著者はドラマなどでお馴染みの桜田門にある警視庁科学捜査研究所(科捜研)の係長時代、地下鉄サリン事件の緊急鑑定に携わることになる。鑑定資料として車輛床面を拭き取ったものを持ち込んだ捜査員が皆「暗い」と言い、目に縮瞳が起こっていることから有機リン酸系の毒物であると判断。ガスクロマトグラフ質量分析装置によって「サリン」が検出された。
その前年、松本で起こったサリン散布事件の後「東京で起こった場合、すぐに対応できるように」という上司の言葉は事実となったが、警察発表は後手に回った。
被害者が運び込まれた病院から処置の判断を仰がれ、二次被害に注意の上、サリンとは言えないまま有機リン酸中毒の解毒剤を伝え、証拠になるとして血液も科捜研へ持ち込むように指示した。
翌日から山梨県上九一色村にあるオウム真理教施設への大規模捜査が始まる。研究所からあまり出る機会のない著者へ捜査協力の依頼がきた。膨大な化学薬品が押収され、その扱いに困ったためだ。そのなかに「実験ノート」があった。書かれていたのは反応式や物質名、分析値や実測値。科学に詳しい者でなければ読み解けないと判断し、著者が精査することになり、サリン生成に関する証拠をつかむ。
圧巻はここから、容疑者である土谷正美との対決だ。一切黙秘していた土谷だが、そこは化学者同士、大学時代の研究から不満やコンプレックス、そしてオウムに入った動機を聞き出した。だがサリンの話に移ると彼は完全黙秘を決め込んだ。
それに対し著者は無言のまま白紙にサリン生成の工程や反応式など、科学データを書き始める。それは土谷が編み出した非常に特殊な式だったことから動揺しはじめ、10日余り後、自供に至る。
土谷は毒ガスなどの化学兵器や爆薬、覚せい剤など禁制薬物などを合成した人物であった。この証言により一連のサリン事件がオウム真理教によってなされたものだと証明されたのだ。
地下鉄サリン事件の翌年、著者は警視庁史上初の科学捜査官に任命された。オウム事件のように科学の専門家が必要な事件に警察も対応しなければならない。高度な科学捜査の必要性から著者へ白羽の矢が立ったのだ。その後の活躍には目を瞠る。
世間が記憶しているだろう事件のうち有名なものとしては「和歌山カレー毒物混入事件」「長崎・佐賀連続保険金殺人事件」「ルーシー・ブラックマンさん失踪事件」など多数あり、それぞれの経過を読むだけで科学分析の必要性を示している。
また初期の捜査に関われなかった「東電OL事件」や「世田谷一家4人殺人事件」の悔いを読むと、とても残念な思いを抱く。
悪人たちの知恵は科学技術の最先端を行くものだ。コンピュータやデジタル、インターネットを使った犯罪が始まったころ、捜査現場の遅れを何とか是正しようと数々のデータベースを構築したのも著者であった。
平成から令和に渡る捜査現場のリアルを見せつけられた熱い熱い回顧録である。(ミステリマガジン7月号)
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