みんな道楽だ、と三中信宏は言う。
タイトル『読む・打つ・書く』は、もちろん「飲む・打つ・買う」からくる。大酒、ばくち、女、いずれも、このご時世、止められこそすれ、すすめられるものではない。
だからこそ、三中は書名にしたにちがいない。
読書も書評も執筆も、みんな道楽であり、本の章立ては「楽章」としてあらわされる。いまこそ、この道楽に溺れようではないか! 溺れるためには戦略・戦術が要る。
「まずは読もう、そして書こう!」。本書は、明快なメッセージに貫かれており、具体性に富む。どうやって本を選ぶのか、いつ読書記録をつけるのか、いかにして本を書き進めるのか。手引きであり手本であり、いつもいつまでも手元に置いて、くりかえし参照する座右の書になる。
著者は、進化生物学者として「系統」をテーマとする多くの本を書き、生物統計学者として全国で統計研修の「高座」をつづけている。量書狂読ぶりは、ツイッターや書評サイトleeswijzer で、おなじみである。
本書のおもむきは、先ごろ亡くなった立花隆『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎術』(文春文庫)に似ている。どれだけたくさんの、いろんな種類の本を読むのか。「みなかワールド」の秘密が、惜しげもなく、あますところなく書かれている。
使い勝手の良さ、内容の便利さを考えれば、価格(税込3080円)は安すぎる。
しかしこの本は、マニュアルとして(だけ)ではなく、ノンフィクションとして読むと、楽しみが2倍にも3倍にもなるだろう。
副題にあるとおり「読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」を追体験できるからである。この点で(も)、かなり珍しい。いや、類書はない。先にあげた立花隆の本をはじめ、書評を集めた本や、読書術にまつわる本は、たくさんある。
これにたいして本書は、「読む」「打つ」「書く」は三位一体との立場であり、「「書く私」と「読む私」と「評する私」は、いつも一心同体だが、たがいに別人格をもっている」(いずれもpp.236)という。
なぜ、私(たち)は、本を読むのか? 書評を打つのか? そして、本を書くのか?
HONZにかかわるみなさんであれば、自問した経験があるだろう。この3つの「なぜ」は、どれも「自分のため」、と三中は堂々と答える。これも、かなり珍しい。
ふつうは、というか、すくなくとも私は、下手に読者受け(ばかり)を気にする。読みやすいように、わかりやすいように・・・。無い袖は振れないのに、振ろうと無理して失敗する。
三中は、まったく気にしない。
私はもともと“利己的な読書”の延長線上に“利己的な書評”を書くことを旨としてきた。自分のため(だけ)に書評を書くことは彼らの「読者ファースト」という精神に反する行為なのだろうか。しかし、少し考えればそこに深刻な問題はないことがわかる。私は書評者でもあると同時に読者でもあるからだ。したがって、私のモットーは「とどのつまり、書評者の義務とは“自分ファースト”である」と言い換えられることになるだろう。自分にとってもっとも誠実な書評を書くことが、ひょっとして他の読者にとっても何らかの役に立つとしたら、それほど喜ばしいことはないにちがいない。(pp.119)
ここで注意しなければいけない。「自分ファースト」だけを受け取ってはならない。三中じしんが、「書評ワールドにはもっと多様性を」とシュプレヒコールをあげ、実践しているからである。
では、実際の三中の書評は、どれほど多様なのか? 本書には、金森修『サイエンス・ウォーズ』(東京大学出版会)の書評をめぐる、推理小説めいた顛末がある。さらには、岡西政典『新種の発見 見つけ、名づけ、系統づける動物分類学』(中公新書)への書評を素材とした「書評執筆実験」がある。
三中が書評にたいして、どれほど多くの角度から考え、とりくんでいるか。そのmaking ofも含めて、まのあたりにできる。
とはいえ、身構える必要など、どこにもない。三中に勇気づけられる。「しょせん進化的タイムスケールでは「ほんの一瞬」に過ぎない「ほんの人生」である」(p.316)。
本書にくわしく書かれているように、三中は、昨年(2020年)末まで読売新聞の読書委員を務めていた。私は、同委員として、いつも彼の隣に座っていた。読む体力・知力を、めいっぱい費やすしかない分厚い本に囲まれているのに、彼は、いつも、ほくほく顔だった。
「息を吸えば吐くように」、本を読めば書評を書く彼にとって、道楽でしかなかったからである。道楽とは、なにか? それは、本書の冒頭「本噺前口上」を読めば、実感できる。この、あまりにも美しく、居心地の良い文章は、出版社のサイト(試し読み)からは読めない。
ここを読むためだけでも、ぜひ実物を手にとってほしい。三中信宏という職業研究者が、どのような人生を過ごしてきたのか。その原風景が語られているからである。
道楽である以上、ハードルは高いどころか、なにもない。ただ「読む・打つ・書く」、そんな日々をこれからも、つづけよう。