「苦しみに耐えた人が/もし強くなれるのならば/私の強さは無類だろう」。これは「強さと優しさに」と題された詩の冒頭である。自らの強さを「無類」と言い切れる人はそうはいない。だが長い期間、冤罪と戦い続けた作者の半生を知れば、この言葉に誰もがうなずくだろう。
20歳で逮捕され、29年間を獄中で過ごし、再審請求裁判で事件から43年7カ月後にようやく無罪を勝ち取った。ところがその後、がんが見つかる。ステージ4で複数箇所に転移していた。医師に告げられた余命は1年だった。
本書は余命宣告を受けた74歳の著者が今伝えておきたいことを綴った1冊である。これが不思議な明るさに満ちているのだ。
1967年8月、茨城県北相馬郡利根町布川で当時62歳の男性が殺害され部屋が荒らされる事件が起きた。同年10月、茨城県警は著者と当時21歳の知人を別件の容疑(窃盗と暴力行為)で逮捕し、自白を強要した。
物的証拠がなく供述内容も矛盾だらけだったにもかかわらず、2人は強盗殺人の罪で起訴され、70年10月、水戸地方裁判所土浦支部で無期懲役判決が下された。最高裁まで争われたが78年7月、上告が棄却され刑が確定。2人は千葉刑務所で服役した。これが「布川事件」の概要である。
自白頼みの裁判には多くの批判が集まった。実際、検察が証拠として提出した自白の録音テープからは、13カ所もの改ざんが判明。捜査は極めて悪質でいい加減だった。
それにしても、著者が味わった艱難辛苦は私のような凡人の想像を超えている。例えば、社会復帰したらやりたいと著者が考えていたことの1つに「闇の中を歩くこと」があった。一瞬、意味がわからなかったが、著者の説明で納得がいった。拘置所や刑務所には闇がないのだそうだ。夜もつねに監視のための常夜灯が点いている。仮釈放後、肌寒い晩秋の夜空を見上げたという記述に胸を打たれた。
身に覚えのない罪で自由を奪われる苦痛は半端ではない。心が押し潰されそうになるたびに著者は目を閉じて「俺の上には空がある、広い空がある」と呪文のように唱え自分を落ち着かせたという。
医療社会学者のアーロン・アントノフスキーは、アウシュビッツからの生還者のうち、トラウマを乗り越え健康的な生活を送ることができている人々について調べた。そして彼らに共通する要素を「センス・オブ・コヒーレンス(首尾一貫感覚)」と名付けた。
著書もこの「首尾一貫感覚」の持ち主かもしれない。刑務所では目の前のことに全力で取り組み、一日一日を充実したものにしようと努めたそうだ。その積み重ねの果てに著者はある境地に達する。
波乱の半生を通して著者は「不運は不幸ではない」ことを学んだという。なぜなら、辛いことや苦しいことを乗り越えた先には喜びが待っているからだ。余命宣告でさえ、この苦難がどのような喜びに変わるのか、変えられるのかを楽しみにしていると、どこまでも明るく前向きである。
誰もが簡単に著者のような境地に達することができるとは思わない。だが何か予期せぬ不運に見舞われた時、本書はあなたに逆境を乗り越えるヒントを与えてくれるだろう。
※週刊東洋経済 2021年5月22日号