週刊誌の発売日を指折り数えて待つことなんて久しくなかった。
発売日には文書砲そっちのけで、まずこの連載のページを開き貪り読んだ。
スポーツノンフィクションの傑作といえば、誰もが山際淳司の『江夏の21球』をあげるだろう。もちろん異論はない。ただあの作品は「永遠のマスターピース」というべき傑作だし、ぼちぼち新しく語り継がれる作品が現れてもいいのではと思っていた。
そんな時にこの連載がスタートした。たちまち引き込まれた。毎回、心震わせ、胸を熱くさせられながら読んだ。スポーツノンフィクションの傑作が生まれつつあるのを、今まさにリアリタイムで目撃しているという興奮をおぼえた。
『嫌われた監督』は、スポーツノンフィクションの歴史に新たに名を連ねる傑作である。『週刊文春』の連載をもとに新たな取材と大幅な加筆修正がなされ、連載を読んだ人もふたたびあの興奮を味わえる一冊になっている。
「嫌われた監督」とは、落合博満のことだ。
プロ野球選手としての落合の実績には文句の付けようがない。首位打者、ホームラン王、打点王を獲得する三冠王を3回も達成しているのは、落合ただひとり。つまり落合はプロ野球史上、最高のバッターである。
一方、監督としての落合の評価は割れる。名監督には「名将」の冠がつけられるのが常だが、野村克也や森祗晶、星野仙一には躊躇なく「名将」をつけても、落合に対してはためらう人が多いかもしれない。
その理由は、落合の野球の「わかりにくさ」にある。
いつも無表情でゲームを見つめ、感情を露わにすることは滅多にない。それでいて不可解な采配を振るう。ファンに愛され、チームの精神的支柱だったスター選手を切り、大記録達成を目前にした投手を交代させる。マスコミは「非情」「冷酷」「血も涙もない」と騒ぎ立てる。だが落合はなぜそうしたのか、理由を説明することはない。一方でチームは勝ち続ける。ただ、その勝利は劇的なものではない。打つべき手を着々と打った結果としての勝利。奇跡ではなく勝つことが必然だったような勝利。ファンが望む「興奮」からはもっとも遠い勝利……。落合を前にすると、私たちは宙吊りになったような気分になる。つまり落合は、「何を考えているかわからない」監督だったのだ。
落合が中日ドラゴンズの監督に就任したのは、2003年10月のことだった。
本書は朝の落合邸の光景から始まる。著者はこの時、入社4年目のスポーツ紙の記者で、監督就任をスクープとして報じることを、落合本人に前もって伝えるようデスクから命じられていた。いわば伝書鳩の役割である。星野仙一を「仙さん」と呼ぶデスクは、落合のことは投げやりに「オチアイ」と呼んだ。電話越しに落合を嫌っていることが伝わってきた。この時、メッセンジャーに過ぎなかった著者は、その後8年にわたり落合と濃密に関わることになる。
星野仙一と落合博満は好対照の存在である。監督時代の星野はいつも大勢の人に囲まれていた。担当記者たちは星野の名前が刺繍されたお揃いのジャンパーを着て、星野と散歩や朝食を共にした。席順も決まっていた。上座の星野の隣には親会社の新聞社のキャップが陣取り、そこから古参の順に各社のキャップが並ぶ。著者のような新参者は声が聞こえるか聞こえないかという末席にいるしかない。星野が何か言って笑い、古参が笑うと、意味もわからないのに著者も笑みをつくった。
対照的に落合はいつもひとりだった。同じ空間にいても、周囲とは隔絶したオーラを放つ存在だった。
監督就任早々、落合は異例の方針を打ち出す。補強はせず現有戦力だけで戦うこと、そして2月のキャンプイン初日からいきなり紅白戦を行うと表明した。そして迎えた開幕戦で、落合はさらに世間を驚かせる。プロ野球投手にとって最高の栄誉とされる開幕投手に、川崎憲次郎を指名したのだ。
ヤクルト時代は巨人キラーとして鳴らし、沢村賞を受賞したこともあるかつてのエースも、中日移籍後は肩の故障に苦しみ満足に投げられる状態ではなかった。もちろん開幕投手に川崎を予想したメディアは皆無だった。
川崎の名を聞いたプレスルームでは「あの、嘘つきが!」と落合に対して怒号が飛び、他球場で解説をしていた星野仙一は「名古屋のファンに失礼だよ」と不快感を露わにした。まだ試合が始まってすらいないのに、落合に対する敵愾心が広がっていた……。
この一件だけではない。落合の采配や言動はしばしばメディアをバッシングに走らせた。2007年の日本シリーズでは、史上初の完全試合を目前にしていた山井大介を降板させ岩瀬仁紀をマウンドにあげた。あるいは原辰徳が代表監督を務めた2009年のWBCでは、中日だけが選手を派遣しなかった。
なぜ落合はそのような選択をしたのか。落合の真意はどこにあるのか。
これは落合と関わるすべての者が抱く疑問である。著者は関係者の証言をもとに、裏側で実際には何が起きていたのかを明らかにしていく。
