こんな本を待っていた! そんな一冊に挙げられそうな、あの超絶ベストセラー『嫌われる勇気』の古賀史健さんの新刊だ。3年間かかりっきりだったとも聞く内容は、タイトル通りの「取材」「執筆」「推敲」という対象に、真正面から取り組んでいて、圧倒される。
現物を手にすると、書籍でよくある四六版のサイズよりも大ぶりだ。カバーには、シンプルにタイトルや著者名がポンと載せてあり、滑らかに477ページが連なる。
とはいえ、ページ数でいうとなかなかのヘビー級だが、読みやすい文字組となっており、文体は、小説の世界で言うなら村上春樹をイメージさせるような、さらりと、それでいてあっという間に読み手の体に染み込んでくるものだ。
こんな本を出すのはどういう人かといえば、ベストセラー『嫌われる勇気』の古賀史健(ふみたけ)さんだ。この本、どれくらい売れたのかは、228万部、韓国や台湾など海外を含めると世界累計500万部とか。発売6年が経った2020年7月時点の記事で見た数字なので、今はもっと増えているだろうか、もはや天井知らず。
とはいえ、それ以前から、本読みなら、古賀さんの本にはきっとどこかで触れているに違いない。代表取締役を務めていらっしゃる「株式会社バトンズ」のサイトにあるプロフィールによると、「1973年福岡県生まれ。出版社勤務を経て、1998年フリーランスに。一般誌・ビジネス誌等のライターを経験後、現在は書籍のライティングを中心に活動」とあり、
具体的な著書としては、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(共著・岸見一郎)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、インタビュー集に『16歳の教科書』シリーズ、構成を担当した本に『ゼロ』(堀江貴文著)などがあるとか。本書の帯には「編著書93冊、1100万部」を数えるとある。例えばと、列挙するだけでいとまが無いというやつである。
ただ、同時に、数字というより、「多くの人に読まれる本」を継続的に書いていらしたことが、これでわかる。
そんな古賀さんが、余すところなく後進の「ライター」のためにと、タイトルにもある「取材」「執筆」「推敲」について綴ったのが本書となる。「もしもぼくが『ライターの学校』をつくるとしたら、こんな教科書が欲しい」と、ご本人がはっきりと書いている通りだ。
ちなみに「ライター」という言葉やその役割については、前書きのような「ガイダンス」の「ライターとはなにか」に始まり、本書の隅々にも、背景を含めて説明が尽くされている。
これを書いている私は、本業が編集という稼業で、古賀さんの仕事に近いところにいるといえばいる。それもあって、同業の友人たちがSNSで「付箋だらけ」「感想を書きたくなる」と書くのを横目にしつつ、貪るように読んだ。
目次内容としては、大きくは<取材><執筆><推敲>の三部構成だ。
<取材>は、「すべては『読む』からはじまる」「なにを訊き、どう聴くのか」「調べること、考えること」。
<執筆>は「文章の基本構造」「構成をどう考えるか」「原稿のスタイルを知る」「原稿をつくる」。
<推敲>は「推敲という名の取材」「原稿を『書き上げる』ために」。
といった章立てで、細かいテーマが小見出しとなり、その中に含まれる。
<執筆>のところには、技術的な方法論と呼べるものも記載されている。例えば、よく文章読本では紹介される、「起承転結」を「起転承結」にしていく、日本語ならではの工夫。例えば、章の構成を百貨店のフロアに例える「章構成のデパート理論」。具体的な「文章力の筋力トレーニング」までもあり、付箋が増えるのはこの辺りだろうか。
数ある中でも、唸らされたのは第7章の「原稿をつくる」の原稿に必要な要素の3つ、「リズム」「レトリック」「ストーリー」のうちの「リズム」についてだ。
原稿を書き、文章の文字面(もじづら、と私の周囲では呼んでいるのだが、通じるのだろうか。例えば見開きでページ全体を見渡した時の雰囲気のようなものだ)を眺めてから「見た目の読みやすさ」を徹底するのは結構な手間がいる。そんな読み手の目を心地よくするための、微に入り細を穿つ工夫が紹介されていくので、膝を打ちまくりながら読むことになった。句読点の打ち方や、そう、改行のタイミングだよね、漢字とひらがな・カタカナのバランスだよね! という具合である。
独特のオリジナルな造語がいくつも出てくるのは、考え抜いたら自分で言葉を作るしかなかったのだろう。考え抜いてどうにも言い表す言葉がないと、もはや新しい言葉で表現するしか仕方がなくなるのだ。
ただ、この本を紹介したいと思ったのは、もちろん、具体的な技術面だけではない。
「ライター」という立場なら、思う存分に、見て、聞いて、考えて、伝える、それをやり抜くことができる素晴らしい仕事なんだよ、という大きなメッセージに終始この本は満ちているからなのだ。だから教科書なのだ、とそこに共感した。
ものを書く際に道具、ときに武器と言っていいかもしれない語彙をいかに持つか。それは日々の観察からしか生まれない。人物なり何か対象に出会えた時の、自分の喜怒哀楽を自分の中で消化し、その発見した感情をなにかしらの経路で選んだ言葉に翻訳してから、そのまま自分の中に留めておく。言語化する対象の取材相手に実際に会ったら、引き出しからスッとそれを出していくためだ。その感情の翻訳作業を丹念に、書かない間にこそ、まずは一番の対象である「自分」を観察し、習慣的に行うのだ。いくつもの表現の経路を準備しておくというその生き方にこそ、「ライター」である意義があると、ここでは繰り返されているのだ。
いつしか、470ページまで来ていた。
ここまで来て、『嫌われる勇気』はだから広く読まれたのだなとよくわかる気もしている。
そうそう、途中に黄色い紙が挟まっていて、眺めてあれこれ考えるのが楽しい付録のよう。これで遊ぶのもまた楽しからずや。実際に並べてあれこれ思索するのはエンターテイメント性もあり、ここで紹介するとキリがないのでやめておくが、なにが入っているかは手に取ってぜひ眺めてみてほしい。
文章を書くという、誰もが日々行う行為のためになにが必要かを突き詰めた一冊。
これって、結局は「生きる」ということかもしれない。
そんなことを思いながら、本を閉じた。
また開いて、あらためて確認する瞬間も近いはずだ。