故・石牟礼道子氏の『苦海浄土』3部作は文学史上屈指の傑作である。わけても、第1部第3章「ゆき女きき書」は、読むたびに戦慄(せんりつ)と畏怖をおぼえる。水俣病患者が全身を痙攣(けいれん)させながら絞り出した言葉。語られたのは恨み言ではなく、不知火(しらぬい)海の豊饒さであり、生まれ変わったらまた愛する夫と漁に出たいという願いだ。絶望の底から発せられたはずの言葉なのに、そこには優しさと希望がある。読んでいるとなにか厳かなものに触れた気がして、心を強く揺さぶられてしまう。
『苦海浄土 わが水俣病』は第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれるが、石牟礼氏は受賞を辞退した。理由は不明だが、作品の真の作者は自分ではないと石牟礼氏が考えていたからではないだろうか。理不尽な災厄によって人生を蹂躙された人々の小さな声に、自分はただ耳を澄ませてきただけだと。
本書の著者いとうせいこう氏は、東日本大震災の死者をテーマにした小説『想像ラジオ』を書いたのをきっかけに、福島を訪れて人々の話に耳を傾けるようになった。本書は著者が聞き取ったさまざまな声をまとめたものだが、手に取った人は少々驚くかもしれない。著者が自らの存在を徹底的に消し去っているからだ。著者自身の質問や解釈が挟まれることは一切ない。ただ人々の言葉だけが、無骨に読者の前に差し出される。だがその言葉は、驚くほど多くのことを私たちに教えてくれる。
幼い子を抱えた母親たちは、放射能と向き合った日々を語る。「プールをどうするか」「外の遊びをどうするか」、前例のない難題にどう対処すべきか。保育園や小学校で、保護者や保育士、教師らが話し合いを重ねたという。福島は民主主義の先進地域かもしれない。母親たちが行ってきたことは、民主主義で最も大切な熟議の実践だからだ。
原発事故の後、牛舎につながれたまま死んでいく牛を救いたくて大熊町に移り住んだ女性は、牛には汚染された土地を甦らせる力があると知る。牛を通じて自然を復元させる知恵を見出していく。
避難所で小さなラジオ局を開設した女性は、ある日ふとした冗談で聴衆がドッと沸くのを目撃した。みんな笑うきっかけを待っていたのだ。やがて彼女は「ラジオは福祉だ」という考えに至る。
放射能と戦う創作舞踊を子どもたちと作った舞踊家は、岡山県の人々に招かれ、1週間の夏合宿に出かけた。帰りの新幹線で子どもたちは声をあげて泣いたという。福島に住む自分たちは嫌われているのではないかとずっと思っていたのだ。岡山の人々の温かさが、子どもたちのこわばっていた心を優しくほぐした。
人は人によって救われる。「聞く仕事、聞き家稼業みたいなものが特に災害のあとには長く必要なのではないかと思う。十年、いや百年でも」と著者はあとがきで述べている。石牟礼氏は『苦海浄土』を40年にわたって書き続けた。あるドキュメンタリーで石牟礼氏が、手の震えで桜の花びらがうまく拾えない水俣病患者の話をしているのを見たことがある。以来、彼女は、患者の代わりに花びらを拾うように一つひとつ言葉を選び、原稿を書いているのだと。
本書もまた、花びらのような言葉で編まれた一冊である。
※週刊東洋経済 2021年4月3日号