テーマがテーマだけに、気分が落ち込んでいるときに読むべき本ではないだろう。しかし、気持ちが落ち着いているときに、自殺というテーマに関する知識を得ておくことは、いつの日かあなた自身やあなたの周りの大切な人を救うことになるかもしれない。そんなワクチンのような役割を果たす一冊である。
著者のジェシー・べリングは、前作『性倒錯者』と同様に、自分自身の実体験をカミングアウトすることから本書を始める。自分のセクシュアリティに悩んでいたときのこと、学者として燃え尽き症候群になったときのこと。失業して家の近くの森で自殺の想念にとらわれたときのこと。
そんな主観的なプロローグから話は一気に客観の世界へ飛び、著者は「ヒトはなぜ自殺するのか」というシンプルな問いに、ヒトの心の進化という観点から挑んでいく。
1つ目のアプローチは、自殺を「種」の観点から見るもの。はたして自殺するのは人間だけなのか? もし自殺が人間特有の感情によって動機づけられるのなら、自殺は人間の心の進化の不幸な副産物なのか? これらの問いからは、ヒトとは何者であるのかについて深く考えさせられる。
そして2つ目のアプローチは、ヒトに自殺という行動をとらせる直接的な要因を分析するものだ。とくに本書の白眉は、「自殺する心に入り込む」と称されたパートで、自殺に至るヒトの心の変遷を6つのステップに分類している点にある。
はじめは「期待値に届かない」というほんのささいな出来事から始まる。
次に「自己への帰属」、「自意識の高まり」というゾーンに入り込むにつれ、リスクは高まっていく。自殺に至る道では、不運な出来事そのものよりも、それによって自分自身を非難してしまうことの影響のほうが大きい。その沼にはまり込むと、自己中心的になり、他人が遠くにいるようにしか感じられなくなってしまう。実際、多くの遺書を分析すると、一人称単数の頻出という特徴があるそうだ。
さらに「否定的感情」から逃げたいという欲求に支配され、「認知的解体」という段階に至ると、時間的展望が変わって、時間は這うように、ゆっくりと過ぎていく。
そして最後のステップが「抑制解除」だ。自分の命を絶つ決心をするヒトは、オール・オア・ナッシングに特徴づけられる二分法的思考にはまり込んでしまう。これが生か死かという2つの選択肢へとつながっていくのだ。
読んでいるだけで恐ろしくなるが、大切なのはこのステップを自分の頭の中に入れておくことである。自分がこのステップの中に入ってしまったときに抜け出すことができるだろうかと第三者的に考えておくだけでも、意味があるのではないかと感じる。
生について考えることが死について考えることと同義であるように、自殺について考えることもまた、自らの意志で生きていくことにつながっていくはずだ。
ヒトに幸せをもたらすのは成功体験だけではなく、失敗にどう対処するかという要素の影響も非常に大きいものだ。コンディションのよいときに、自分の生き方を考える哲学的なテーマとして一読することを強くおすすめしたい。
※週刊東洋経済 2021年3月13日号