読み終えた途端、深いため息が出た。かつて「全員悪人」というキャッチコピーの映画があったが、さしずめ本書は「登場人物、全員小物」といったところだ。だが、小物ばかり出てくるのにページをめくる手が止まらない。それはこの小物が私の中にも棲んでいるからかもしれない。この本にはまぎれもなく私たちの姿が描かれている。
そのクーデターが起きたのは、2018年1月24日のことだった。住宅メーカーのリーディングカンパニー積水ハウスの取締役会で、会長職にあった和田勇が、社長の阿部俊則が提出した動議によって事実上の解任に追い込まれたのだ。
これは実に奇妙なクーデターだった。取締役会に先立つ2017年6月、積水ハウスは地面師詐欺に遭い、55億5900万円を騙し取られていた。事件をきっかけに立ち上げられた調査対策委員会は、経緯をつぶさに検証した結果、本来「騙されるはずがなかった事件」だとして、社長の阿部に経営上の重い責任があると断じた。この調査報告を受けて開かれた人事・報酬諮問委員会では、阿部は事件の責任をとり社長を退任することが妥当と決議されていた。つまり社長退任は既定路線だったのである。
ところが蓋を開けてみれば、取締役会で社長解任動議は否決され、逆に会長の和田が解任されてしまったのだ。しかもクーデターを支えたのは、地面師事件の取引や決裁で大きな役割を果たした取締役の面々だった。まさかの展開である。阿部が会長に就任すると、クーデターの事実は伏せられ、社内外に「ガバナンス改革」が声高にアピールされた。阿部の経営責任を明確に指摘した調査報告書も隠蔽されてしまった。
だが、取締役会から3週間が過ぎた2月19日、日経新聞電子版で配信された北西厚一記者のスクープ記事によって、和田会長が解任されていた事実が明るみに出た。「週刊現代」の記者である著者も一報を受け取材に動いた。和田の単独インタビューにこぎつけ、その後も取締役会に出席した複数の役員や、積水ハウスの内情を深く知る人物、OB、現役社員らに取材を重ねていった。
本書は、その膨大な取材をもとに、2兆円企業の内部で何が起きたのかを精緻に描き出した一冊である。オリンパスや東芝の粉飾決算、関西電力の金品受領問題など、2010年代は大規模な企業不祥事が立て続けに起きた。積水ハウスの一連のお家騒動は、その「真打」とでもいうべき位置付けにあるといったら、意外に思われるかもしれない。地面師詐欺では積水ハウスを気の毒な被害者とみる向きもあるからだ。だが、本書を読めばその印象はガラリと変わるだろう。積水ハウスの地面師事件とクーデターは、企業倫理がついに地に堕ちたことを示す象徴的な事例だからである。
地面師事件の舞台となった建物は、JR五反田駅から徒歩数分の目黒川沿いにあった(現在は解体)。都心には珍しい鬱蒼とした木立の中に、かつて旅館だった古びた建物が佇む。マンションを建設するには十分な広さがあり、不動産業者の間ではよく知られた物件だった。同時に、地主が「売らない」ことでも有名だった。ところがある時から、地主が高齢で体調もすぐれず、売り先を探しているという情報が出回るようになった。ここに目をつけたのが地面師グループである。
地面師とは、不動産の持ち主になりすまし、勝手に転売して大儲けする詐欺集団のことだ(その実態は森功氏の『地面師−他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』に詳しい)。地主だけでなく、仲介業者など持ち主周辺の人物にもなりすまし、キャスト総掛かりで一芝居打って取引相手を騙す。
本書を読むと、積水ハウスは騙されるべくして騙されたと思えてならない。詳しい経緯はぜひ本を読んでいただきたいが、ごく簡単に言えば、この取引が「社長案件」となったために、関係者が皆前のめりになってしまったのである。とはいえ、プロがみればこの取引にはいくつもの危ないサインが出ていた。それどころか社内には「地主が偽物」という情報も入ってきていたという。にもかかわらず取引は止められなかった。「社長案件」を速やかに処理することが優先されてしまったからだ。いちど動き出したら止められない。続けることに理がなかろうが、損害が拡大しようが関係ない。ともかく社長がGOを出したのだからやるのだ……。
