「悔しさ」かもしれない。
なぜ理不尽に命を奪われてしまったのか。なぜ助けられなかったのか。なぜ……。疑問は次々押し寄せるが答えは出ない。もとより関係者でもない自分にはどうすることもできない。そんな悔しさがこみあげてくる。
小島一朗の法廷でのふるまいは、人々の怒りや悔しさを踏みにじるものだった。怪我を負わせた女性二人については「残念にも殺しそこないました」と述べ、殺害した男性に対しては「見事に殺し切りました」と言い放った。厳罰を求める被害者の調書が読み上げられた時は笑顔で拍手をし、「真実を知りたい」という遺族の切なる願いを無視した。小島は一生刑務所で暮らすことを望み、望み通り無期懲役の判決が出ると、あろうことか法廷で万歳三唱した。
事件は2018年6月9日に起きた。その日は土曜日だった。
小島は東京駅で新幹線「のぞみ」最終便の指定席券を購入した。
最終便は21時24分に東京駅を出発した。車内はガラガラだったが、新横浜駅に到着すると大勢の客が乗り込んで来た。日産スタジアムで行われた「東方神起」のコンサート帰りの客だった。車掌長の証言によれば、席の7割近くが埋まったという。小島は12号車の18番D席・通路側に座っていた。
21時42分、「のぞみ」が新横浜駅を出ると、小島は立ち上がり、荷物棚に手を伸ばした。バッグにしのばせたナタの鞘を外して取り出すと、無言のまま頭上に持ち上げた。そして隣に座る女性の首めがけて、一気に振り下ろした。
男女3人が襲われ、女性2名が重軽傷、男性1名が死亡した「新幹線無差別殺傷事件」は、逃げ場のない走行中の車内での犯行ということもあり、世間を恐怖に陥れた。その一方で、犯人の姿に人々は戸惑った。ボサボサ頭にメガネをかけた小柄な青年だったからだ。どう見ても凶悪犯のイメージには程遠い。逮捕された小島一朗(当時22歳)は、取調べに対し「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と述べ、犯行動機について「刑務所に入りたかった」と供述した。
著者は写真家で、「人の心」をテーマに一般の女性を被写体に作品を撮っている。撮影前に被写体に長いインタビューを行い、そこからインスピレーションを得て作品を作り込んでいくのが著者の制作スタイルだ。そんな著者が無差別殺人犯に興味を持ったのは、彼らも語る言葉を持っているのではないかと思ったからだった。
著者が話を聞いたある女性は、リストカットで部屋を血塗れにした時、恋人から「そのうち人を殺しそうで怖い」と言われたことに憤慨していた。彼女からすれば、そんなことは考えたこともなかったからだ。彼女の刃は自分自身に向けられたものだった。つまり自傷という行為によって彼女は何かを語っているのだ。
これに対し無差別殺人の刃は他人に向けられたものだ。だが他の殺人と違うのは、対象が「誰でもいい」というところである。これが著者には、形を変えた自殺や自傷のように感じられた。
もしも無差別殺人犯の行動の裏にも本人にしかわからない意味があるのだとしたら?著者が取材してきた女性たちと同じように、ただただ聞き役に徹して話を聞けば、その先に初めて見えてくるものがあるかもしれない。著者は小島に手紙を書くことにした。こうして著者と小島の交流が始まった。
だが、コミュニケーションは困難を極めた。
小島からの手紙は、古典や法律の条文などのおびただしい引用で埋め尽くされ、その上ひどくまわりくどい。どうでもいい細部に異様にこだわり、しばしば事をおおげさにとらえる。ひと言で言えば、相当に面倒くさい。
一方で、頭の良い人物であることも伝わってくる。古風な言葉遣いは言語能力の高さを思わせるし、面会で小島が語った、折り紙でいとも簡単に多面体をつくれるというエピソードからは数学的才能もうかがえる。後に精神鑑定で、小島はADHDと「猜疑性パーソナリティー障害」と診断されている。
小島一朗は1995年に愛知県岡崎市にある母方の実家で生まれた。小島が生まれると祖父は敷地内に小島と母親が住むための家を建てた(これが小島を理解する鍵となる「岡崎の家」である)。敷地には他に、祖父母が暮らす母屋と伯父家族が暮らす家があった。
当時、両親は別居していた。不仲によるものではなく仕事の都合だったという。小島の母親は長年にわたりホームレス支援のボランティアをしており、周囲から「マザーテレサ」と呼ばれるほど熱心に打ち込んでいた。
小島は「岡崎の家」で3歳まで過ごし、父親と姉が暮らす一宮市に引っ越した。父方の祖父母も交え一家6人の生活が始まった。小島によれば、この家で父方の祖母に繰り返し苛められたという。中学2年生の時、家庭内暴力で警察沙汰を起こし、母親の勤める相談所の貧困者シェルターに入った。この時から小島は少年院に入ることを画策するようになる。その後、就職するも長くは続かず、「岡崎の家」に身を寄せるが、小島を快く思わない伯父に追い出されてしまう。
小島の人生はこうしたことの繰り返しである。最後に家を出たのは事件の約半年前で、祖母に「旅に出る」と告げると、小島は自転車で長野方面に向かった。木曽の景勝地「寝覚の床」の一角にある「裏寝覚」にたどり着き、自殺願望のあった小島はここで餓死を試みる。だが、祖母と電話で揉めたのをきっかけに、刑務所に入ろうと思い直す。そしてその決意を後押しすることになった「むしゃくしゃした出来事」が起きた……。
小島から得た情報をもとに家族にも話を聞いたが、その言い分は大きく食い違う。著者は小島一朗の取材が次第に苦痛になってくる。小島は理解不能な理屈を並び立てるだけで、なんら核心的なことを言わない。たとえば「国家とは神」であると言い、「神とは岡崎」だと言い、岡崎は「理想の家庭のこと」であると言い、「刑務所は岡崎」なのだという。訳がわからない。
ところが、実はこうした言葉にこそ核心があったことに、著者は気づくのだ。なぜ小島は刑務所に入ることを切望したのか。なぜ法律の条文を暗記しているのか。小島は「生存権」という言葉をこれまで何度も手紙に書いていたが、これが謎解きの鍵となる。小島は幼い頃から何度も生存権を脅かされてきた。だが刑務所は違う。刑務所では法律によって、被収容者を死なせてはいけないと決まっているからだ……。
このスリリングなくだりはぜひ本書を読んでほしいが、これで理解不能に思えた小島の手紙がまったく違う意味を帯びてきた。「岡崎の家」を小島が神聖視する理由もわかった。約3年にわたる取材で著者はついに無差別殺人犯の思考を明らかにしたのだ。まさに労作という言葉がふさわしい一冊である。
本書を読みながら、ノンフィクションを書くというのは、ある種の翻訳作業かもしれないと思った。無差別殺人への怒りや悔しさが消えることはない。だが著者の優れた翻訳によって、この理解不能な凶悪犯を覆っていた濃い霧が少しだけ晴れたような気がした。
その向こうに見えたのは、私たちの生きる社会である。歪んだ論理と特異なやり方によってではあるが、小島もまた社会とつながろうとしていた。「なぜ小島一朗は無差別殺人犯になったのか」という問いを掘り下げることは、私たちの社会を考えることにつながる。本書がそのガイドを務めてくれるだろう。