『くらしのための料理学』「手を抜く」のではなく「力を抜く」

2021年5月24日 印刷向け表示
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毎週『おかずのクッキング』を楽しみに見ている。献立の参考になるのはもちろんなのだが、それ以上に、土井善晴さんの「家庭料理への向き合い方」や料理しながら溢れる言葉の端々に刺激を受け、料理の楽しさを知ることができるからだ。同じ思いで見ているファンは多いだろう。

家庭料理は日常生活の料理。無理せず、自然が与えてくれた恵みを信じて。余計なことはしなくても良いんだよ。手間をかければかけるほど良いということはないんだよ。手を抜くという言葉は好きじゃない、必要な手間はある。でも力は抜いていいんだよと、毎回毎回、日常のおかずを作りながら、飽かずにひたすら伝えてくれるのだから、もはや人生の癒しである。

「ひと手間」や「品数」こそが愛情の証だというプレッシャーに苦しんできた(特に多くの場合)女性たちにとって、「一汁一菜をきちんと整えればそれでいいんだよ」という土井さんの言葉は驚きだったと同時に「解放」をもたらした。日本人の生活に根ざした食生活を説く著書『一汁一菜でよいという提案』は多くの家庭において救いの書になっただろう。

こうして土井さんが「家庭料理を作る人々」へ向けて発信し続けてきたメッセージを、体系立てて学ぶことができる「テキスト」が本書だ。『くらしのための料理学』というタイトル。「学」とつけられているところに思わず居住まいを正してページを開いた。

日頃土井さんが語る言葉の背景に、どのような思想や知識があるのか。どのような問題意識があるのかが、わかりやすく描かれている。

料理を理解するためには、ひとまず現状を整理しなければなりません。今、日本人の食事は、あまりにも複雑になっているからです。料理を理解しなくとも毎日の食事にはなにも不自由しません。しかし、長い目で見た時、日頃の食事のあり方が人の人生に大きく関わり影響すること、広く見た時、資源の無駄遣いが地球に負担をかけていることに気づくでしょう

このことを理解するため、本書は今の日本の家庭料理の置かれている現状を、日本の伝統の見地や、西洋料理からの見地、プロの料理からの見地など、多角的に考察し、私たちが何に惑わされ、何を見失い、何に悩んでいるのかが浮かび上がるように描かれている。そして、人の暮らしのなかにおける料理という営みの意味が理解できるように導いてくれる。

非常に興味深い記述がある。「混ぜる」と「和える」の違いについて、だ。

西洋料理では、液体、粉類、卵などを「混ぜる」ことで、まったく違うものを作り出そうとします。混ぜる文化を持つ西洋料理は、化学的だと言えます。化学であれば数値化できますから、レシピ化できます。

和食の特徴は「和える」ことです。和食における原初的な調理法は、自然を中心とするため、食材にあまり手を加えません。しかも、食材の状態は、季節、鮮度などによって変化します。季節、鮮度などは前提条件を揃えることができませんから、レシピは参考程度にしかなりません。

和食は、化学のように厳密ではなく、常にブレることを前提にしているからです

最近見た『おかずのクッキング』はミートボールだった。火の通ったミートボールを、最後にケチャップや粒マスタード、しょうゆなどで作ったソースで味付けする。土井さんは言った。「満遍なくまぶさなくていい、だいたいでいい」と。まさにミートボールとソースを「和えて」いた。ざっくりと。ソースが絡んでいるところもあれば、あまりかかっていないところもある。それを大皿に、ほってりと盛り付けた。

すごいことだと思った。実のところ「満遍なく全体にソースが行き渡るようによく混ぜろ」と言われるほうが、簡単なのではないだろうか。少々手間はかかるが、手間を惜しまず混ぜ続ければ、誰にでもできる。なのにそれを「ざっくりと和えろ」という。たしかにソースは不均等にまぶされている。テレビの画面を通して見ても、まだらなのがわかった。

が、この皿は家庭料理の皿なのだ。いただきますの声とともに、家族の箸がのびる皿だ。家族で少しずつ取り分けるうちに、ミートボールの山は崩れ、一つ一つのミートボールはころがりながら触れ合いながら、いつの間にか味は行き渡っていくかもしれない。あるいはソースがかかっているところと、かかっていないところ。それぞれなりに味が違って、飽きずに食べられるということもあるかもしれない。

そういう「その日の食卓にしかない一期一会」を想像しながら「和える」。これは実は、とても難易度が高い。が、想像するだに楽しそうで「よーし!やってみよう!」という気にもなる。そしてそこには正解なんてない。

「さあ、とにかくやってごらんなさい」という土井さんの笑顔が見える。

「手を抜く」のではなく「力を抜く」。

さあ、今日は何を作ろうか。何を食べようか。楽しいな。

あなたも。ぜひ。

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