面白いのは、落合に対して発したはずの「なぜ?」という問いが、しばしば問いを発した本人に跳ね返ってくることだ。
例えば吉見一起は、落合から「ただ投げているだけのピッチャーは長生きできねぇぞ」と言われたことが心に棘のように刺さっていた。好投してもなぜ認めてもらえないのか……。懸命に考えるうちに、いつしかピッチャーとは何か、エースとは何かについて考えていた。そして落合を観察するうちに、吉見は気づく。
「落合は、ひとつひとつの事象の向こうに人間心理を見ているようだった。空振りをしたバッターのスイングと表情に矛盾はないか。マウンドにいる投手の仕草とボールの軌道に関連性はないか。相手が苦悶の表情の裏で舌なめずりしているのか、それともポーカーフェイスの裏で冷や汗をかいているのかを見抜こうとしていた。(略)指揮官の視線を追っていると、あの言葉の意味が迫ってきた」
落合の言葉に込められた意味を理解した時、吉見は覚醒した。落合監督のもと最多勝を2回、最優秀防御率を1回獲得し、リーグを代表するエースとなった。
落合博満とはいったい何者なのか。
その目にはまるで私たちには見えないものが見えているかのようだ。
印象的なエピソードがある。
著者がいつものように、重鎮の記者たちが陣取るベンチから距離を置いて、ひとり練習を眺めていると、落合がやって来て、「ここで何を見てんだ?」と声をかけてきた。末席の記者が監督と一対一で向き合う機会は滅多にない。この時、落合は著者に謎めいた言葉を残した。
「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ」
後にその言葉の真意を知る機会がやってくる。その時、チームは不穏な空気に包まれていた。中心選手である立浪和義のポジションが白紙だと落合が明らかにしたのだ。だがその後、パッタリと口を閉ざしたために、チームには不信感と紙一重の緊張感が広がっていた。真意を訊くために、著者はふたたび落合邸へと向かった。
落合は自分の意思でひとりでやって来た者にはちゃんと向き合う。
「なぜ、立浪さんを外そうとするんですか?」と訊くと、落合は「試合中、俺がどこに座っているか、わかるか?」と言った。落合はいつもベンチの左端に座っていた。
「俺が座っているところからはな、三遊間がよく見えるんだよ」
そしてこう続けるのだ。
「これまで抜けなかった打球がな、年々そこを抜けていくようになってきたんだ」
落合ただひとりが、三塁手としての立浪の衰えを見抜いていたのだ。
常人には見えないものが見えてしまう者は、孤高の道を行かざるを得ない。
私には落合を嫌う者たちの気持ちがわかる気がする。彼らは落合を恐れているのだ。彼らが常識だと信じて疑わないものに対して落合は鋭い問いを突きつけてくる。
「それは本当に真実なのか?」「お前自身は、どう考える?」と。
落合博満という存在自体が、一個の「問い」なのだ。
選手は落合という「問い」と格闘しながら自分なりの答えを見出していく。その個々の人間ドラマが本書では濃密に描かれる。
西武ライオンズから30代半ばで移籍してきた和田一浩に、落合は打ち方を変えないと怪我をすると指摘した。ただし修正には「3年かかる」と。覚悟を決め、教えを請う和田に、落合は、バットを握る指の1本1本をどの順番で、どう動かし、どれくらい力を入れるかということから教えたという。
バッテイングの理(ことわり)を教わりながら、和田は落合という人物への理解を深めていく。落合が真に求めていたのは、選手の勢いや可能性といった曖昧なものではなく、「確かな理と揺るぎない個」なのだと。そしてその理というのは、ほとんどの場合「常識の反対側にある」ということを知るのだ。例えば落合は、速い球ほど「大きくゆったり振れ」と言う。その方がボールを長く見ることができるからだという。速い球には速いスイングというのが常識に思える。だがたしかに現役時代の落合は、ゆったりとしたスイングで軽々とホームランを打っていた。
落合のもとで「揺るぎない個」を見出した選手たちによってドラゴンズは常勝集団になった。だが落合はその後、チームを追われてしまう。勝ち続けたにもかかわらず首を切られる。勝負の世界の理とはまったく関係ないところで、球団による決定が下された。落合はただ「嫌われた」のだ。それはまるで、「問い」から目を背ける者たちによって引きずり降ろされたような幕引きだった。
本書は骨太な人間ドラマが幾重にも重なって描かれている。また「ロスジェネ世代」と呼ばれ、予定調和の記者の仕事に倦んでいた著者自身が「個」に目覚めていく成長物語でもある。あるいは本書を卓抜な日本社会論として読むこともできるかもしれない。
作品への賛辞は尽きることがない。だがそれらは全て蛇足である。
大切なことは、あなた自身が本書を読んでどう思うかだ。
この本の価値は、あなたが決めればいい。落合なら、きっとそう言うだろう。