本書を数ページめくっただけで、2つの驚きがあった。1つは、火葬が当たり前とされる今日でも、まだ土葬というスタイルが残っていたこと、2つ目は、その土葬がここ数年急激に減少しており、今まさに消えようとしていることだ。
意外なことに、国の定める墓地埋葬法では、土葬が禁じられているわけではない。しかし、ここ半世紀ほどの間に、全国で火葬場が整備され火葬が一気に広まった。現在、日本の火葬率は99.9%以上と世界1位だそうだ。
21世紀に入って著者は本格的に調査を開始した。その時点で、土葬の残る地域は限られており、またそれらは、地理的に近いエリア内に固まっていた。奈良盆地の東側の山間部一帯と、隣接する京都府南山城村である。これらのエリアでは、当時村全体の8〜9割が土葬を行っていた。それがここ数年で、消滅の危機に直面しているという。
古代、中世から1000年以上続いてきたとされる土葬。本書は、土葬に近年何が起こったかを明らかにし、日本の伝統的な弔いの文化を記録として残した1冊である。
土葬を行う地域の風習でなにより特徴的なのは、「野辺送り」だ。死者を埋葬地へ送る際に、野辺の道で長蛇の葬列が組まれる。遺族から一般の村人までが参列し、白い幟(のぼり)が風に舞い、村人が手作りした葬具を野道具として携え、死者の棺を担いで歩く。
地域差はあるものの、棺桶に用いられることの多いのが座棺だ。縦長の直方体の棺に、膝を折り胡座をかいた姿勢の故人を納める。死者は西方の極楽浄土を拝む格好で、墓穴に沈んでいく。
ある地で行われていた「お棺割り」という風習も凄絶だ。これは葬式から49日後、墓をあばき埋葬された棺桶を掘り返し、棺のふたを割ることを指す。ふたが割れると、棺の中からホトケの顔がのぞくが、ひげや髪の毛が伸びていることもあったという。
土葬の希望者は、人間は死ぬとみな土に還るという自然観を持っている場合が多いという。そして、死から目をそらさず死者を見送る機会になるという観点で考えると、土葬には見送る側にとっても大きな意味があるのだ。
それにしても、なぜここ数年で土葬は消滅寸前の状況になってしまったのか? その理由は、縁故関係が疎遠になってきていることに尽きるそうだ。土葬にかかる手間は火葬とは段違いで、力仕事も多い。必要な人手を集められず土葬の実施が困難になり、やがてその風習自体、集団的に忘却されていく。合理化のスピードとは、かくも速い。
このほか本書では、神式の土葬、野焼き火葬、与論島の風葬といったさまざまな弔いが紹介される。風葬、土葬、そして火葬へとおよそ2000年近くをかけて移り変わってきた日本の弔いの歴史を振り返ることができる。
風葬や土葬といった様式に特徴的なのは、時に目を背けたくなるような情景である。死者を悼む感情を、大掛かりな儀式の視覚的なイメージとともに記憶する。これにより弔いの気持ちを忘れまいとしてきた先人たちの思いがひしひしと伝わってくる。土葬という様式の消滅は、そういった情景が損なわれていくことを意味するのだ。
※週刊東洋経済 2021年4月17日号