もう20年以上前になるが、ある芸人が自身の持ちネタのオチに「アフリカの運動会ではいつも世界新記録が出る」というようなセリフを使っていた。そんなことを、本書を読んで思い出した。
今の基準で批判しようというのではない。ただ、そのネタには私たちが現在も抱きがちなステレオタイプが表れていたと思う。ネガティブなニュアンスではなかったが、アフリカの子なら身体能力が優れているはずだという思い込みが根底にあっただろう。
現在、世界トップクラスの長距離走者は、エチオピアやケニアなど東アフリカに集中している。東京五輪の男子マラソンでも、ケニアのエリウド・キプチョゲ選手が圧倒的な強さで連覇を果たした。
なぜ彼らは強いのか。「生まれつき才能に恵まれているから」と考える人も多いのではないだろうか。「子どもの頃から山道を走って鍛えられている」、「貧しさから抜け出そうとするハングリー精神がある」といった理由を挙げる人もいるかもしれない。だが、これらのステレオタイプは表面的なものにすぎない。
本書の著者は、英国の人類学者で、自らもフルマラソンを2時間20分で走るランナーだ。彼は、ランニング王国エチオピアに1年3カ月にわたり滞在した。なぜ世界トップクラスの長距離走者が輩出されるのか、その秘密を解き明かすためだ。
著者は「参与観察」という調査手法をとった。エチオピアのランナーと一緒にとてつもなくハードな練習をこなしながら、彼らの強さの秘密に迫ったのだ。本格派のランナーである著者だからこそ可能になった荒技である。エリートランナーたちに必死で食らいつき見えてきた強さの秘密は、意外なものだった。
まず驚かされるのは、エチオピアのランナーたちが「才能」というものを信じていないことだ。彼らは「適切な練習をすれば誰もが能力を発揮できる」と考えている。ただしその練習は、努力一辺倒のものではない。成功するのは、「足を動かす前に、目で見て、頭で考えるランナー」だとされる。つまり「賢く走る」ことが求められる。
さらに、彼らは決して1人での練習はしない。それは「健康のために走る人がやること」だという。そして、集団で走るのは「自分を変えるため」。相手のペースに合わせて走ることで、自分自身が変わっていく。自分を変えられれば、人生も変えることができる、と彼らは考える。
エチオピアランナーの栄光の歴史は、「裸足のアベベ」ことアベベ・ビキラが金メダルを獲得した1960年のローマ五輪に始まる。アベベは次の東京五輪でも優勝したが、そんな彼もワミ・ビラツという選手には一度も勝てなかった。著者はこの伝説のランナーとの面会にこぎつける。
なんとワミは、90歳を超えて、いまだに現役のランナーだという。まさに「走ることは生きること」そのものなのだ。ランニング王国の奥の深さを思い知らされる。
走ることには、ほかのスポーツでは味わえない「自分の中にある深いものを掘り起こしてくれるような感覚」があると著者はいう。本書を読んで、靴箱の奥に突っ込んだままのランニングシューズを久しぶりに履きたくなった。
※週刊東洋経済 2021年9月11日号