映画「ラストタンゴ・イン・パリ」が公開当時、私は中学生だった。映画に対する興味が湧き、一人で観に行くことが許された時期でもある。性に対しても敏感だったから、この映画のスキャンダラスな評判はよく覚えている。
中年男性と若い女性が大胆なセックスを繰り返すイタリア映画で、監督はベルナルド・ベルトルッチ。主役の中年男はマーロン・ブランドで女性を演じたのが『あなたの名はマリア・シュナイダー「悲劇の女優」の素顔』のマリアである。当時、彼女は19歳。駆け出しの女優で大抜擢されたと言われている。だがこの映画がマリアを終生苦しめることになる。
過激なセックスシーンのため、本国であるイタリアでは公開4日目にして上映禁止処分。公開した国々の評判も散々だった。なかでもバターを塗って行われるアナルセックスのシーンはこの映画の代名詞のようになって流布した。マリアが他の映画に出演しても「ラストタンゴ・イン・パリ」のイメージはどこまでもついてくる。
苦しんだ女優は突飛な行動を起こしヘロインに逃げ、様々な依存症に苦しんだ挙句の果て、精神病院に収容されるまでになった。
受け入れようと努力をしたのはシュナイダー一族である。傷ついて動けなくなった小鳥のようなマリアを助けようとしたのだ。
著者のヴァネッサ・シュナイダーはマリアの17歳年下の従妹で「ル・モンド」の記者だ。6歳の時からマリアに興味を持ち、熱烈なファンであるかのようにマリアに関するものを収集して赤い厚紙のファイルに収めていた。一族の中でも特異で、常に話題の中心だっただろう従姉のことを、自分が残さなければならないという強い意志を感じる。
冒頭はマリアの葬儀のシーンだ。2011年、ガンで58歳の生涯を閉じたマリアの葬儀の最前列にいたのはアラン・ドロンだった。最初に弔辞を述べ、出席できなかったブリジッド・バルドーの手紙を読む。過去の女優だと思われていたマリアの葬儀には思いもかけないほどの数の列席者があったのだ。
母親に疎まれた過去、俳優だった父によって行われた芸能界デビュー、一族の家庭を放浪する思春期、アラン・ドロンやブリジッド・バルドーとの出会い、そして忌まわしい映画「ラストタンゴ・イン・パリ」の主役獲得。
撮影は過酷だった。パワハラ、セクハラという言葉のない時代、新人女優の扱いは極めて不当で残酷だった。その象徴がアナルセックスの強姦シーンだ。マリアには何も知らされず不意打ちのように行われたという。
長い間、映画界は男尊女卑で監督やプロデューサーなどの絶対権力の元に撮影が行われていた。それを覆したのはハリウッドの大物映画プロデューサーのハービー・ワインスティーンがセクハラや性的暴行で告発された「#MeToo運動」の広がりだった。「ラストタンゴ・イン・パリ」撮影当時のマリアへの仕打ちも問題となった。
女性たちが声を上げ始めた今、マリア・シュナイダーという悲劇の女優がいたことを覚えていたいと思う。(ミステリマガジン9月号より転載)
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