会長の和田は積水ハウスを2兆円企業に育て上げた実力者である。一方、とりたてて実績のないまま社長になった阿部は和田に頭が上がらない。社長になると阿部はマンション事業に注力していく。和田氏の影響力があまり及んでいない分野だったからだ。周囲からカリスマ経営者と目される会長と、常に会長と比較される凡庸な社長。阿部と取り巻きが五反田の取引に前のめりになった背景には、少なからず功を焦る気持ちもあっただろう。
「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」という有名な言葉がある。カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の冒頭部分を簡略化したものだが、本書を読みながら何度もこの言葉が頭に浮かんだ。1度目の悲劇とは、ナポレオン・ボナパルトのクーデターを指し、2度目の喜劇とは、ナポレオンの凡庸な甥ルイ・ボナパルトによるクーデターを指す。クーデターを成功させたルイ・ボナパルトは、独裁者としてふるまい、ついには皇帝になってしまう。
積水ハウスで1990年代にあったクーデター未遂を悲劇とするなら、2018年のクーデターはまさにマルクスのいう喜劇を思わせる。阿部は会長に就任すると、地面師事件やクーデターの詳細は隠したまま、社員に高い倫理を要求し始めた。この頃から阿部は「Integrity(インテグリティ)」という言葉を多用するようになったという。ドラッカーが好んで使った言葉で、邦訳では「真摯さ」と訳されている。社員には「インテグリティ」を求める一方、役員報酬を増額したり、取締役会規則を自らに有利なかたちに改定したりした。これを喜劇と言わずしてなんと言おう。
積水ハウスには、特に海外から厳しい目が向けられている。
コーポレート・ガバナンスに造詣の深いアメリカの法律家や投資家の目には、クーデターは「オリンパス事件の再来」と映っていた。歴代トップが隠蔽してきた粉飾決算を追及しようとした社長が解任された、あの事件と同じ構図とみられているのだ。
国内でも株主代表訴訟が起こされた。現在も係争中だが、原告側は、被告の阿部氏や積水ハウスが頑なに公表を拒んだ調査報告書を裁判所に提出させ、一般も閲覧可能とする成果をあげている。
2021年3月4日、積水ハウスは阿部俊則会長が定時株主総会をもって退任し、特別顧問に就くと発表した。阿部体制下で露呈した問題点の検証はむしろこれからだろう。
日本のガバナンス改革の矛盾、マネーロンダリングへの認識の甘さ、改革を阻む日本独特の株主資本主義のあり方、穴だらけの登記制度など、積水ハウスの一連のお家騒動を通して日本社会の多くの問題点がみえてくる。このように本書は極めて多様な論点を含むが、一貫して著者が描き出そうとしているのは、「変われないままの日本の姿と、着実に変わっていく世界の姿」だ。
変われないままでいることのリスクを、私たちはコロナ禍で身をもって知った。日本は今、世界の変化に対応できず、あらゆる面で機能不全を起こしている。私たちがそこで目にしているのは、うまくいかない責任を他に押しつけ、自らの保身に汲々とする小物たちの姿だ。
オリンピックの中止(延期)の決断ひとつとっても、責任ある者の間で、まるで火のついた爆弾を慌てて隣に投げ渡しているかのような光景が展開されている。コントみたいで笑えるが、同時に、いつまでこんなことをやっているのだ、いい加減変わらなければヤバイだろうという強い危機感をおぼえる。
本書が描くのは、表面的な売上規模だけではけっして見えてこない、企業内部のある種の末期状況である。そこではルールが形骸化し、言葉が軽んじられ、権力を握った小物が思うままに振舞っている。それは企業だけにとどまらない。私たちが日々目にする為政者の姿とも重なるものだ。
私たちの前には今、目に見えない焼け野原が広がっているのかもしれない。敗戦の焼け跡から先人たちが立ち上がったように、私たちも再び立ち上がることができるだろうか。喜劇にはそろそろ幕を降ろさなければならない。
本書は著者のデビュー作である。ひとつの経済事件を核に日本社会の腐敗の構造を見事に抉り出した。今後、注目のノンフィクションの書き手である。