昔から家で酒は飲まない。宅飲みを愛する人も多いが、自分の場合は家で飲んでも楽しめないのである。楽しく酔えればどこで飲もうと関係ないのだろうが、幸か不幸かアルコールには強い体質だ。だから家だと延々飲み続けることになる。だったら家で飲むのは別にお茶でいいじゃないかと思ってしまうのだ。
外で酒を飲む理由はただひとつ。会いたい人に会うためである。
といっても人目をしのぶ密会などではない。好きな店の料理人やスタッフの顔を見に行くのだ。仕事帰りに立ち寄るお気に入りの店がいくつもある。一日の終わりにそうした店で過ごす時間はかけがえのないものだ。そんな大切な時間が失われて、もうずいぶんたつ。
本書は、東京で初めての緊急事態宣言が出された際に、料理人たちが未経験の事態とどう向き合ったかをまとめたものだ。ご存知のように緊急事態宣言はその後何度も繰り返されている。「いまさら最初の緊急事態宣言の時の話なんて読む意味あるの?」と思う人もいるかもしれない。だがそれは早計というものだ。この本には、飲食業のみならず、あらゆる仕事に通じる普遍的なことが書かれている。それだけではない。答えがわからない事態を前にした時、私たちはどうすればいいかというヒントも詰まっている。過去最大の感染拡大の危機にある今こそ、この本は手に取る価値がある。
本書には34人の料理人や店主が登場する。フレンチのグランメゾン、夫婦で営む小さなイタリアン、横丁の老舗焼鳥屋、住宅街にひっそりと佇む和食店、二店舗目のオープンを控えた居酒屋など、その背景はさまざまだ。実は本書に登場する店の約半数はたまたま個人的にもよく知る店で、中には長年にわたる友人づきあいの料理人もいる。彼らの苦悩を間近で見ていたこともあって、著者が料理人たちの話をいかに丁寧に聞き取ってこの本をまとめたかがよくわかる。
著者は食に関する分野ではきわめて信頼のおける書き手のひとりだ。特に『dancyu』の連載「東京で十年。」に著者のスタンスがよく出ていると思う。飲食店でなにより大変なことは、雑誌で紹介されることでもグルメサイトで評判になることでもない。店を維持していくことである。長く店を続けること。これがもっとも難しいことなのだ。「東京で十年。」というタイトルにはそれを成し遂げた店へのリスペクトとエールが込められている。だがいまや「店を続けること」は、これまで以上に困難なミッションになってしまった。
完全休業、テイクアウトやデリバリーへの鞍替え、昼呑みの試みなど、初めての緊急事態宣言に際してそれぞれの店が出した「答え」はさまざまだ。もちろんこれは昨年春の時点での「答え」である。本書には半年後の追加取材の情報も盛り込まれているが、その後さらにやり方を変えた店もある。
だが、情報が最新かどうかは本書の読みどころとはまったく関係ない。
本書におさめられたインタビューには、ある共通点がある。
コロナ禍の下で料理人たちは、「飲食業とは何か」という原点を、あらためて問い直している。そして手探りの思考の中から、それぞれが飲食業という仕事の本質をつかみとっているのだ。
例えば、ある店では、初めての緊急事態宣言を前に、「お店の社会的意義ってどこにあるんだろう?」とスタッフで話し合ったという。商店街の中にあるこの店では以前、店の外の掃除の範囲はどこまでかということを話し合ったことがあった。店の前だけか、それとも二軒先までか。その時の結論は、「商店街の端から端までを掃除する」だった。商店街全体がお店のエントランスではないか、という考えに至ったからだ。
同じように今回も彼らは、休業が相次いで商店街が真っ暗にならないように、誰か「働いている人がいる」という安心できる景観をつくるために、店に灯りを灯し、テイクアウト営業を行うことを決断した。彼らにとって飲食店とは、社会との関わりの中で成り立つものだ。その関係の中で自分たちに何が出来るかを真剣に考えている。彼らのこうした純粋さには胸を打たれる。
コロナ禍は、私たちにあらゆる問いを突きつけた。
働き方はこれまでと同じでいいのか、なぜ通勤電車に乗らなければならないのか、会議なんてやる意味があるのか、書類のハンコはそもそも必要なのか……。
この機会に自らの足下を見つめ直した人も多いはずだ。
だが、飲食業ほど先鋭的な問いを突きつけられた仕事もないかもしれない。なにしろ彼らは、感染拡大の片棒を担いでいるとお上に槍玉に挙げられたのだ。
「自分の仕事は本当に社会から必要とされているのだろうか」
仕事についてこれほどシビアな問いがあるだろうか。
今、飲食業はとてつもない逆風にさらされている。
強風に押され、いまや社会の周縁へと押しやられていると言っていい。
だが、歴史を振り返れば、新しい時代を切り拓くアイデアは、いつもそうした周縁から生まれてきた。著者が選んだ34人のように、道なき道を試行錯誤を繰り返し進む者こそ、次の時代を牽引するトップランナーになる可能性がある。
「飲食業は社会に必要か」という問いについては、本書に登場するある偉大な料理人の言葉をあげれば十分かもしれない。
「不要不急でも、うるおいをもたらすもの、がありますよね。人が生きるためにはむしろそっちのほうが必要で、それがあるからこそ、この苛烈な社会でも生きていける。レストランの仕事は、そういうところにあるのだと思います。」
そうなのだ。私たちが失ってしまったのは、うるおいなのだ。
そしてそのうるおいは、飲食店の「魔法」から生まれる。
ある店主は、空っぽのお店にポンと入ってきたその日最初の客を、特に重視しているという。スタートしたばかりの時間はどうしてもスタッフも客も調子が乗らず、ぎこちなくなりがちだ。だから店主は最初の客に元気に「いらっしゃいませ」と声をかけ、ことさら雑談をするように心がけているという。
すると不思議なことが起こる。お店が温まり始めるのだ。
最初の一人と話が弾めば、二人、三人とお客さんが増えていき、目を閉じて再び目を開けると、いつの間にかお店がいっぱいになっている。その時にはもうスタッフの硬さも取れ、体はキビキビと動き続けている。
僕も目を閉じてみる。すると聞こえてくる。
店を満たすざわめき、カトラリーが立てる控えめな音、時折あがる笑い声、オーダーに応えるスタッフの声、シェフの手元から聞こえる食欲をそそる音。目を開ければ、そこには笑顔がある。客もスタッフも、みんな幸せそうに笑っている……。
気がつけば、一日中ずっと心に刺さっていた小さなトゲが消えている。イライラして、ひび割れた田んぼみたいになっていた心が、いつの間にかしっとりとうるおいを取り戻している。これこそが飲食店の「魔法」だ。
もういちどあの「魔法」に触れたい。
暗い空の向こうには夜明けが待っているはずだ。
飲食店の賑わいの中にふたたび身を置く日を思い描きながら、僕はこの本を読み終えた。