型破りな人物のノンフィクションに時々お目にかかるが、本書は極めつきではないだろうか。
著者は「日本リスクコントロール」という危機管理会社の社長である。ところが「どんな会社?」とググってもホームページは存在しない。電話番号も公開されていない。それもそのはず。同社にアクセスする方法は、紹介者による仲介しかない。
しかも会費がとてつもなく高い。トラブルの最終処理まで面倒をみる「A会員」が年間2000万円、助言までしか行わない「B会員」ですら年間500万円である。当然のことながら、顧客には錚々たるメンツが名を連ねる。大物政治家や財界人、芸能界のドン、暴力団組長らが門前市を成してきた。
本書は、権力者たちにその名を知られた伝説のトラブルシューターによる回想録である。ひとつひとつのエピソードがとてつもなく面白い。読後感は、まるで頭から尻尾までアンコがみっちり詰まった鯛焼きを食べたような、あるいはカルピスを原液でごくごく飲み干したかのような気分である。それくらい著者の半生は濃厚かつ濃密だ。
そもそも著者は何者なのかと疑問を抱く人が多いかもしれない。「各界の大物のトラブル処理を口コミで請け負う仕事人」という時点で、すでに存在がフィクショナルだからである。もちろん著者は実在の人物だ。
1941年、長野県佐久市生まれ。高校卒業後、1960年に警視庁に入り、東京水上署、第一機動隊勤務を経て、1966年に警視庁を退職した。警視庁時代は、渋谷の銃砲店に当時18歳の少年が立てこもり警官隊と銃撃戦を繰り広げた事件で、犯人を取り押さえ手錠をかける手柄をあげている。優秀な警察官だったが、組織内での出世に魅力を感じられず、特に当てもないまま、警察を辞めた。退職後はレース生地の転売業で儲け羽振りも良かったが(このため3億円事件の犯人と疑われたこともあった)、運命が大きく変わったのは、秦野章の知遇を得たことだった。
秦野は立志伝中の人物である。職を転々としながら、苦学の末、夜間の日本大学専門部を出て戦前の内務省に入った。入省後の活躍は目覚ましく、1967年には私大出身者としては初めての警視総監となった。その後、政界に進出し大臣も経験した。著者が出会ったのは、秦野が参議院議員になって間もない頃である。秦野に見込まれ私設秘書となった著者は、政界や官界、実業界の裏と表をつぶさに目にすることになった。そして次第にトラブルシューターとして頭角を現していくのだ。
本書はプロローグからしてぶっ飛んでいる。なにしろ激しい雨の中、著者が車を飛ばし向かうのは、後藤組組長の快気祝いのパーティー会場なのだ。しかも著者は主賓だという。会場では芸能人によるショーが賑やかに始まり、グラスにロマネコンティが注がれる。庶民には無縁の世界だが、著者はなにも、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった暴力団関係者との人脈を誇示しているわけではない。その場の空気を冷静に観察しているし、出席の義理を果たすと早々に切り上げている。
本書にはさまざまな人物が登場する。帯にある名前からピックアップするだけでも、田中角栄、周防郁雄、尾上縫、松﨑明、田中森一、小林旭、中内功、則定衛、中江滋樹、宅見勝、浜田幸一、羽賀研二、許永中、高橋治則とアクの強い人物が並ぶ。
すでに鬼籍に入った者もあれば、存命の人物もいる。著者が助けた人物もいれば、迷惑をかけられた者もいる。そのいずれにおいても、著者の人を見る眼には、ぶれない評価軸のようなものがあって、非常にフェアなのだ。それが読んでいて清々しい。相手がヤクザの大物でも、へりくだったりしないのである。
人を見る眼が確かだから、ちょっとした寸評も、その人の本質を突いているように思える。たとえば酒席をともにした政治家の中で、宮澤喜一の名をあげ、「後年、総理の座についたが、あれでよく総理になれたもんだというくらいの酒癖だった」と述べる。わずかこれだけでも、どの程度の器の人物か伝わってくる。
この手の寸評でいちばん笑ったのは、スキー場でのエピソードだ。著者はかつて年末年始に、家族と苗場プリンスホテルに逗留するのを恒例としていた。大晦日には松明を持ってゲレンデを滑り降りたあと後、盛装してパーティーに参加し、新年の到来を祝ったという。ある時、石原慎太郎一家が姿をみせ、当時大学生だった長男の伸晃が大きな音をさせてクラッカーを炸裂させた。音に驚いた高齢の夫婦がしかめ面をして退出するのを見て、黙っていられなくなった著者は、伸晃を怒鳴りつけた。慎太郎一家は何も言わず退席したという。この間の悪さ。なるほど石原伸晃ならありそうだと思えてしまう。
本書はこうしたちょっとしたエピソードの宝庫だが、もちろん読み応え抜群のパートもある。中でも、日本ドリーム観光を巡る攻防戦は本書の白眉だ。大正時代に設立されたこの会社は、レジャーとエンターテイメントの総合企業として発展し、一時は奈良や横浜にドリームランドを華々しく開業したりもしたが、その後、経営権をめぐる争いが起き迷走した。気がつけば、元暴力団組長の池田保次という人物が実権を握ろうとしていた。著者は秦野に「ヤクザと経済がわかるのは、寺尾君、君しかいないんだよ」と言われ、副社長して送り込まれる。すでに池田はドリーム観光から巨額の資金を引き出し、関連会社の雅叙園観光ホテルまで手に入れようとしていた。一筋縄ではいかない人物と著者がどう渡り合ったかは、ぜひ本書で確かめてほしい。
こうした数々の修羅場を経験した後、著者は1999年に日本リスクコントロール社を設立した。「人の世の中で起こったことは、人の世の中で必ず解決できる」というのが著者の基本的な考え方だという。世の中の人間関係はすべて「グー・チョキ・パー」で、どんなに権勢をふるっている人間でも、必ず頭の上がらない人がいる。だから依頼主が「グー」で、「パー」の人物から不当な要求を受けているようであれば、「チョキ」の人物を見つけてくる。こうした人間関係に、さらに金銭を介在させれば、トラブルはより早期に解決に向かうという。
本書を読みながら、著者のような人物をどう評すればいいか、考えてしまった。著者がつきあってきた人物には反社会勢力も含まれる。その一方、これまで違法行為や不正に手を染めたことは一切ないという。警察出身で体制寄りにもみえるが、たとえ地位のある政治家だろうと卑怯な真似をすれば遠慮なく批判する。まことに捉えにくい人物なのである。
著者を評するのにふさわしい言葉は、「世間師」かもしれない。宮本常一によれば、村落共同体の中で、若い頃に奔放な旅をした経験を持つ者を世間師と呼んだという。村の外でいろいろな経験を積み、世間知に通じた者。著者も若い頃から社会の裏側を見てきた。金で身を滅ぼす者、権力になびく者、空威張りする者。「人間交差点」を行き交う者たちを、いわば砂かぶりで眺めてきたようなところがある。著者は究極のリアリストではないか。
癌を患い2度の手術を経たことで、昔のことを話す気になったと著者は述べているが、おそらく本書に載せることのできなかった秘密のほうが多いはずだ。だが本書で明かされたエピソードだけでも十分に圧倒されてしまう。まさに破格の面白さの回想録である。