未来は予測不能だ。そんなことは誰でもわかっているし、今ほどこの言葉が実感を伴うときもないだろう。しかし、である。世の中の仕組みの多くは「予測可能」を前提に成り立っているのが実態だ。
例えばルール。過去の経験に基づき作られたルールは、状況が予測不能に変化すると、まったく役に立たなくなる。それどころか、ルールの持つ硬直性が、新たな状況への適応を阻む結果にもつながってしまうのだ。同種のものに、計画、標準化、そして内部統制などがある。
ならば思い切って「未来は予測不能」という前提に立ち、変化の中でも変わらない、普遍的なものに着目してみたらどうなるだろうか?
本書は前著『データの見えざる手』でデータを活用し、人間社会のさまざまな法則を明らかにした矢野和男氏が、「予測不能な世界の中で幸せに生きる」というテーマについて綴ったものである。著者は、前提を変えることによって、社会や企業の経営は大きく変えられると説く。
それにしても、なぜ幸せでなければならないのか? 答えは、幸せな人は生産性が高いからである。普通は「仕事がうまくいくから幸せになる」と考えるかもしれないが、これは因果が逆だ。幸せな人が増え生産性が高くなると、世の中が豊かになり、さらに幸せな人が増える、という好循環を作ることができるのだ。
本書で特筆すべきなのは、これらの主張を裏付けるエビデンスの強さだ。基になる研究では、ウェアラブル端末による行動計測と心理状態の調査を同時に行うことで「幸せとは何か?」が身体運動という観点から明らかにされた。
とくに名札型のウェアラブル端末を活用し、誰と誰がコミュニケーションを取ったかのデータに基づき職場の人間関係を分析した実験からは、多くの示唆が得られている。
幸せな組織の特徴として挙げられるのは、5〜10分の短い会話が高頻度で行われていること、そして会話中に身体が互いによく動くことだという。またつながりに偏りがなく、発言権が平等という特徴も明らかになった。
このように、幸せを個人的なものと限定せず人間関係の中に位置づけること、そして個人のデータと集団単位のデータを照らし合わせることは、「よい幸せ」と「悪い幸せ」の区別を可能にした。
組織の幸せ(よい幸せ)とは、メンバーが周囲を元気に明るくしているかで決まるという。一方、周りの人を犠牲にして自分だけ幸せになっても、それは組織の幸せとは言えない「悪い幸せ」なのだ。
変化は避けられない。だから、真正面から受け止めて、立ち向かっていく必要がある。そして幸せであれば、変化に対応するための困難な仕事も、成し遂げやすくなるという。
「幸せ」のような主観的な概念を客観的に数値化するのは難しい。だがそれにより、古くから繰り返し言われてきたことにも新しい光を当てうるのだと痛感させられる。体の動きで心を変える、心の動きで組織を変えるという本書の主張は古いようで新しい。
多くの人にとって他人事とは思えない骨太なテーマを、意外な角度から明らかにしており、不思議と明日への活力が湧いてくる一冊である。
※週刊東洋経済 2021年6月5日号