「社会保険料の負担が重くなるから気をつけろ!」起業家の先輩に話をきくと、みな口を揃えてそう私に警告した。これまで会社が出してくれていた分を自分が払うのだから当然だ。もとより私もそれは織り込み済みなので、軽く「了解、了解」と聞き流していた。しかし、先日のニュースをみて愕然とした。
財務省によると、令和2年度の「国民負担率」(所得に占める税金や社会保険料などの負担の割合)は令和元年度より1.7ポイント増えて46.1%となり過去最大となる、という。ある先輩が「役員報酬を設定しても、手元に残るのは6割程度だ」と言っていたのを思い出した。この46.1%という数字を見て、初めて私は事の重大性に気づいたのである。
新型コロナの影響がニュースでは強調されていたが、調べてみると、国民負担率はこの50年で約20%も上昇している。私のように負担が急激に増えるケースは少ないかもしれないが、会社員の皆さまは是非とも自分の給与明細を見比べてみてほしい。社会保険料がグングン上昇しているのがわかるだろう。
無論、その理由は高齢化にある。支える人と支えられる人のバランスが大きく変化し、そのうえ医療介護費が増大しているのだ。医療は発達したものの、脳はまだまだ謎だらけ。脳寿命は身体の寿命に追いつかず、厚労省は「2025年には65歳以上の高齢者の20%が認知症になる」と推計している。
では、脳寿命を延ばすにはどうしたら良いのか。本書はそこに的を絞って書かれている。私のライフプランは、健康長寿が前提だ。50歳で起業して70歳まで新鮮な気持ちで働き、その後は65歳受給開始組みより多くの年金をもらって長生きするというものだ。年金を早めにもらったほうが得、だとは考えていない。この本は、そんな能天気な私にぴったりだった。
「認知症になったらどうしよう」という不安に応えようとする本は数多あるが、脳寿命の延ばし方を専門家がわかりやすく説明した本はあまり見かけない。イメージ的には脳寿命を延ばしそうな「脳トレ」や「脳に良い食事」も、本書によると、認知症防止に直接つながるものではないという。
40年以上にわたって認知症研究に携わってきた著者は、今の段階ではアミロイドベータが溜まらないようにすることが最適な予防法だと考えているそうだ。そして、世界に先駆けてアミロイドPET検査を含む「健脳ドック」を導入したのだ。その知見に基づいた方法を、私は喉を鳴らしながら一気に読み切った。
これまでの不摂生のため、私はもう手遅れかもしれない。でもやれるだけのことはやっておきたい。人生は一度きりだ。テクノロジーが進歩して、世の中には新しいものが次々に登場している。いまやゴルフ場も、各ホールのドローン動画で下見できるようになった。自動運転やAI診療など、この先の時代に何が起きるかをこの目で見てみたいのだ。
そういった進歩の一方で深刻な現状もある。最近、散歩していると、ご高齢の方に手を差し伸べる機会が増えた。タクシーから降りたお婆ちゃんがほぼ歩けない状態だったので、20mくらいの距離をビルの中まで歩くのを介助した。信号を渡り切れなかったお婆ちゃんが慌ててプチトマトをこぼしたので、私は拾うのを手伝った。
通勤途中だと通り過ぎたかもしれない。しかし、散歩中だったから気づいた。高齢者が町に溢れるようになれば誰も見て見ぬふりはできなくなる、と私は感じた。現在の人口動態では国の経済は悪くなる一方だ。その頃、おそらく政府は「自助・共助」を絶叫するだろう。そうなれば、自身の脳寿命を延ばしつつ、支えあう時代がきっとくる。
それは、医療介護費を個人レベルで節約する時代かもしれない。そうなれば、本書に書かれている18の方法は世間の常識になっていてもおかしくない。本書によると、脳の老化は身体全体⇒脳の血管⇒脳の神経細胞⇒メンタルという4段階で進む。その説明の中で、私が最もピンときたのが「意・情・知」という造語である。
哲学の知識がある方は「知・情・意」の間違いだと思われるかもしれない。しかし、こと脳の活動に関しては、意欲がどのくらい強いかに左右されると著者は説く。意欲のもとに感情が動き、知能を駆使するような活動に至る。意欲があって、楽しいという前向きな感情が生まれ、頭をフル回転させるのだ。著者は、将棋や麻雀などを推奨する。
そうした土台のうえで生活習慣病や体重、歯周病との関連性について、医学的なエビデンスに基づいて説明する。「実践編」では、運動や睡眠の重要性、社会的孤立などについて具体的な方法を紹介する。すぐにでも取り組めるものが多い。最後に紹介するのは、飲食に関する方法。お酒はタバコより悪いと書かれていて、私は思わずシュンとなった。
脳の仕組みがあまりに複雑だったため、医学の力で脳寿命を延ばすのに時間がかかった。そのため今はまだ身体と脳の寿命にギャップがある。しかしアミロイドベータの研究が進んだこともあり、「アルツハイマー病の治療や予防はかなりの部分で見通しが立ってきた」と著者は書いている。その言葉に私は希望の光を見た。